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きみを殺すための5つのテスト  作者: 狐塚冬里
第五章 大好きだから、さよなら
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第四話 ぜんぶ、僕だけのもの

 小夜の様子がおかしい……気がする。


 夏休みに入った頃から、何か隠し事をされているような気がするのだ。

 あくまで、それは流空の感覚の問題に過ぎないので、言いがかりだと言われればそれまでなのだが、小夜のこととなるとあまり冷静に客観視できなかった。


 本当に些細なことなのだが、例えば、昨日行ったカフェの名前を間違える、昨日一緒に食べたケーキの話をすれば何故か違うケーキを食べたと思い込んで話す。

 そんなことだった。


 初めは、ただの言い間違いだと流空も気にしていなかった。

 以前も桃パフェをフルーツパフェと間違えていたし、記憶違いということはあるだろう。

 けれど、その回数が五回も六回もとなってくるとさすがに気になってしまう。


 小夜が些細な間違いを犯すのは、流空ではない誰かと同じようなことをしているからではないのか、と。


 勘ぐりすぎだとは思う。

 でももし、小夜が流空の知らない誰かと、流空と同じようにカフェに行ったり、映画を観たりしているのかもしれないと思うと、冷静ではいられなかった。

 もちろん、小夜が二股をかけるような女の子ではないことはよくわかっている。

 だからこそ、これは流空に対するなんらかのメッセージなのかもしれないと勘ぐってしまうのだ。


 それに、やたらと流空の前では元気に振る舞おうとする。

 ちょっとした頭痛を隠そうとしたり、流空が心配しそうになると大げさなほど元気さをアピールしたりした。

 流空に心配されて遠慮する必要がどこにあるのだろう。

 それとも、流空に心配をかけることで申し訳ないと思う何かがあるのか……。


 何が、いけなかったのだろう。


 小夜に見限られるようなことをした覚えはない。

 だが、本当に何もないのか、と誰かに問われれば自信はなかった。

 無自覚に何かをしている可能性はないとは言えない。


 付き合って一ヶ月ちょっと、互いの性格を知るには十分な時間があったと思う。

 夏休みだからといって、デートを申し込み過ぎたのかもしれない。

 考え出してしまうと自分への駄目出しが次から次に浮かんでしまい、溜息が零れた。

 フラれた経験なら嫌というほどある。

 その誰も、引き留めたことはない。

 けれど小夜は、もしかしたら初めて本気で好きになれた人だ。



 失いたくない。



 かといって引き留め方なんてわからず、思い悩んでいる間に小夜と約束した一時間も前に待ち合わせ場所についてしまっていた。

 約束した場所がカフェでよかった。

 早くついても、時間を潰して待っていられる。

 ひとまず何かしてしまったにしろ、まだ別れを切り出されていないのだからどうにかなる。

 そう自分を励まして、カフェへと足を踏み入れた。

 けれど、席を案内される前に、見慣れた小さな背中を見つけてしまった。


 小夜がいる。


 約束の時間までまだ一時間もあるのに、すでに来てカフェの席についていた。

 早く来るのは、たとえば気持ちが急いている場合や、何か別のことをしていたい場合だろう。

 でも……と、もうひとつ、嫌な仮説を思いついてしまった。


 小夜はすでに、誰かと会ったあとなのではないか。


 流空の知らない誰かとの約束が思ったより早く終わったとか、元々かぶらないように一時間余裕を見ていたとか、そういう可能性はないだろうか。

 妻の浮気を疑う夫みたいな思考回路に自分でも嫌気がしたが、これが嫉妬というものなのかと、どこか他人事に考えている自分もいる。


 見つからないようにゆっくりと小夜のいる席に近付きながら、様子を窺った。

 どうやら、小夜はビデオカメラを再生しているようだった。


 単純に、やりたい作業があったのかもしれない。

 誰かといたのではなくて。


 それなら、早く来ていても納得できる。

 少し落ち着こうと軽く深呼吸をしてみたが、小夜が見ている映像が見えると眉根が寄った。

 小夜が見ているのは、昨日の自分とのデートを撮ったものだった。

 それを見ながら、熱心にメモを取っている。

