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きみを殺すための5つのテスト  作者: 狐塚冬里
第五章 大好きだから、さよなら
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第十話 出会わなければよかったって、思う?

 小夜を連れて病院に戻ると、小夜の母親は泣き崩れた。

 その母を抱きしめる小夜はもう泣いていなくて、「大丈夫だよ。ごめんね」と笑顔を浮かべる。

 その姿を見て、本当に小夜はずっと泣かなかったのだろうなと思った。


 自分の痛みよりも、人の痛みを。

 大好きな家族の笑顔を守るために、笑い続ける。


 小夜の手術は小夜の決断を待つだけだったこともあり、急遽二日後に執刀されることが決まった。

 手術の日は奇しくも小夜の誕生日で、はじめからこうなる運命だったのだとでも言われているような気分だった。


 手術の日にあまり興奮させるわけにもいかないので、流空は前日に野本と水城を連れて病室を見舞った。

 アイスケーキを持参して。


「誕生日おめでとー! って言っても明日だけど」


 野本が派手にクラッカーを鳴らした。

 それに合わせて、水城もクラッカーの紐を引く。

 パンパン! と病室に似つかわしくない音が響いて、病院の許可は取ってあるのにみんなで首を縮めた。

 数秒待っても怖い顔の看護師も医師も顔を出さなかったので、ほっと胸を撫で下ろす。


「食べるもんとか制限つかなくってよかったよなー」

「そうだね。アイスケーキでもひと切れなら大丈夫だろうってお医者さんが……」


 問題のアイスケーキを切ろうと、プラスチック製の包丁を取り出した流空の手が彷徨う。

 そのホールケーキに、小夜が直接スプーンを差し込もうとしていたからだ。


「あ……ひと口! ひと口だけだから!」

「小夜さん、ひと口でとまらないでしょ。ちゃんとひと切れにするから貸して」


 ひょいとケーキを取り上げると、小夜はスプーンを手に恨めしげな顔をしていた。


「丸ごとひとりで食べるのが夢だったのに……」

「え、小夜っち、私たちの分は」

「あ、もちろんみんなでだよ? ひとり占めなんてしないよ?」


 ついさっき、ひとりで、と呟いた口が何を言う。


「はい、ひと切れ」


 きっちり八等分したうちのひとつを皿に載せ、小夜に渡す。

 見るからに不満そうではあったけれど、溶ける前におとなしく食べ始めた。


 どうして八等分なのかは、誰も聞かない。

 小夜と流空、野本と水城、それに小夜の両親と弟、最後のひと切れは手術を終えた小夜の分。


 アイスケーキなら、冷凍庫に入れておけばたぶん問題ないだろう。

 手術後、流空がチョコレートパフェを作ってあげることができなかった時のために。


「アイスケーキって初めて食べるけど、案外美味しいのね」


 失礼なことを言いながら、水城がパクパクと食べ進める。


「美味いけど、これってただのアイスと何が違うんだ?」

「そういう情緒のないことを言う奴は、没収よ!」

「あっ、こら!」


 さっさと自分の分を食べ終えた水城が、野本の手から皿を奪い取った。

 野本も必死に取り戻そうとするが、水城の身軽さに負けて取り返せずにいる。


「小夜っち、ふたりで山分けよ!」


 野本の攻撃を避けながら、水城がアイスケーキを掬ったスプーンを小夜の口元へと差し出す。

 小夜は餌を投げられた犬みたいに、パクッとそれに食いついた。


「あ! 小夜さん、ひと切れって言ったでしょ!」

「ひと切れのうちだよ! 私の分のケーキ、ちょっと小さかったし!」

「ちゃんと平等に八等分したよ。水城さんも、小夜さんに餌を与えないで」

「そうだそうだ! つか、それ俺のだからな」

「ふたりとも男のくせに細かいこと言わないの! 小夜っちの誕生日なのよ? 主役を崇めなさい!」


 水城が小夜のほうを向いて両手を高く掲げた。

 ポーズだけ見れば、確かに崇めているように見えなくもない。

 その手には、野本の分のアイスケーキの皿があったけれど。


「小夜ちゃんにあげるんならまだわかるけど、お前が食ってんのが納得いかねえ!」

