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きみを殺すための5つのテスト  作者: 狐塚冬里
第四章 恋は世界を変える
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第七話 父さんは馬鹿だ

 父に教えられた病院に着くと、受付で名前を言うだけで病室へと案内された。


「あなた、流空くんね? 大きくなって……」

「……ご無沙汰してます」


 開いたままのドアから中を覗くと、母の姉、流空の伯母にあたる人物に中へと招き入れられる。

 流空と入れ違いに、というよりも流空に気を使って、中学生と小学生くらいの男女の子供と、父より少し年上に見える男の人が病室を出て行った。


 三人とも、涙で顔をぐしゃぐしゃにしている。

 流空には見覚えのない人たちだ。


 病室のベッドに横たわった母は、テレビドラマでよく見るような白い布はかけていなかった。

 対面している途中だったからだろう。


 流空の記憶の中の人より瘦せて、年老いていた。


 目を閉じているせいもあってか、本当にこの人が自分の母親だという実感が湧かない。

 当然涙なんてものはこみ上げてすらこなくて、隣から肩を抱いてくる伯母の手も、申し訳ないが煩わしいだけだった。

 伯母の記憶も、流空の中にはほとんどないのだ。


 短い対面を終えて病室を出ると、廊下で先ほど出て行った三人が抱き合うようにして待っていた。

 何気なく見上げた病室のネームプレートに、大沢由希子と書かれているのを見て、その人たちが母の新しい家族なのだとわかった。


 流空は母が再婚していたことを、今日初めて知った。




 葬式は翌々日に行われた。

 流空は一般弔問者として参加するつもりだったのに、伯母の余計なはからいで遺族席に座らされた。

 元夫の父が隣に座ることはなく、流空の隣にはこの葬式の喪主が座っている。


 喪主は挨拶の間も涙で何度も声を詰まらせた。

 同じく遺族席に座る流空ではない母の子供たちが、その度に耐えきれないように嗚咽を漏らす。



 どうして僕は、ここにいるのだろう。



 血の繫がりだけでここにいなければいけないというのなら、酷い仕打ちだと思う。


 見上げた先にある遺影の母だった人は、笑っていた。

 その笑顔と、涙に暮れる家族を見て、ああこっちでは成功したのかと冷めた気持ちで思う。

 流空たちとは失敗したけれど、こちらの家族とは成功した。そういうことだ。


 母は数年前から癌を患い、手術に臨んだが進行が早く助からなかったと伯母から説明された。


 流空くんのこと、忘れたことはなかったのよ。

 元気になったら会いに行きたいって言ってたのに。


 そんな話を今さらされても、困る。


 実際に母が語っていたという証拠はないし、仮に言っていたとしても、元気になったらという時点で本当に会う気などなかったのだとどうして伯母は気づかないのだろう。

 取り返しがつかなくなってから慰められたところで、惨めなだけだった。


 火葬場に一緒に来るかと喪主に聞かれたが、用事があるからと断った。

 最期のお別れくらい家族水入らずでしたいだろうという気遣いもあったが、ただひとり、一滴の涙も流せないせいで居心地が悪かった。


 相手の連れ子か、母が産んだのかわからない子供たちは、涙が母への愛情の重さだとでもいうように目を腫らしている。

 腫れたまぶたは醜くみっともなくすらあるのに、流空はそれが羨ましかった。


 きみたちは、アルバムをたくさん作ってもらった?


