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きみを殺すための5つのテスト  作者: 狐塚冬里
第五章 大好きだから、さよなら
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第二話 うちに来ない?

 無事に前期すべての授業と試験を終えたこともあり、流空は小夜を誘ってささやかな打ち上げをしようと計画していた。

 もちろん、前もって小夜のスケジュールも確保してある。


「小夜さん、そろそろ行こっか」


 学生たちがばらけ始めた頃合で手を引こうとしたのだが、その流空の肩にずしりとおんぶオバケがおぶさった。


「よーし、打ち上げ行くかー」

「……野本、重いんだけど。っていうか、なんで一緒に来る気満々なの」

「そんなの、打ち上げしたいからに決まってるでしょ?」


 乾き物が入っているらしいコンビニ袋を持ち上げ、水城がにやりと笑う。

 その腕は、小夜の肩へと回されていた。

 ごめん、と小夜の口が動く。


「渡会のことだから、なんかサプライズ的なもん用意してんだろ?」

「野本を喜ばせるためじゃなかったんだけどね」


 溜息をつきながらバッグから花火を取り出すと、おお、とみんなが目を輝かせた。

 肝心の小夜も、大きな瞳をきらめかせている。

 ちゃんと喜んでもらえたようでよかった。


「けど、大学で花火なんてしていいの? 怒られない?」

「許可は取ったよ。ただし中庭限定で、バケツを用意しておくことって条件付きだけど」

「さすが渡会。ぬかりねーな」


 野本と水城に引っ張られるようにして、流空たちは中庭へと移動した。

 六限まで授業を受けていたので、辺りはすっかり暗くなっている。

 学生も流空たち以外はすでに帰ったあとらしく、ひっそりと静まりかえった中庭はどこか神聖な場所のように感じられた。


「まずは乾杯からだよな。渡会、ノンアルと麦どっちがいい?」

「ノンアル。っていうか、お酒までは責任取れないからね?」

「やっぱり? そう言われるだろうから、ノンアルとソフトドリンクしか買ってねーんだけどな」


 それならなんで聞いたんだと呆れるが、野本は上機嫌に鼻歌を歌っていて流空の視線にも気づいていない。

 学園祭の上映作品に選ばれたことがよっぽど嬉しかったらしい。


「小夜ちゃんもジュース取ってなー」

「ありがとう」


 野本が差し出した袋の中から、小夜が一本を取りだした。

 片手には、しっかりとビデオカメラを握りながら。

 この打ち上げのひとコマも、余すことなく撮るつもりらしい。

 あとは水城に配るだけ、というところで、野本はさっと袋を足元に置くと別に買ってあったらしい紙袋から、何やら高そうなフローズン系ドリンクを取り出した。


「さ、叶恵さま……」

「あら、気が利くじゃない。ご苦労」

「ははー、有り難き幸せ」


 野本は片膝を地面につき、プラスチックカップを高く掲げる。


「え、何それ」


 女王と家来のようなそれに思わず突っ込んだ。


「まあ、今回の栄えある成果を出せたのも、叶恵さまのおかげだからな。俺なりに感謝の気持ちを表してみた」

「……もうちょっとなんかなかったの?」

「えー? ぴったりだよな?」

「そうね」


 水城がまるで動じた様子もなくカップを受け取っていたので、これが彼らにとっては当たり前なのかもしれなかった。

 流空には理解できないけれど。

 こっそり小夜と目配せし合い、これ以上突っ込むのはやめにした。


 全員の手に飲み物が行き渡ったので、ようやく打ち上げが始まる。

 音頭は野本が取った。


「それでは、前期の授業終了と我々の輝かしい未来に!」

「かんぱーい!」


 多少大げさなかけ声に、炭酸を開ける音が重なった。


「うわっ!」

「ひゃー!」


 開けた途端にあふれ出した炭酸に、流空と小夜が慌てて身体を避ける。

 野本と水城が犯人らしく、ふたりはしれっと自分の飲み物に口をつけていた。


「やっぱ、打ち上げって言ったら炭酸シャワーだよな」

「そう思うなら自分で開けてくれる?」

「濡れるのはちょっと」

「あのね……。小夜さん、服濡れた?」

「ちょっとだけね。でも炭酸水選んだから、平気だよ。流空くんは……あー、よりにもよって」

