第三話 人はどうして眠らなければならないのか
夏休みが来て、流空のバイト時間もぐんと延びた。
小夜をつれて行きたいところがたくさんあるから稼いでおきたいということもあったけれど、単純に他にすることがなくてバイトを入れているということもある。
でも、この状況は予想外だった。
「渡会くんも混ざりたいんじゃない?」
にやにやと意地の悪い視線を送ってくるマスターに、精一杯の強がりで「そうでもないですよ」と返す。
窓際のテーブル席には、野本と水城、そして小夜が陣取っていた。
小夜が先約があるというのでバイトを入れたというのに、これはどういうことなのだろう。
「アイスコーヒーにカフェラテ、クリームソーダ、お待たせしました」
流空がトレイを手にテーブルに行くと、野本がそれは嬉しそうに顔をにやけさせる。
水城は呆れて、小夜は少し申し訳なさげに。
その顔だけで、どうしてこうなったのかがよくわかる。
大方、小夜と水城が課題をやろうと約束していたところに野本が割り込み、さらに場所をここに変更させたといったところだろう。
小夜からも、今日は課題をやるからと言われていた。
「や~、バイトとは精が出ますな~」
わざとらしい野本の労いの言葉は無視して、小夜に笑顔を向けた。
「ご注文の桃パフェは、もう少々お待ちくださいませ」
けれど、無視くらいでめげる相手ではない。
「店員さん、俺にも何かサービスしてくださーい」
「あのね、桃パフェも別にサービスじゃないから。小夜さんがさっき頼んだってだけだから」
「それくらいサービスしろよ。彼氏様のくせに」
「野本がいない時にいくらでもサービスするからいいの」
「ちょっとふたりともやめなさいよ。子供じゃないんだから。小夜っちが困ってるでしょ」
見かねた水城が仲裁に入った頃には、小夜は眉を八の字にしていた。
ちょっとみんなが羨ましかったからとはいえ、小夜にこんな顔をさせていては彼氏失格だ。
「ごめん、小夜さん」
「ううん。謝るのは私のほうだよ。ごめんね、流空くん。お仕事の邪魔をする気はなかったんだけど」
「大丈夫だよ。大学が休みに入ると、この店比較的暇になるし。長居しても文句は言われないと思う。あ、でも適当に注文はしてくれると嬉しいかな」
「そこは渡会せんせいのおごりで」
「残念ながら、当店ではそのようなサービスは受け付けておりません」
文句を言う野本を適当にあしらい、小夜の手元を覗き込む。
なんの課題かはわからないが、猫の姿を描いたスケッチブックを広げていた。
「それもしかして」
「うん、エトワール。最近、大学の裏門のほうで見かけて、描かせてもらったの」
猫相手にモデルみたいな言い方をすることが微笑ましい。
でっぷりとした腹といい、ふてぶてしい顔といい、見事に特徴を捉えていた。
「猫と言えば、野本。夏休みの間に猫をモチーフにしたミニアニメ撮るって言ってたのどうなったの?」
「うーん?」
なんの話だっけと、あからさまに野本が視線を逸らす。
「細谷教授の『美しき夢人』に匹敵するような作品を、とかなんとか言ってなかったっけ?」
「あー、うん。鋭意制作中であります」
誤魔化し切れないと察し、野本はせっせとストローでアイスコーヒーの氷を掻き回し始めた。
「その顔はまったく進んでないね?」
「いやだってさー、あの続編思い出せば思い出すほど、打ちひしがれるっていうか」
「続編より本編のほうが僕は好きだけど」
授業で見せられた続編の映画は、どちらかというと胸に痛かった。
「私も私も。母性愛とか言われるより、恋愛がよかった派。小夜っちは?」
にこにことみんなの会話を聞いていた小夜は、カフェラテに伸ばそうとした手を止める。
「私も、本編のほうが好きかなあ」
控えめに言ってはいるが、小夜が『美しき夢人』を繰り返し観ていることを流空は知っている。
小夜らしい解釈の仕方も流空は好きだった。
「あの中で、人はどうして眠らなければならないのか……っていう台詞があるよね。あれの、小夜さんの解釈が好きなんだ」