 先週のデートの様子を見返し、何をメモするというのか。

 いくつか予想を立ててみたけれど、どれも上手くピースがはまらない。


 いくら考えてもわからないものはわからないので、諦めた。

 悶々と気にするくらいなら、直接聞いたほうがいい。


「小夜さん」


 声をかけると、小夜は飛び上がらんばかりに驚いて、慌ててビデオの再生をストップした。

 モニターの中にいる自分が、何かを言おうとした姿のまま停止する。


「流空くん……。約束の時間まで、まだ結構あるよね……?」


 窺うような、自信のなさげな視線に、とっさに噓が口をついて出た。


「昨日の夜、電話で早くしたの忘れちゃった?」


 顔色ひとつ変えずに噓をつける自分を、この時ほど憎んだことはない。

 小夜は知らない外国の街に放り出されたみたいな、頼りなげな顔で流空を見上げた。

 泣いてしまうのではないかと思い、「ごめん」とすぐに口にする。

 けれど、これで確信した。



 小夜はやはり、何か秘密を抱えている。



 断ってから隣の席に座り、カフェオレを注文した。

 小夜の注文したらしい紅茶はまだ残っていて、流空の飲み物だけ届くのを待つ。


 店員が会話を遮るのを避けるほど、深刻な話をするつもりなんてない。

 ないのに、どちらも飲み物が届くまで口を開けずにいた。


 なんだろう、この重苦しい空気は。

 カフェオレがテーブルに置かれ、喉を湿らせても軽口が出てきそうにない。


「小夜さん、今日の約束の時間は合ってる。夜に電話したっていうのはカマをかけたんだ」


 小夜の目が、驚きと悲しみに暗く沈んだ。


「ごめん。そんなに驚かせるつもりはなくて……」

「……ううん。私こそ、大げさに驚いちゃって」


 しん、と再び沈黙が落ちる。

 この話の終着点がどこにあるのかわからなくて、流空も次の言葉を継げずにいた。


 小夜は一体、何を隠しているのだろう。

 それは、最近多くなった勘違いの数々と関係しているのだろうか。


「……小夜さん。もし、何か僕に隠してることがあるなら教えてほしい。言いたくないことなのかなって思うんだけど、最近の小夜さんを見てるとたまに不安になるよ」

「そう、だよね。不安になっちゃうよね」


 小夜が困ったように自分の前髪をくしゃりと摑む。

 それは最近、小夜が頭が痛いことを誤魔化す時によくする仕草だった。


「もしかして、頭痛いの……?」


 はっとしたように、小夜が手を下ろす。

 慌てて誤魔化すようなその仕草に、「大丈夫?」という言葉は引っ込んだ。

 流空が心配することを、小夜は怖れている。

 小夜は少しの間、手元のミルクティーを見つめてから、勢いよく顔を上げた。

 まっすぐな目が流空を捉える。


「……うん。隠し事はしちゃダメだね。ちゃんと話す」


 聞いてくれる? と視線で問われ、流空は姿勢を正した。


「中学生の頃にね、バスの事故に巻き込まれたの」


 はっ、とした。

 流空の家に初めて小夜を連れて行った夜、小夜はバスに乗りたがらなかった。


「もしかして、車苦手?」

「……ちょっとだけ」


 あの夜のやりとりが脳裏に浮かび、胸を重くする。

 ちっとも、『ちょっと』ではない。


「結構大きな事故で、私は足を骨折したのと、頭を強く打って……。鞭打ちにもなっちゃってね。あの首のコルセット、つけて学校に行くの恥ずかしかったなあ……」


 まるで、ただの思い出話をするような雰囲気だった。

 だが、そんなはずはない。

 この話は、小夜の現在の不調に続いているはずだからだ。

 流空が身構えた通り、話は徐々に深刻さを帯びていく。


「事故の直後は、CTでもMRIでも何も問題はなくてすぐに退院したの。でも、しばらくしてから頭痛が酷くなっちゃって、違う病院で診てもらったら……脳に損傷があるって診断された」


 小夜の手が、カップに伸びる。

 けれどそこに入っていたミルクティーはさっき小夜が飲み終えてしまっていて空だった。

 それに気づいて、本当に悲しそうに目を伏せた。


「私も難しいことはよくわからなかったんだけど、血が頭蓋骨の中? に溜まってるって言われたのね? でもすごく微量だし、症状も軽かったから手術とかもしないで、経過観察することになったの。数ヶ月経っても問題なければ自然吸収されたことになるから大丈夫だよって、お医者さんにも言われた」