「ね。べったべただよ」


 恨めしげに野本を見ても、どこ吹く風だ。


「ちょっと洗ってくる。花火、そこにあるから始めてて」


 軽く手を振って四号館に向かう背中に、笑い声が聞こえた。

 振り返ると、三人のはしゃいだ様子が見える。

 たかがロウソクに火をつけるだけで、彼らはこれ以上ないくらい楽しそうだった。


 その中に小夜がいることを、いいなと思う。


 手洗いで手とジュースの飛び散ったTシャツを洗ってから出ると、白いワンピース姿の小さなシルエットを見つけた。


「小夜さん」


 薄暗い廊下で、パッと小夜が振り返る。

 ビデオカメラは置いてきたらしく、手ぶらだった。


「迎えに来てくれたの?」

「うん。半分は私のせいみたいなものだし」

「うん?」


 どういう意味? と隣に並んで窓の外を見ると、花火をつけてはしゃいでいる野本と水城の姿が見えた。

 周りが暗いこともあって、花火の火が眩しく光の尾を引いて動く。

 光だけを目で追うと、幻想的で美しい光景だった。


「打ち上げ、かなちゃんにうっかり話しちゃって」

「ああ、そういうこと。いいよ。小夜さんとふたりでっていうのも楽しかったと思うけど、ああいうふたりを見てると、みんなでやる打ち上げもよかったかなって思うし」

「……ほんとに?」


 小夜の目が、窺うように流空を見上げる。

 猫みたいな丸い目に見つめられると、流空の見栄なんてあっさりと見破られてしまうようで、苦笑いが漏れた。


「半分ね」

「半分なんだ」

「うん。半分は、小夜さんとふたりがよかったなって思ってる」

「……私も」


 こっそりと内緒話を打ち明けるように言われて、胸の中に甘酸っぱいものが広がる。

 窓の外をまっすぐに見ている小夜の横顔は、耳まで赤くなっていた。

 流空にまでその初心さが移ったように頬が熱くなる。

 まったく、柄でもない。

 廊下が暗くてよかった。


 そっと、小夜の小さな手に自分の手を重ねる。

 優しく握り返される感触に、笑顔が勝手に浮かんだ。


 この子に出会えてよかった。


 小夜がいなければ、流空はいつまでも冷めた気持ちを抱えたまま、無難でつまらない人生を歩んでいただろう。

 それはそれで悪くはないのかもしれないけれど、山があって谷があって、小夜と一緒に笑える毎日があったほうがずっといい。


「ねえ、小夜さん」


 パン、と窓の外で小さな打ち上げ花火が上がった。

 小夜の瞳の中に、光の花が咲く。


「この打ち上げが終わったら……うちに来ない?」


 明日から夏休みが始まる。

 大学生の長い夏休みが始まる前に、小夜をひとり占めしておきたかった。


 ツインテールにしている小夜の髪にそっとキスをすると、小夜は視線をおろおろと泳がせた。

 その隙に、ちょっと屈んで唇にもキスをする。

 途端に、小夜は俯いておとなしくなった。


 少し、急ぎすぎただろうか。

 出会って四ヶ月、付き合ってから約一ヶ月。


 恋愛事に初心な小夜からすると、このハードルは高いだろう。

 冗談だと言ったほうがいいかなと迷い始めた頃、小夜はこくりと小さく頷いてくれた。


「……流空くんはカメラが回ってない時ばっかりだなあ」


 照れ隠しみたいに言われて、首を傾げる。


「カメラの前で言ってほしかったの?」

「うん。そうしたらぜんぶ、いつまでも、忘れないでおけるでしょ?」

「忘れちゃってもいいよ。何度でも言うから」


 ビデオに撮られるほうが、よほど恥ずかしい。

 そういう意味を込めて言ったつもりだった。

 だけど、小夜は何故かちょっと泣きそうな顔で笑っていた。




 四人での打ち上げを切り上げて、駅へと向かう。

 いつもは駅で小夜を見送るのだが、今日は野本と水城にふたり並んで手を振った。

 手を振り返すふたりを、小夜のカメラが捉えている。


「行こうか」


 小夜の手を引いて、バス停へと歩き出した。

 夜だというのにセミの声が煩い。

 流空たちがあまり会話をしていないせいかもしれない。


「……家まで、バス?」


 バス停が見えてくると、小夜が足を止めた。

 小夜の声には戸惑いが含まれていた気がして、首を傾げる。


「もしかして、車苦手?」


 ほんの短い距離でも、酔ってしまうという人は案外多い。

 小夜もその類いだろうか。