何気なく言うと、小夜が驚いたように顔をカフェラテから跳ね上げる。
「あれ、言ったことなかった?」
「うん、初めて聞いた。あの時は流空くん、そういう解釈もあるんだねって言っただけだったから」
「あれって、本編だと起きている間に叶わない夢を、眠りの中で叶えることで精神の均衡を保つとかなんとかって言われてたわよね?」
水城の言っていることはほぼあっているが、正確には違う。
少年の「人はどうして眠らなければならないのですか?」という問いへの答えは明確に示されていない。
ただ、願いの叶う世界を人は求めるからだと言われるだけだ。
それをどう解釈するかは観た人にまかせる、ということだと流空は思っている。
流空の解釈も概ね水城と似たようなものだった。
けれど、小夜は違う。
「夢を持ち続けるために、夢を見るんだと思う」
夢の中でいくら願いが叶ったとしても、目覚めてしまえばまた夢を追う日常が待っている。
しかし夢が叶った喜びを、たとえ見た夢を忘れていたとしても感覚だけは覚えている。
だからまたその喜びを求めて前へ進めるようになるのだと、小夜は語っていた。
夢への情熱を忘れないために、眠る。
その考えは流空にはないもので、とても好ましいもののように思えた。
小夜が自分の解釈について野本と水城に話している間に、流空は一度カウンターへと戻る。
小夜の注文した桃パフェを運ぶためだ。けれど生憎とパフェはまだできあがっていなかった。
仕方なく、お冷やを足すためという言い訳で再び流空が席に戻った時には、すっかり映画談義に盛り上がっていた。
「叶恵さまのその解釈はちょっと乱暴なんじゃねーの?」
「そんなことないわよ! 野本のほうが深読みしすぎなの!」
「……盛り上がってるね」
白熱する野本と水城のコップは、言い訳になどしなくとも空だったので、なみなみと水を注いでやる。
小夜も少し前までは議論に参加していたのか、脳の疲労を取ろうとするかのようにこめかみを揉んでいた。
よほど、頭を使わされたのだろう。
「大丈夫?」
「うん。ちょっとヒートアップしすぎちゃったみたい」
「ふたりにこの話題を振ったのはまずかったかな」
「そんなことないよ。みんなの解釈も聞けて楽しい」
それならよかった、と小夜と微笑みあっていると、料理ができたとカウンターから声がかかった。
今度は、できあがった桃パフェを手に小夜たちのテーブルへと向かう。
「はい、お待たせしました」
桃パフェを小夜の前に置いてやると、小夜が目を丸くした。
喜びというよりも、驚きで。
そんなに驚くような見た目だろうか。
生の桃とソフトクリーム、コーンフレークを使った、どちらかと言うと凡庸なパフェだと思うのだけれど。
「小夜っち、ひと口ちょうだい! 渡会、小夜っちの注文だからって盛ってないでしょうね?」
「これがうちの標準だよ」
横からスプーンを突っ込む水城を見つめてから、小夜はゆっくりと自分もスプーンに手を伸ばした。
パフェを頼んだ客用に、パフェが到着するよりも先にセットされていたスプーンを見て、なるほどと何か納得したような顔で。
「……小夜さん、どうかした?」
いつもなら、パフェが来るのをスプーンを手に待ち構えているくらいなのに、今日はやけにおっとりと構えている。
「ううん。どうもしないよ? 美味しそうだね、このフルーツパフェ」
──フルーツパフェ?
流空は嬉しそうに飾りのチェリーを口に運んでいる小夜を、眺めた。
小夜が注文したのは「桃パフェ」で、「フルーツパフェ」ではない。
桃パフェにも多少ではあるがチェリーといちごが載っているので、フルーツパフェに見えなくもない。
自分で注文したのではなければ、フルーツパフェと言ってしまっても不思議はなかっただろう。
でも、小夜は自分で「桃パフェがいいなあ」と注文したし、それにグラスマティネのメニューには桃パフェとは別に、フルーツパフェというものが存在していた。
きっと言い間違いか何か勘違いをしたのだろう。
そういうこともある。
大した問題ではないのだと、この時はまだ思っていた。




