表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
きみを殺すための5つのテスト  作者: 狐塚冬里
第四章 恋は世界を変える
31/55

第四話 誕生日まで、待って

 小教室の窓からだらしなく腕を出し、流空は窓の下を見つめていた。

 危なげなバランスで手にしている一丸レフを時折構え、野良猫を追う女の子にシャッターを切りながら。


「まーたストーカーに逆戻りか?」


 後ろから丸めたノートで頭を叩かれ、胡乱な視線を向ける。

 野本は流空の恨めしげな視線をものともせず、隣に並んで窓から顔を出した。

 そこにいるのは小夜で、さっきから野良猫を撮るのに夢中になっている。


 映像表現実習の課題は止まっていた。

 小夜の都合がつかないのだ。

 ちょっと忙しくて、というのが小夜の言い分だが、見た限りあまり忙しそうではない。


「渡会、お前なにしちゃったのよ」

「まだ何も」


 強いて言うならば、隠し撮りは続けている。

 けれどそれがばれた様子はない。

 そもそも、ばれていたらこんな程度では済まないだろう。


「何もってわりに、あからさまに避けられてんじゃん」

「……やっぱりそう?」

「露骨にな」

「なんでかなー……」


 告白したあとだったら、まだわかる。

 断られていたら、流空だって気まずく思っていただろう。

 けれどまだ、告白する前だった。


 雰囲気は出ていたかもしれないけれど、ギリギリセーフというか、小夜が断ち切った。

 それは、気まずくなるのがいやだったからではないのか。

 違うなら、ここ数日、流空を避けている理由を教えてほしい。

 避けられてしまっては、関係をいい方向に持っていくことも難しい。


「率直な意見を聞きたいんだけど」


 小夜を見るのに飽き、スマホをいじっていた野本が顔を上げる。


「小夜さんと僕。うまくいきそうじゃなかった?」


 にやり、と野本が目を細めた。

 こいつは猫は猫でも、チェシャ猫だなと思う。


「ようやく認めたわけだ?」

「まあね」


 そっかそっか、と野本に背中を容赦なく叩かれた。

 やけに嬉しそうなのは何故だろう。


「うまくいきそうっつか、うまくいってんだとばっかり思ってた。だからてっきり、お前が何かしでかしたんだと思ったんだけどな」

「違うと思うんだけどね……」


 野本の目から見ても、そう見えていたことに少しだけ励まされた。

 流空も、嫌われていないどころかある程度の好意を持たれているのではと思っていたのだ。

 それはあっさりと覆されてしまったわけだが。


「で、どうすんの。諦めんの?」


 まだにやついた顔のまま、野本が聞く。


「まさか」


 自分から好きだと思えたのなんて本当に久しぶりで、どうしたらいいのか正直よくわからない。

 けど、これだけはわかる。

 ここで諦めてしまったら、きっと一生後悔する。



* * *


 目に見えない霧雨が、大学の中庭を濡らしていく。

 今年の梅雨入りは例年より早いとニュースで言っていた。

 おかげで、予定が狂ってしまって困っている。


「今週いっぱい雨みたいだよ」


 カレンダーと睨めっこをしている小夜の横で、流空は行儀悪く机に半分腰かけていた。

 小夜は作業スケジュールの計算をしているのだが、このところの雨続きで撮影は順調に押している。

 その中には小夜が流空を避けていたせいも含まれているのだが、敢えてそこに突っ込もうとは思わない。


「残ってるシーンぜんぶ、外だもんね……。雨止んでくれないかなあ」

「室内に変更しちゃうのもありなんじゃない? 続いてるシーンでもないし」

「それも考えたんだけど、やっぱりラストの告白シーンは晴れた空を入れたいなって。スカッとしたいじゃない?」


 空を見てスカッとしたことのない流空としては、返答に迷うところだ。

 撮影監督は小夜なので、そうだねとだけ言っておいた。

 小夜はさして気にも留めず、まだ唸っていた。


「先にSEとか録る? 映像があったほうがイメージは湧くだろうけど、ある程度の予想はできるだろうし」

「うん……そうだね。それがいいかもしれない。あとで慌てちゃうよりいいもんね。ナレーションも先に入れちゃおうかな」

「じゃあ、スタジオの予約入れるよ。いつがいい?」


 大学の設備の中に、声や音を録音するためのスタジオがある。

 学生は授業で使う他、予約さえすれば機材を自由に使用することができた。

 かなり倍率が高いけれど。


「声録りだけだったら、スタジオじゃなくても道具があればできるよ。予約取るの今からだと大分先になっちゃうだろうし、道具だけ借りてここで……」


 言いかけた小夜の声が途中で止まり、窓の外を見た。

 ほんの少し前までは霧雨だったくせに、窓を大粒の雨が叩き出す。

 流空の耳にも、はっきりと雨の音が聞こえていた。


「……これじゃ、ここでの録音は厳しそうだね」


 いくら静かにしようとも、雨の音が入ってしまう。


「予約入れておくよ」


 スマホで大学の学生専用ページにログインし、スタジオの予約ページを見る。

 生憎と、次に空いているのは一週間以上先だった。


「来週からになりそうだけど、いつにする?」


 しばらく待ったけれど、返事がない。

 どうしたのだろうと目を上げると、小夜はじっと雨に濡れていく窓を見つめていた。


「小夜さん?」

「あ、ごめんね。……ちょっと思い出しちゃって」

「何を?」


 小夜と同じように、窓の外を見る。

 雨が酷すぎて、外の景色すらまともに見えなかった。


「子供の頃、すっごく豪華なお誕生日会を準備してもらったことがあるんだけど、台風が直撃してダメになっちゃったなーって。すごく楽しみにしてたから悲しくって、中止なんてイヤってぎゃんぎゃん泣いて両親を困らせて。しまいには弟にまで、ケーキふたり占めできるから泣き止んでって慰められた」