「……ちょっとだけ」


 遠慮がちな返事だからこそ逆に、乗りたくないという気持ちが透けて見えた。


「んー、暑いの平気なら歩く? ちょっとかかるけど、歩けない距離じゃないし」


 提案した途端、小夜がほっとしたように肩の力を抜く。

 そんなに苦手なら、言ってくれればいいのに。


「暑いのは平気。夏生まれだから」

「関係あるの?」

「ないかな? 気持ちの問題かもだけど」


 そうだね、と返事をしながらバス停を通り過ぎる。

 よほどバスに乗らないで済んだことが嬉しかったのか、小夜は繋いだままの手を軽く揺らしていた。


「流空くんのお誕生日はいつ?」

「九月の二十二日」

「秋生まれなんだ。そんな感じする」


 まるでインタビューでもするように、小夜が流空の顔にカメラを向ける。

 至近距離から撮られることにももう慣れた。


「お誕生日に何かしてほしいことある?」

「僕の誕生日より、小夜さんのほうが先だよ?」

「そうだけど、聞いておきたいなって」

「してほしいことかあ……」

「流空くんもお誕生日会する?」


 頭の中にパッとピンクのぬいぐるみが浮かんでしまい、苦いものが胸の中に広がる。

 顔に出ていないといいなと思ったが、小夜の目は誤魔化せなかった。


「……お誕生日会、好きじゃない?」


 カメラを横にずらし、小夜がじっと見上げてくる。

 「私のも無理しなくていいよ?」と言われてしまいそうで、すぐに口を開いた。


「好きじゃないってわけじゃないよ。小夜さんの誕生日会はやりたいって思ってるし」

「でも?」


 先回りした返事に,微苦笑が漏れた。


「でも、ちょっと思い出しちゃって」


 何を、と小夜は聞かない。

 流空が言いたくないことならば、言わなくてもいいと思っているのだろう。


 でも、夜空をそのまま映したような澄んだ瞳を前にすると、自分の心のしこりもすべてさらけ出したくなるから不思議だ。


「……あんまり面白い話じゃないんだけど、聞いてくれる?」


 小夜は静かにカメラを持った手を下ろして、頷いた。


「子供の頃の話なんだけど……」


 初めて呼ばれた誕生日会。

 自分で選ばなかったピンクのぬいぐるみ。

 空っぽのアルバム。


 淡々と話す流空の話を、小夜は前を向いたまま黙って聞いてくれた。

 話し終えると、「同じだね」と小夜がぽつりと言う。


「流空くんも私も、お誕生日を祝ってもらえなかった組だ」


 誕生日にいい思い出がないのも、同じ。

 小夜の声は小さくて、ほとんど囁きに近かった。


「やっぱり、流空くんのお誕生日会もちゃんとやろう。うん、それがいいよ。丸くて大きいケーキ買って、お友達を呼んで」

「小夜さんのもやるから、二ヶ月連続だね」

「お祝い事だからセーフだよ」


 笑いながら、小夜が下ろしていたカメラをまた構える。


「そっか。セーフならよかった。でもまずは、小夜さんね。誕生日に何が欲しいか考えておいて」

「お誕生日会のほかに?」

「プレゼントは別でしょ」


 話している間に家から一番近いコンビニに辿り着いた。

 寄るよね? と泊まることを前提に聞くと、小夜は質問の意図を理解したらしくほんのりと頬を赤くして頷く。

 一日泊まるだけでも、女の子は大変だ。

 ついでに明日の朝食も買い込んでから、マンションへ帰り着いた。




「どうぞ、上がって」


 スリッパを出してやると、


「お邪魔します」


 視線を室内に向けながら、小夜が家へと上がり込む。

 ひとまず寝室は通り過ぎて、リビングへ。

 物が少ないと、こういう時助かる。

 特に何もしていないが、片づいて見えるからだ。


 小夜の目に、この部屋はどう映るのだろうか。


 印象なり感想なりを待って身構えていると、室内を見渡していた小夜がおもむろに手にしていたカメラをバッグの中にしまい始める。

 てっきり、室内をカメラに収めるものだとばかり思っていたから、驚いた。


「撮っても怒らないよ?」


 プライベートだから気を使ってくれたのかと思ったが、「うん」と言いながらも小夜は撮ろうとはしない。


「……撮らなくていいの?」


 あまりにも小夜がカメラを回す姿を見慣れてしまったせいか、流空のほうが落ち着かなかった。

 けれど、小夜はもう一度力強く「うん」と頷く。