 口を開くとろくな言葉が出てこないような気がして、葬式の間中、ずっと唇を真一文字に結んでいた。


 焼香を済ませ、弔問客がひとり一輪ずつ花を柩に入れる際に、流空も花を手に柩に近づいた。

 母は花に囲まれ、静かに眠っているかのように見えた。

 流空たちとの暮らしのままだったら、きっとこんなに穏やかな顔にはならなかっただろう。


 できれば、知りたくなかった。


 いい息子なら、母が幸せだったことを喜ぶべきなのだろう。

 けれど流空は、置いて行かれたという気持ちのほうが強くて、そんな優しさを向けてやることができない。

 死んでしまってすら。


 自分で思っていた以上に、母を許せてなどいなかった。

 そしてこれからも、許すタイミングを永遠に失くしてしまったのだと気づく。


 早くこの空気から抜け出したくて、花を適当な場所に入れてすぐに後ろの人に順番を譲った。

 長く顔を合わせたところで出てくるのは恨み言だろうから、さっさと帰ったほうが母も心穏やかに逝けるだろう。


 一応伯母に挨拶だけして帰ろうと探すと、その伯母は喪主と何やら話し込んでいた。

 手には小さめの紙袋を持っている。


「伯母さん、そろそろ失礼します」


 声をかけると、ふたりが何故か慌てたように流空を振り返った。

 その拍子に、手に持っていた写真が落ちてしまい、拾おうと伸ばした手が止まる。

 落ちた写真は、流空が子供の頃に見た、笑顔の母の写真だった。


「……これ、どうしてここに?」


 家を出る時に、母が持って行ったのだろうか。

 しかし、流空の予想は外れていた。


「博史さんがね、柩に入れてやってくださいって持ってらしたの。お気に入りの写真だったからって」

「父が……来てたんですか」


 反射的に喪主を見てしまったが、彼は泣き腫らした目を穏やかに細めるだけだった。


「写真はいいのだけど、こっちはどうしようかしらって話してたの」


 こっち、と言いながら伯母が紙袋を開く。

 中に入っていたのは、一目で古いとわかるポラロイドカメラだった。


「金属はね、お骨にくっついちゃうから入れられないって言うのよ」


 困ったわ、と伯母が頰に手を当てる。


「柩には無理でも、副葬品として墓になら入れられるかもしれませんから、聞いてみましょう」


 人のいい喪主は伯母からカメラを受け取ろうとしたが、伯母はその手をさりげなく避けた。


「けど、お墓は大沢家のでしょう? 博史さんが持ってこられたものを入れるのは……」


 伯母が父のことをよく思っていないことは、このやりとりだけでもわかった。

 母の夫が構わないと言おうとしているのを渋るほどに、伯母は父を嫌っている。


 流空たちは母が自分たちを捨てたと思っているけれど、母からすれば自分たちが追い出したと思っていたのかもしれない。


 母はいい人と再婚できたのだな、と母の訃報を受けてから初めて、前向きなことを考えた気がする。

 だからというわけでもないが、行き場を失くしたカメラは置いていかないほうがいい気がして手を伸ばした。


「そのカメラ、僕が引き取ってもいいですか?」


 伯母は気持ち申し訳なさそうな顔をしながらも、流空に父が置いていった古いポラロイドカメラを渡す。

 助かった、と正直なその顔には書いてあった。

 母の夫は流空が帰る時までそのことを気にかけてくれていたが、燃やされもせず、墓の中で朽ちていくよりは流空の手に渡ったほうがカメラも幸せだろう。




 葬式のあと、流空の足は自然と実家へと向いていた。


 いつ行っても誰もいない家。


 流空が暮らしていた頃すら、父と顔を合わせることは珍しかったのだが、部屋には明かりがついており、リビングにぽつんと座る父の背中が見えた。

 父は喪服を着替えもせずに、酒を飲んでいるようだった。


「父さん」


 声をかけるとようやく流空がいることに気づき、振り返る。

 元々明るい顔の人ではないが、生気すら抜けたような表情を見て気づいてしまった。


「……会って来たのか」

「うん」

「そうか」


 言葉少なに言い、ウイスキーの入ったグラスを傾ける。


「カメラ、金属は燃やせないって言うから引き取ってきた」

「……そうか」

「これ、僕がもらってもいい?」


 父の目が理由を探すように流空の顔を見つめ、ああ、と頷いた。

 流空が大学で写真を学んでいることを、一応は覚えていたのかもしれない。


「好きにするといい」


 酒を傾ける父の背中はわびしく、見ているほうが辛くなるほどだった。

 聞かずに立ち去ろうと思ったのに、言葉が意志に反して音になる。


「父さんは、母さんのことが好きだった?」


 馬鹿みたいな質問だなと思う。


 流空の記憶している両親は、ふたりとも笑っていない。

 ひとり息子の受験失敗だけが、理由ではなかったはずだ。


 父には父の、母には母の言い分はあっただろうが、ふたりは相手の言葉を聞かなすぎた。

 ひとつ上手くいかないことがあると相手のせいにし、責任を押しつけ合う。

 そんなことを繰り返していれば、息苦しくなって一緒にいられなくなるのは当たり前の話だ。


 好きだとか愛しているだとかそういう甘い空気を、両親から感じたことはない。

 あるのは、ただ義務としての家族ごっこ。

 だからこんな質問をしたところで何になるのだろうと思うのに、頭の片隅では父の答えがすでにわかっていた。


 父は立ったままの流空を見上げ、自嘲気味に唇を歪めた。


「そうは見えなかったか」

「……うん」

「そうか」

「うん」

「だからかも、しれないな」



 ──父さんは馬鹿だ。



 母は再婚し、父は再婚しなかった。

 それが気持ちの証明だなんて言うつもりはないけれど、ひとつの形だったのかもしれない。


 本音の見えるカメラ。

 それがあれば、自分たち家族はきっと違う道を歩んでいただろう。

 けれどそんなものは存在しないし、母はもういない。


 どうしたらよかったんだろうね。


 心の中でだけ父に呼びかけ、実家を出た。


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