「野本のものは私のもの、私のものは私のもの。あ、今日だけは心の友、小夜っちのものだったわ」

「ジャイアニズム出してくんな。あー、もういいよ。流空、責任もってお前のを寄越せ」

「えー? 僕に責任あった? まあ、あげるのはいいけど」


 仕方ないと野本に半分ほど残っているアイスケーキを渡すと、またそれを水城が奪う。


「あー!」

「さあ、小夜っち、宴の始まりよ!」

「小夜さんにあげるのはなしだって!」


 慌てて水城から皿を奪い返そうとしたが、見ていた以上に水城はすばしっこくなかなか捕まらない。


「すごい、かなちゃん!」


 最終的に、男ふたりのアイスケーキも女の子たちのお腹の中に収まった。

 野本とふたりで水城を追いかけ回していたせいで流空は疲弊していたが、小夜が楽しそうに笑っていたから、まあいいかと吐息をつく。


「そうだ。来年の小夜っちの誕生日はみんなで海、行かない? スイカ割りとかしようよ」

「大学四年だぞ? 就活とか卒制とかそういうのどうすんだ」


 なんとも夢のないことを言う野本に、水城はいやそうに顔をしかめた。


「夏までに決めればいいでしょ。卒制だって準備しておけば大丈夫……なはず。ね、小夜っち」


 話を振られた小夜は、困ったように流空に視線をやる。

 ああ、これはまだ小夜の中に残っているのだなと気がついた。


「ごめんね、水城さん。来年の小夜さんの誕生日はもう予約済みなんだ」

「何よ、予約って」

「おい、叶恵さま。そこは空気読め。カップルに割り込むなよ」


 野本に軽く小突かれ、ようやく気づいた水城が顔を赤らめる。

 意外に純情らしい。


「そっか。そうだったわね。渡会ってそういうタイプだったわ」

「そういう、の意味はまったくわからないけど、ごめんね」


 来年の誕生日は、小夜とふたりで星を見に行く。

 そう、これは決まっていることなんだ。




 野本と水城が夕方に帰ったあとも、流空は病室に残っていた。

 バッグの奥に詰め込んでおいた物を見つめて、悩んだ末に引っ張り出す。

 ぎりぎりまで迷っていたけれど、このくらいのエゴは通しても、きっと許されるはずだ。


「小夜さん」


 身体の後ろにそれを隠してベッドに近づき、パイプ椅子に腰を下ろした。


「どうしたの?」


 小夜は少し眠そうな目で、流空を見上げる。


「これ、もらって」


 さっと、ベッドの上に手のひらより少し大きいくらいのプレゼントを置いた。

 ピンクの包みに銀色のリボンでラッピングされたそれは、とても軽い。


「明日はきっとバタバタしてて、渡しそびれちゃうと思うから」


 嘘ではない。明日になったら、渡せない可能性もあるというだけで。

 流空の真意に気づいていたかもしれないが、小夜は「わあ」と嬉しそうな声を上げた。


「開けていい?」

「もちろん」

「何かな~」


 鼻歌交じりに、小夜がリボンに手をかける。

 誕生日プレゼントに何かを自分がリクエストしたなんて、すっかり忘れた顔をしていた。

 だから、ピンク色のまるっとしたぬいぐるみを見て、一発で言い当てた時には驚いた。


 覚えていたのかと思って。


「あ! エトワールだ!」

「え……っ」

「かわいい! これ、エトワールだよね? このぽんぽんお腹がそっくり!」


 両手でピンク色の猫のぬいぐるみを持ち、小夜が満面の笑みを浮かべる。


「ピンク色なのもいいなあ。よーし、きみは今日からエトと名付けよう」


 ピンク色なのも、猫なのも、エトワールに似たお腹なのも、すべてきみの指定だよ。


 心の中でだけ呟いて、唇に微笑を乗せた。


「よく似てるでしょ。見かけた瞬間、これしかないと思って」


 忘れてしまってもいい。

 小夜がくれた言葉は、流空の宝物として残っている。


「ありがとう、大切にするね。あ、これ! キーホルダーにもできるんだ!」

「うん。首輪のとこに付属の紐をくっつけるとね。でも、鞄につけるには大きすぎない?」

「ふっふっふ。この大きすぎる感じがかわいいんだよ。ね、流空くん。私のバッグ取って」


 そこそこ、と指差され、棚の上に置いてあった白地に花柄プリントのバッグを渡した。


「ありがと。これに、こうして……っと。できた! どう?」


