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きみを殺すための5つのテスト  作者: 狐塚冬里
第五章 大好きだから、さよなら
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第六話 あなたが、渡会流空さん?

 小夜の家族旅行は一週間ということだったので、流空はその間はすべてバイトを入れた。

 人が足りていると言われてもマスターに頼み込んで、全日オープンからクローズまでカフェに入り浸る。


「何かしてたい気持ちはわかるけど、渡会くんはちょっとワーカホリックだよねえ」


 人が余ってしまった関係で、マスターはのんびりと端の席で読書に勤しんでいた。

 マスターが休む分を流空が働かせてもらっているのだが、マスターからすると無駄に人件費を払わなければならないのだから、迷惑な話だろう。

 バイト代は出さなくてもいいと申し出てみたのだが、それは駄目だときっちりシフトに入れてくれた。

 なんだかんだ言って、優しい人なのだ。


「こんなに毎日出るなら、厨房にも手を出してみる?」


 冗談半分に言われたけれど、それはそれでありかもしれないと思う。

 流空の担当はフロアで、レジや接客が主な業務になる。

 けれどラテアートやパフェ、ケーキといった盛りつけ程度はやらせてもらっていた。

 厨房の仕事ができるようになれば、自炊にも活かせるし、店でももう少し役に立てるようになるだろう。

 コーヒーだけは、マスターが淹れたもの目当ての客が多いので、聖域と化しているけれど。


「教えてもらえるんですか?」

「槇くんの手が空いてたらね。って言っても、夏休みはのんびりしてるし、槇くんは乗り気だし、いいんじゃないかな」


 乗り気と言われてキッチンを振り返ると、槇がこそこそとこちらを覗いていた。

 どうやら、会話が聞こえていたらしい。


 まかないにリクエストをするようになってから、槇との距離は以前よりも近い。

 兄がいたらこんな感じだったのかもしれないと、柄にもなく思うこともある。

 その槇に教えてもらえるのなら、きっと楽しい。


「それなら、教えてもらってる間はほんとバイト代いいですよ。仕事じゃないんだし」

「渡会くんのその学生らしからぬ遠慮はどこからくるのかなあ。ゆくゆくは僕が楽させてもらうんだし、教えるのも仕事のうち。だからそういうことは気にしない」


 こういう時、マスターはきちんとした大人に見える。

 普段は子供みたいな言動が多い人だけに、意外でもあり勝手に少し距離を感じた。


「それじゃあ、お言葉に甘えて……」


 槇に手招きされるままにキッチンに向かおうとした流空だったが、新しい客が入って来るのが見えてすぐに向きを変える。

 槇もそこは心得ていて、さっとキッチンへと引っ込んだ。


「いらっしゃいませ」


 流空が接客用の笑顔で頭を下げると、中年の女性客は流空以上の丁寧さで頭を下げる。

 客にしては丁寧過ぎるそのお辞儀に、戸惑った。


「あなたが、渡会流空さん?」


 緩くパーマをかけた髪をひとつにまとめた女性が、流空の顔を見上げる。

 その瞳の形に、もしかしてという予感と、そんなはずはないという気持ちが綯い交ぜになってこんがらがる。


「渡会は僕ですが……」

「ああ、やっぱり。娘が話していた通りの人ね」


 女性は人好きのする笑顔を浮かべ、両手を胸の前で合わせた。

 娘、という言葉と、何より女性の笑顔から、この人は小夜の母親なのだとわかった。

 けれど小夜はその家族と旅行中のはずで、ここに家族である母親がいるのはおかしい。



 旅行は?

 母親がいるなら、小夜はどこにいるのか。


 それとも、この人は小夜の母親などではないのか?

 けれど、笑顔が似すぎている。


 どうして会いにきた?