 小夜は明るい口調で言うが、簡単なことではなかったはずだ。

 事故に巻き込まれ、負った怪我は身体のみならず心も傷つけただろう。

 それを思うと、なんでもないことのように話させていることに、胸が痛んだ。


「さすがにもう大丈夫って思ってたのに、最近、頭が痛くなることが多くなっちゃって」

「それ……この頃の勘違いと関係してたりする?」

「……たぶん。時々、物忘れが酷くなっちゃうことがあるのは、そのせいだと思う」


 物忘れ。


 言い間違いや勘違いではなく、自分が言ったことを忘れてしまった結果だったのだと、初めて知った。

 どちらのほうがいいのかなんて判断はつかなくて、何も言えない。

 流空の戸惑いを押し流すように、小夜は急いで言葉を重ねた。


「ちゃんと病院で診てもらわないとわからないんだけど」

「行こう、病院。今すぐ、検査してもらおう?」


 頭の中での出血と言われると、テレビやネットでもよく見かけるくも膜下出血や脳卒中といった、死亡確率の極めて高いものが思い浮かぶ。

 それは流空を焦らせるのに十分な効力を発揮し、足元から這い上がってくる不安に手が震えた。

 すぐにでも店を出ようとする流空を、小夜は両手で止める動作をした。

 どうどう、と興奮した牛を抑えるような、ちょっとコミカルな仕草に勢いを削がれて、腰を降ろす。


 もしかしたら、小夜は流空がこんなふうに取り乱すだろうから、隠そうとしていたのだろうか。

 だとしたら、申し訳ない。


「病院には行きます。流空くんにも心配かけちゃったし。大丈夫。ちょっと治療すれば治るものだから」

「……ほんとに?」

「うん。ほんと。せっかくの夏休みがフイになっちゃうのがいやで、ずるずる先延ばしにしちゃってたの。だって、病院って並ぶでしょ?」

「まあ、並ぶね」

「デートできる日が減っちゃうでしょ?」


 それがいやだったの、と小夜は笑う。

 そんな理由で? と言ってしまうとそれまでなのだが、心底ほっとした。

 小夜に愛想を尽かされるような何かがあったわけでも、小夜の不調にはきちんとした理由があってすぐに治るということにも。

 わかってしまえば、こんなものなのだろう。


「小夜さん、大学生の夏休みは長いんだって知ってた?」

「知ってるけど、もったいなくて」

「もう、色々心配しちゃったよ。小夜さんにフラれたらどうしようとまで考えてたよ?」

「流空くんって、案外心配性だよね。大丈夫。何かあったとしても、フラれるのはきっと私のほうだよ」

「あのね、僕が小夜さんをフルはずないでしょ。夢中なのに」


 冗談のように言っても、小夜は照れた顔をする。

 その顔を見て、ああよかったと思う。

 小夜がいなくなってしまったらと想像するだけで、何も考えられなくなる。


「じゃあ、本当に信じるからね? 病院、ちゃんと行って」

「はい、行きます。心配かけると流空くん泣いちゃうかもしれないし」

「泣いちゃうよ、ほんとに」

「ふふ、そうしたら慰めてあげるね?」

「泣かせた本人なのに?」

「泣かせて慰めるまでがワンセットだよ」

「とんだSっ子だね」


 顔を見合わせて、どちらともなく吹き出すようにして笑った。

 ここに来るまでに抱えていた不安が、弾けて消える。


「けど、病院に行くとなると、ちょっと会えなくなるのはほんと。簡単な治療のくせに、回数が必要なんだってすっごく前に言われてて。それで、いやだなって思ってたんだ」

「歯医者みたいなもの? 段階を経て治療してくみたいな」

「たぶんそんな感じ。だから、デートの回数減っちゃうのはごめんね」


 いくら会える回数が減るからといって、まさか病院にまでついて行くわけにもいかない。

 多少の寂しさくらいは、我慢しよう。


「仕方ないよ。あ、そうだ。その代わりじゃないけど、小夜さんのこと撮らせて」


 バッグから一眼レフを取り出すと、あからさまに小夜が顔をしかめた。

 やっぱり駄目かとカメラをしまおうと思ったのだけれど、まだ、駄目だとはっきり言われていない。

 気のせいでなければ、小夜の目は少しだけ迷っている。

 少しだけ、押してみてもいいかもしれない。


「撮った写真は僕しか見ないようにする。他の誰にも見せない。それでもだめかな?」


 人から自分がどう見られているのかが、怖い。


 小夜が自分を撮られることをいやがる理由は覚えている。

 けれどそれを見る人物が、流空だけでも駄目だろうか。


「……私にも、撮った写真は見せないようにしてくれる?」


 それは、控えめな了承だった。


「見せない。ぜんぶ、僕だけのものにする」

「それだけ聞くと、流空くんちょっと独占欲の強い人みたいだね」

「みたい、じゃなくて結構強いと思うよ?」


 小夜を知って、初めてわかったことだけれど。

 言葉には出さずに、カメラを向けた。

 小夜は眩しそうな顔でレンズを見つめ、そっと視線を伏せる。

 長い睫毛が、頰に灰色の影を落とした。





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