第三話 この話はこれでおしまい
「そういえば、さっき何を見てたの?」
スキキライゲームの勝敗がつくと、小夜が流空の手元にあるカメラを覗き込もうとした。
すでにモニターは消えてはいたけれど、念のため手元にカメラを引き寄せる。
小夜を撮っていた画像なんて見せたら、一発で消されてしまう。
「何をってわけでもないよ。近所の野良とか」
「え、見たい。うちも昔、猫飼ってたんだよ。弟が可愛がってて。けど……今はいないから」
小夜に弟がいるというのは、初耳だ。
猫よりもよほどそちらのほうが気になったのだけれど、小夜がモニターを見て「あ」と声を上げたので話がそちらにずれる。
「この猫、おっきいねえ」
「ああ、うん。よくバイト先に来る黒猫」
「ふっくふく……」
「槇さん……バイトのキッチンの人なんだけど。その人がかわいがりすぎた結果だと思うんだよね」
「いいもの食べさせてもらってるんだなあ。お腹気持ち良さそう」
「お腹も触らせてくれるよ。餌さえ用意しておけばだけど」
「等価交換とは、やりおるね」
流空のカメラのモニターを見つめる横顔は無邪気で、出会った頃のような剥き出しの警戒心はどこにも見えない。
小夜を知った時から気になっていたこと。
それを、この雰囲気の中でなら聞いても許されるような気がした。
「ねえ、小夜さん」
「ん?」
見上げた黒目がちな目が、流空を映す。
「新学期はじまったくらいの時、中庭で僕のこと見てたよね」
す、と小夜が瞳を細めた。ちょっと、猫に似ている。
「あの時、なんで見てたの? 実はずっと気になってて」
あの視線から、小夜のことを気にするようになった。
なんの意味もないのなら、それでもいい。
けれど、小夜の物言いたげな視線の意味をひとつでも聞けるなら、あの時の視線の意味を知りたかった。
それは、小夜からどう思われていたのかを聞くのに、ちょっと近い。
聞いてしまってから、気がついた。
流空は、小夜からどう思われているのかを気にしている。
強い視線に射貫かれ、拒絶に合い、ペアとして毎日顔を合わせるようになった。
人からどう思われているかなんて関係ないと思っていたのに、こんなにも気にしていたなんて。
気づいてしまうと恥ずかしくて、顔が赤くなりそうだった。
けれど、小夜はそんな流空の心中を知るはずもなく、真剣な顔をしている。
「……怒らない?」
そっと問いかけられ、微妙に怯んだ。
想像よりも、マイナスな話をされるのではないのかと思ったからだ。
けれど、ここで引くのは臆病過ぎる。
流空は怒らないと頷いた。
どきどきと、心臓がうるさい。
「あの時、さみしそうだなあって思ったの」
思ってもみなかった言葉に、眉根が寄った。
さみしいだなんて思った記憶はない。
けれど、小夜は続けた。
「彼女のこと追いかけもしないのに、そんな顔してもダメだよって思った。かっこ悪いから追いかけないとかじゃなくて、渡会くんはいろいろと諦めちゃってるんだろうなって」
話している間、小夜は流空から目を逸らさなかった。
心の底まで見透かすようなまっすぐな視線は居心地が悪くて、流空のほうが目を伏せる。
小夜の言っていることが図星だったからだ。
「渡会くんは知らないかもしれないけど、結構有名人なんだよ。告白すれば、付き合ってくれる。でも別れようって言ったら引き留められない。付き合っている間は大事にしてくれるのに、別れようって言った途端に友だちに戻れる人」
「……知らなかった」
「噂してるのは女子だけだからね。その話を聞いてたから、正直印象はよくなかった。女の子の敵だ! って勝手に思ってたし。でもあの日、きみを見て……ちょっと変わった」
目を上げると、視線が嚙み合った。
小夜は少しだけさみしそうに笑っている。
どうしてさみしそうなのか、流空にはわからない。