 楽しみだった誕生日会を前に、おしゃれをして待っていた女の子。

 大雨が降って、来てくれるはずの友だちが来られなくなって、楽しみにしていた分だけ泣いてしまう。


 両親も弟も、彼女を精一杯慰めただろう。

 それでも、期待していた分だけ悲しみは大きくて、なかなか泣き止めない。


 その様子はありありと想像できて、申し訳ないと思いながらも笑ってしまう。


「やりたかったなー、お誕生日会……」


 まるで、毎年台風で流されてしまったみたいな口ぶりだ。

 誕生日にいい思い出がない流空としてはやりたかった、という思い出すらちょっと羨ましい。


「やろうか、お誕生日会」

「え?」

「祝わせてよ。誕生日いつ?」

「八月の二十二日……」


 小夜の視線が、戸惑うように揺れた。


「そっか。夏生まれなんだ。ちょうど夏休みまっただ中だね」

「うん……。だから、忘れられちゃうことも多いよ」

「この年にまでなると、夏休み中のほうが色々遊べていいと思うよ。あ、ケーキは何がいい? アイスケーキ?」

「えっ、なんでわかったの?」

「小夜さん、アイス好きだから」


 小夜が始めたスキキライゲーム。

 小夜は二回に一回はアイスを選んでいた。涼しい日でも気にせずに。

 他にも、好きなものを知っている。


 学食のおいなりさん。

 大好きなくせに、週に一回しか食べない。


 購買の一番高いミルクチョコレート。

 自分へのご褒美に買うのを何回か見かけた。

 

 オレンジの香りのついたハンドクリーム。

 白いスカート。


 小夜の好きなものを思ったよりも知っている。

 見てきたから、知っている。


 小夜が、本当はそんなにビデオカメラを回すことが好きではないことも。

 もう、気づいていた。


「野本と水城さんも呼んで、大学でやろう。夏休み中だから、空いてる教室あるだろうし」

「でも」

「台風が来ちゃうのが心配なら、前日から泊まり込みにしてもいいよ。見つかると怒られるだろうから隠れることになるとは思うけど」

「大学に泊まるの?」

「夜のうちに大雨になって中止になっちゃったら、小夜さん泣いちゃうでしょ?」

「この年になってまで泣かないよ」


 小夜が大げさに顔をしかめてみせる。


「どうかな。すごく楽しみにしてたら、泣いちゃうかもよ?」

「それは渡会くんなら泣いちゃうかもってこと?」

「うーん、どうかな。すごく楽しみにしてたら、泣いちゃうかも」

「あはは、想像できない」


 小夜が笑うのにつられて、流空も笑った。


「渡会くんが泣くとこ、撮ってもいい?」

「小夜さんって、ちょっとSっ気あるよね」

「そうかな? 渡会くんはMっ気あるよ」

「……それ、言われたの二度目」

「わー、やっぱり」


 自然と、笑い合えていると思う。肩が触れ合うほどの距離にいても、小夜は逃げない。


 言っても、いいだろうか。


 このタイミングを逃したらまた逃げられてしまいそうで、すぐ横にあった手を繫いだ。

 体温が触れた瞬間、小夜が弾かれたように流空を見上げる。

 その頰はわずかに赤くなっていた。


「小夜さん──」


 言いかけた言葉は、声になる前に小夜の手のひらに塞がれた。

 両手で口を押さえられてしまっては、何も言えない。



 ──どうして? 僕のひとりよがりだった?



 流空の声にならない言葉が聞こえたかのように、小夜が首を横に振る。

 小さく、けれどはっきりと。


「待って」


 小夜の声はわずかに震えていた。


「誕生日まで、待って。誕生日が来たら、変われるから」


 八月二十二日の誕生日。


 その日を迎えたら、何が変わるのかは流空にはわからない。

 けれど小夜の中では、それが大きな区切り目だということだけはわかった。


 口元を塞ぐ小夜の手を、そっとどける。

 握手するみたいに握ると、小夜は途方に暮れたような顔で流空を見上げた。


「いいよ、待つ」


 小夜の誕生日まで、二ヶ月弱。

 その間待てというのなら、待つ。

 待ってから、改めて告白しようと思う。


 理由はわからないけれど、駄目ではなく、待ってほしいと言われたことが嬉しかった。


「けど、誕生日までも全力で落としにいくよ。それはいい?」


 本気の気持ちを冗談に紛らわせて言うと、小夜はくしゃりと泣きそうに顔を歪めた。

 泣いちゃうかな、と一瞬焦ったけれど、泣かなかった。


「どうして待ってくれるの? 私、たぶん渡会くんが思ってるよりおとなしくなんてないよ?」

「知ってる。意外と気が強いことも、本当は我侭なところも、さっき知った」


 我侭だなんて思ったことはないけれど、流空には我侭になってくれたらいいなとも思っている。

 何かを言いたいのに我慢するのではなくて、瞳の強さのままにぶつけてほしい。


「だったらどうして?」

「どうしてかな。小夜さんを見てるのが好きなんだ。あ、意外ととろくて面白いからかな?」

「ひどい!」


 困った顔をしていた小夜が、ようやく笑ってくれた。

 小さく混ぜた『好き』を受け取ってもらえたことに、流空はひとり満足していた。

 気持ちが通じ合うというにはほど遠い状態だったのに、顔が勝手ににやけてしまう。



 好きな人がいる。

 大好きな人が。



 それだけで、こんなにも笑っちゃうような幸せを味わえるなんて、知らなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