 ベッドの中で、小夜はバッグを肩に提げてポーズを取って見せる。

 なんともまぬけな様子に、思わず吹いた。


「あっ、なんで笑うの?」

「えっと、小夜さんがかわいいから……かな?」

「そんな顔で言われても説得力ないよ!」


 もう、と拗ねた顔をしながらも、小夜はエトを気に入ってくれたようで、一度バッグから外すと手にしたままベッドに横になった。


「流空くん」


 もうちょっとこっちに来て、と布団をポンポンと叩かれて、パイプ椅子を寄せる。

 エトと共に布団に潜り込んだ小夜は、まくらに押しつけた髪の毛がぐしゃぐしゃでかわいい。

 子供が絵本をせがむような顔をしているから、つい笑ってしまった。


「どうしたの?」

「流空くんをひとり占めだなって思ったら、手を繫ぎたくなったんだけど、どう思う?」


 どう思うも何も、ひとり占めをするのは流空のほうだ。

 やっと、小夜をひとり占めできた。


 布団の裾から出された手をきゅっと摑むと、小夜ははにかむ。


 目が、カメラになればいいのにと思う。

 目にした一瞬一瞬をすべて焼き付けておきたい。


「このまま、眠ってもいい?」

「うん」


 眠ってしまったら、手を離して帰っていいからと小夜は言う。


 だけど、さみしくないのだろうか。


 眠る時にはあった体温が、目が覚めた時にはなくなっている。

 それともそれも記憶という一時的な時間の区切りがあるだけで、過ぎてしまえば感情とは切り離されてしまうのだろうか。


 小夜といる間は、手術やそのあとのことをなるべく考えないようにしていた。

 一緒にいられるこの瞬間を大切にしようとか、そんなきれいごとではなくて、考えたところで時間は過ぎるし、その時はやってくる。


 どうしたって怖いものは怖い。

 考えると止まらなくなって泣いてしまいそうになるから、「大丈夫」と言ったきみの言葉をもう一度信じようと思う。


 眠る小夜の顔は静かで、微笑んでいるようにも見えた。


「……小夜さん、もう寝ちゃった?」


 そっと問いかけると、笑みが深くなる。


「そんなに早く寝れないよ」


 瞳は閉じたまま、摑んだ手に力が込められた。

 その体温を逃すまいと、流空も握り返す。


「どんな夢を見るの?」

「わからない。でも楽しい夢がいいな。流空くんも出演していいよ」

「友情出演?」

「恋人も友情出演って言うの?」


 くすくす笑うのに、やっぱり小夜は目を開けない。

 それが不思議な感じがして、じっと見つめてしまう。


「夢って起きると忘れちゃってるけど……どこにいっちゃうんだろうね」


 私の消えた記憶も、どこかにあるのかな。


 小夜がそう言っている気がして、上手く笑えなかった。

 けれど小夜は流空の顔を見ていないから、声だけなんでもないような演技をする。


「夢のお城があって、そこにぜんぶ詰まってるんだよ」


 細谷教授の映画に出てきたような迷宮と化した宮殿ではなく、あたたかく迎え入れてくれるような城がいい。


「ぜんぶ? いいなあ。行ってみたいな、そのお城」

「行けるよ。行きたいと思ったらきっと」


 夢の世界なら、きっと行ける。

 起きた時には忘れてしまっているだろうから、行ったことさえ覚えてはいないだろうけど。


「……流空くん」

「うん?」

「ちゃんといる?」

「手つないでるでしょ?」


 そうだね、と呟く声は消えてしまいそうに小さくて、わざと強く手を摑んだ。


「……出会わなければよかったって、思う?」


 小夜がそっと問いかける。


「私は、思わない。思ってないんだ、ごめんね」


 同じだよ、思ってないよ。

 という流空の返事に小夜は笑う。

 幸せそうに、笑う。


「……眠くなってきちゃった」


 おやすみも、明日またねもなしに、小夜は静かな寝息を立て始めた。

 元気そうにしてはいるけれど、野本や水城も来ていたし、疲れていたのかもしれない。

 明日が手術だという、緊張もあったことだろう。


「おやすみ、小夜さん」


 目が覚めた時もどうか、きみのままでいて。

 いなくなったりしないで。




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