 小夜はいま……。



 動揺で固まってしまっている流空を見かねて、マスターが後ろから声をかけた。


「渡会にご用ですか?」

「お仕事中ですのに、すみません」

「かまいませんよ、空いている時間ですから。よければ、奥の席へどうぞ」


 渡会くんも、と背中を押されて、ようやく身体が動き出す。

 マスターの用意してくれた席は他の客からはあまり見えない席で、さっきまでマスターが陣取っていた席だった。


「どうぞ、ごゆっくり」


 あたたかいコーヒーがテーブルの上で湯気を立てている。

 その湯気を見つめている間に、女性は予想した通り小夜の母だと名乗った。


 小夜がいないのに、小夜の母親がいる。

 それも、彼氏である流空に会いに来ている。


 一体なんのための訪問なのだろう。

 頭を駆け巡る様々な憶測を、言葉にできないままコーヒーで喉の奥へと流し込んだ。

 想像だけしていても、始まらない。


「……家族旅行に行くと聞いてたので、驚きました」


 小夜の母は痛ましいものでも見るような目で、流空を見た。

 居たたまれなくて、目を伏せそうになる。


「あの子が、そう言ったのね?」

「はい」

「そう……」


 けれど、その視線は流空にではなく、自分に向けられたものだったのだなということが、テーブルの上で固く握られた母親の手からわかった。

 この人は、悲しみのただ中にいる。



 小夜に、何かあったのではないか。



 小夜の母が現れた時から抱えていた不安が、濁流のように流空を押し流そうとする。

 鼓動が勝手に速くなり、鎮めようと思うのに上手くいかない。

 親という世代が出てきてしまうと、二十歳を超えていようが自分たちはこんなにも子供だったのかと痛感する。

 その現実から目を逸らすように、膝の上に置いた手をきつく握りしめた。

 爪の痕が残り関節が白くなるくらい、きつく。


「あの子、入院しているの」


 ──大丈夫。ちょっと治療すれば治るものだから。


 明るい小夜の声が、頭の中で響く。

 入院することは、『ちょっと』治療することのうちに入るのだろうか。

 ちょっと、なんて曖昧な言葉ではわからない。

 聞きたいことが山ほどあるはずなのに、何ひとつ言葉にならなくて視線が彷徨う。


「何も聞かされていないことを、怒らないであげて」

「あの子なりに、あなたに心配をかけないようにと思ってのことだと思うの」

「何も知らないのに、急に押しかけたりしてごめんなさい」

「今日あなたに会いに来ていることは、あの子に話していません」

「話したら、きっと駄目だと言われると思ったから」

「けれど、あまり時間がなくて……」

「ここには、あなたにお願いしたいことがあって来たのよ」


 小夜の母の声はきちんと聞こえているのに、右から左へと抜けていってしまって相づちが上手く打てない。


 少し、待ってほしい。


 せめて流空が、これが小夜の話だと実感するまで。


「あの子ね、手術を嫌がっているの」


 ぽつりと落とされた呟きが、ようやく流空の耳に届いて止まった。


「……え?」


 よほどぼんやりした顔をしていたのだろう。

 小夜の母は、困った顔のままもう一度繰り返した。


「小夜は、手術を受けたくないって言っていて……」


 手術、という現実とはかけ離れた出来事に眩暈がする。


「あの……手術は、どうしてする必要があるんですか……?」


 すでに説明されたあとなのかもしれないが、何も覚えていなかった。

 小夜の母が、流空の質問に小さく頷く。

 その反応では、一度説明されたことなのかは判断できなかった。


「あの子が中学生の頃、酷い事故に遭ってね……」

「バスの……事故のことですか?」

「ええ。あの子が、その話を……?」

「はい……以前に」


 驚いたように目を見開いたあと、じわりと浮かんだ涙を白いハンカチで押さえる。


「……星太のことがあるから、自分からは人に話さないのよ。でも、そう……。あなたには、話したのね」


 ──しょうた。


 誰のことだろうと疑問が浮かんだが、そんなことよりも小夜の話だ。


「その時の怪我が原因で、手術が必要なんですか……?」


 大したことないと、言っていたのに。

 顔を上げていられず、すっかり冷めたコーヒーに視線を落とした。

 黒い液体の上には、悲壮な顔をした男が映っている。


「正直に言うと、原因ははっきりしていないの。おそらくは、事故の時にできた血腫だろうと先生はおっしゃっていて」

「でも、出血が微量だったから……手術はしないで済んだんですよね……?」


 以前、小夜に聞いた話を必死に思い出していた。

 あの時、小夜はどんな顔をしていた?

 大丈夫だと言いながら、不安そうにしていたんじゃないのか。


 けれど思い出そうとすればするほど、思い浮かぶのは「大丈夫だよ」と笑う小夜の笑顔で。

 信じたいと思う気持ちが、流空の記憶を鈍らせる。


「ええ。あの時は頭蓋骨のすぐ内側に出血があったけれど、自然吸収されるレベルだからと経過観察になったわ。それが、今度は脳の内側に石灰化した血腫が見つかって……」

「石灰……え? 血とは違うんですか?」

「以前できた血腫が、長い時間をかけてそうなってしまうことがあるらしいの。それが、脳の内部……扁桃体辺りね。そこを圧迫しているせいで、記憶が混乱しているんだろう、って」

「扁桃体……」


 脳がどんな構造をしているのかなんて、流空にはわからない。

 つまりは、どういうことなのだろう。

 理解が追いつかない流空のためのように、小夜の母は細かい症状の話を切り上げた。


「安心してちょうだい。手術と言っても、成功率はとても高いのよ」


 何をどう、安心していいのかまるでわからない。


「ただ脳内のことだからいつまた、別の出血を引き起こすかわからなくて……。できるだけ早く、手術をする必要があるの」


 できるだけ、というのはどのくらいの期間を指すのだろうか。


「それなのに、あの子は……決心がつかないと言って、手術を引き延ばしていて」


 その手術は、本当にしなければいけないものなのか。


「いつ、何が起こってもおかしくない状況なの。手術をしないと──……」


 しないと──。


「流空さん」


 小夜とよく似た、凜とした声だった。

 俯いたきりになっていた流空の顔が上がる。


「どうか、あの子に手術を受けるように言ってやってください」


 深く頭を下げられ、流空の中で絶対だった小夜の「大丈夫」にひびが入る音が聞こえた。


 信じると言った。

 信じていた。

 まだ、信じている。


 そこに何かあることに気づいていても、それ以上聞こうとしなかったのは、信じたからだ。



 でもそれは、本当に?



 母親がわざわざ恋人の元を訪れるようなことが、「大丈夫」なうちに入るのだろうか。 

 小夜の母には小夜が入院している病院の名前を聞き、今日のうちに会いに行くことを約束して帰ってもらった。

 話の一部始終を聞いていたマスターからは早退の許可が下り、そのまま従業員控え室へと引っ込んだ。

 そこで、着替えるよりも先に一眼レフを引っ張り出す。

 カメラの中には、小夜を映したデータが何枚もあった。

 流空だけが持っている、小夜の写真だ。

 一枚ずつそれを見つめ、大学の噴水の前で嘘をつかれた時の写真で手が止まる。


 家族旅行に行くことになった。


 そう告げた小夜の目は、星の見えない夜のように暗い。

 それを見てしまうとまた、小夜の「大丈夫」に亀裂が走った。

 

 でもまだ、信じている。



 そんなに大変なことにはなっていない。





 そうだよね、小夜さん?


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