「大丈夫。……撮らなくても、忘れられない場所になるから」


 どうして、という言葉は出なくて、腕が勝手に華奢な身体を抱きしめた。

 戸惑いながらも背中に腕を回されて、胸が愛おしさで爆発しそうになる。


「……同じだね」


 しっかりと抱き合ったままなので、小夜の声がくぐもって聞こえた。


「同じ?」

「心臓。ドキドキいってる」


 流空の胸に耳を押し当てるようにして、小夜が囁く。

 吐息混じりの声は優しくて、甘い。


「小夜さん……いい?」


 なるべく怖がらせないようにと声を潜めたら、流空のも小夜と同じような囁きになった。


 内緒話でもしているかのような雰囲気に、どちらともなく笑う。


「うん」という返事を待ってから、寝室のドアを開けた。




 この家に越してきてから、初めてまともにキッチンに立っている気がする。

 といっても、ケトルで湯を沸かしてインスタントコーヒーを入れ、オーブンで昨日買った朝食用のパンを温め直すだけの簡単な作業だ。

 マグカップに注いだコーヒーに、牛乳をたっぷり。

 優しい色になったそれを手に、寝室に戻った。


 自分の家ではあるが、一応ノックをしてから中に入る。

 小夜はまだ、ベッドの中で心地よさそうな寝息を立てていた。

 タオルケットにすっぽりくるまり、小さい身体をさらに縮めるようにして眠っている。


「小夜さん、カフェオレ入ったよ」


 ベッドに腰を下ろしてそっと肩に触れると、蕾みが花開くようにゆっくりと瞼が開かれた。


「おはよう」


 大きな黒い瞳に自分が映っているのが見える。

 数回瞬きを繰り返したあと、覚醒はやってきた。

 はっと目を見開き、慌てた様子で胸元にタオルケットを引き寄せる。

 そんなことをしなくても、全身タオルケットにくるまれてはいるのだが。


「起きた?」


 まだ湯気の立っているマグカップを差し出すと、小夜は犬みたいに香りを嗅いでからもそもそと起き出して受け取る。


「……おはようございます」

「うん、おはよう」


 小夜の髪についている寝癖を見て、じんわりと優しい気持ちがこみ上げてきた。

 顔が勝手ににやけそうになるのを、咳払いで誤魔化す。


「パンあっためてるけど、食べる?」


 小夜はふうふうとマグカップに息を吹きかけながらどうにかコーヒーを飲み、頷いた。

 まだ肩が少し緊張している。


「じゃあ、持ってくる」


 軽く頭を引き寄せてこめかみに唇を押し当ててから、腰を上げた。

 いつもなら食事はリビングで摂るが、たまには優雅に寝室で食べるのもいいだろう。

 待ってて、と背を向けたところで、くん、とパジャマの裾が引っ張られる。

 振り返ると、小夜は出陣前の武士みたいな固い顔をしていた。


「流空くん」


 声も緊張しているようで、首を傾げる。


「どうしたの?」


 ベッドに座り直すと、小夜が少しだけ表情を緩めた。


「あのね、誕生日に欲しいものが思い浮かんだの」


 それだけ言うのに、小夜は三回、カフェオレで喉を湿らせた。

 どうやら、おねだりをするのはあまり得意ではないらしい。

 ちょっと、知っていたけれど。


「ほんと? 言って言って」


 これから、少しずつでもこういうことに慣れていってくれたらいいなと思い、そういえば自分のよくない癖──好きなものを選べない──を直してくれたのは小夜だったことを思い出す。

 それを思うと、小夜の甘え下手を直すのは流空の役目のような気がしてきた。


 それはとても、楽しい役目だ。


 流空の内心を知る由もない小夜は、瞳を覗き込むように反応を窺いながら口を開いた。


「……ピンクのぬいぐるみが欲しいなって」

「え……?」


 小さく鼓動が跳ねる。


「あ、でもクマじゃなくて猫の。エトワールみたいにお腹がぽんぽんに膨らんだのがいいなあ」


 どうかな、と上目遣いに聞かれたら、駄目だなんてとても言えなくて。


「わかった。探してみるね」


 微笑みを向けると、ほっとしたように吐息をついた。


「ありがとう」


 ──こちらこそ。

 心の中でだけ、ありがとうを返した。



 このリクエストはきっと、流空のためのものだ。



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