「渡会くんは遊び人なんじゃなくて、さみしがり屋なんだろうなって」
恥ずかしくて、頭を抱えそうになった。
こんなにもはっきりと、しかも面と向かって自分の内面を指摘される日がくるなんて、思いもしなかった。
人から自分がどう見られているのかなんて簡単に予想ができることで、なんてことないと思っていた。
でもその中身は、自分すら気づいていないものでいっぱいになっていて。
小夜の真っ直ぐな瞳に見透かされて、恥ずかしくて仕方がない。
それなのに、どこかすっきりしたと思っているのはどうしてだろう。
さびしかったね。
誰かにそう言ってほしかったのかもしれない。
期待されなくなって、期待することもできなくなって、誰も側にいてくれない。
でもそれはとても気が楽な生き方なはずで、これからもずっとそういうひとりの人生を歩んでいくのだと諦めていた。
そういう人間が、自分なのだと思っていた。
それを、真っ向から否定してくれる人が目の前にいる。
恥ずかしさが急激に消化されて、嬉しさに変換されていく。
身体の中がほかほかとあたたかくて、言葉が上手く出てこない。
何も言えずにいる流空をどう思ったのか、小夜はちょっと笑って手を伸ばした。
子供にするみたいにぐしゃぐしゃに髪をかき混ぜられて、心臓が跳ねる。
「大丈夫だよ。きみは自分で思ってるほど冷たくないし、ちゃんと優しい」
椅子から立ち上がり、小さな小夜が大きく伸びをする。
大した話はしていないよ。
当たり前の話をしただけで。
そう言われているような仕草に、無意識にカメラに手を伸ばしていた。
彼女のことを、撮りたい。
もっと、彼女のことを知りたい。
けれどシャッターを切るよりも前に、小夜に容赦なくデコピンを喰らわされた。
「いった……!」
「カメラはなしだよ、渡会くん」
冗談のように言って笑うのに、小夜の瞳はさみしそうで。
どうしてそんな顔で笑うのか。
どうしてそんなに写真を撮られたくないのか。
本当の理由を、知りたいと思った。
それが、彼女の中の柔らかい場所に触れることになったとしても、知りたいと思う。
なんだ、ずっと気づかないふりをしていただけだったんだ、と胸の底にすとんと落ちた感覚があった。
覚悟ができていなかっただけで、ずっと、彼女のことを知りたいと思っていた。
興味、なんて言葉で誤魔化して、期待しないように武装して。
でももう、その必要はない。
傷つく準備も、傷つける覚悟も、整った。
──小夜が好きだ。同じだけ、好きと言ってほしい。
誰かを好きになったって、同じだけの気持ちは返してもらえない。
けれど、それは本当だろうか?
もう一度だけ、期待してみてもいいんじゃないか。
小夜になら──期待をしてたとえ同じものが返ってこなくても、きっと後悔はしない。
そんな予感がしていた。
「小夜さん」
強い風に煽られて、小夜の長い黒髪が舞う。
ざ、と青葉を揺らした風の音が大きくて、小夜が首を傾げた。
小夜がその風にさらわれてどこかに行ってしまうような気がして、思わず手を掴む。
驚いた丸い目が、流空を見つめた。
「小夜さん、あのね──」
今すぐでなくてもいい。
でも少しずつ、そういう目で見てほしい。
自分から告白するのなんて、初めてのことだ。
好き、というたったひと言が出てこなくて、唇を震わせた。
緊張に手が汗ばんでいる気がして、摑んだ小夜の手が気にかかる。
嫌われてはいない。
たぶん。
だから、拒絶をされることはないだろうと踏んでいた。
けれど──。
「渡会くん、そろそろ作業に入ろうか。映画に使うポラロイドカメラのことなんだけど、今のはちょっと新しいからもうちょっと古いの探せないかな?」
明るい笑顔で、手を離された。
この話はこれでおしまい。
これ以上はやめておこう?
小夜の目が、そう言っていた。




