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きみを殺すための5つのテスト  作者: 狐塚冬里
第四章 恋は世界を変える
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第二話 スキキライゲーム

 今日も、カフェ・グラスマティネにはクラシック音楽が流れている。

 選曲はマスターによるものがほとんどだが、たまに客からのリクエストも受け付けている。

 今日はその珍しいリクエストで、重苦しく攻撃的な曲調が耳に痛かった。


「……これ、なんの曲ですか?」


 問題の曲をリクエストした客の元にコーヒーを出してから、そっとマスターに聞く。

 マスターはカウンターの中から露骨と言ってもいいくらい興味に輝いた視線を、その客たちに送っていた。


「死の舞踏だよ。激しいよねえ」

「なんでそんな曲を……っていうか、よくありましたね」

「クラシックなら大抵の曲はあると思うよ。ものすごくマイナーな作曲家だとわからないけど。リクエストした彼女、彼氏の浮気を問い詰めるんだって」

「え」

「気持ちが負けないような曲にしてほしいって言われたんだよね」

「選曲自体は、マスターがしたんですね……。もうちょっと穏やかなものにしてあげればよかったのに」


 おそるおそる背後を窺うと、女性客は般若のような形相になっていた。

 相手の男はすでに逃げ腰だ。


「これくらいのほうがいいんだよ。下手に溜め込んじゃうと、一時的に修復できてもすぐ同じことになるに決まってるんだから」


 やけに実感のこもった言葉だけに、はあ、と曖昧な返事しかできなかった。


「二枚目は魔王にしようと思ってるけど、どう思う?」

「やめてあげてください」


 マスターが言っている魔王とは、シューベルト作の歌曲のことだ。

 確か、熱に魘された子供が病院に運ばれる中、魔王の囁きの幻聴を聴くという怖ろしいストーリーだった気がする。

 このままでは、彼氏が魘されてしまう。


「渡会くんは意気地がないなあ。ちゃんと仲直りできた時の曲も用意してあるよ?」

「ちなみになんの曲ですか?」

「愛の夢」


 流空の知る限り、愛の夢は恋人との甘い恋愛を歌った曲ではなかった気がする。

 もっと大きな、言うならば神様とかそういったものの愛の歌だったような……。

 それを戦い終えて疲弊しているであろうカップルへ聴かせようというのだから、マスターも意地が悪い。


「あのふたりも気になるけど、渡会くんは最近どうなの?」

「どうって、普通ですよ。毎日勉学に励んでます」


 矛先が完全にこっちに向く前に逃げようとしたのだが、遅かった。

 グラスを拭くための布巾を渡されて、仕方なくカウンターの内側へ入る。


「珍しく手こずってるんだ? そもそも、渡会くんからアタックするのって初めてな気がするなあ」

「……彼女とは課題でペアになってるだけですよ」

「ふーん? でも小夜ちゃんといるようになってから、新しい彼女作ってないよね」

「いつでも彼女がいるみたいな言い方しないでください」

「いるじゃない、わりと。ま、いないほうが渡会くんがバイトに来てくれるし、最近いい感じだから僕としては文句ないけどね」


 勝手なことを言うだけ言って、マスターはキッチンへ引っ込んでしまった。

 おかげで何がいい感じなのかは、わからないままだ。


 窓際の席では、なおもカップルの揉め事が続いている。

 音楽に背中を押された女性が、彼氏に何かを突きつけている。

 浮気の証拠かもしれない。


 本音でぶつかり合ったところで、上手くいかない時はいかない。


 むしろ、本音をぶつけてしまったからこそ、入る亀裂が大きすぎて修復できないこともきっとある。

 あの女性は、後悔しないだろうか。


 他人事なのにやけに気になって見つめていると、後ろから肩を叩かれた。


「渡会くん、今日のまかない何がいいかって槇くんが」


 振り返った先には、マスターと槇の顔。

 マスターは何にしたんですか、といつもなら聞いていただろうけど、流空の口が勝手に動く。


「チャーハンがいいです」


 言った途端、槇が顔をパッと明るくした。

 マスターは驚いた顔をしてから、にやりと笑う。


「ほら、いい感じじゃない」



* * *


 約束をしたカフェテリアに早く着いたので、流空はカメラを取り出して保存してある画像を確認していた。

 その中には小夜をこっそり撮ったものもあり、指が止まる。


 小夜と知り合ってからまだ二ヶ月程度しか経っていないというのに、随分と長い時間を一緒に過ごしてきたような気がする。

 実際、課題作業の関係で、大学で一緒にいる時間はとても多かった。

 おそらく、他の誰よりも。

 そのせいで隠し撮りの頻度は減ってしまったが、小夜との距離は確実に縮まっている気がした。

 主に、流空の気持ち的にであって、小夜がどう感じているかはわからない。


 誰かを待つのにそわそわするのなんて、どれくらいぶりだろう。

 下手をすると小学生の時以来だなと思い、授業参観日に来てくれなかった母を思い出して溜息が漏れた。

 こんなことを思い出したかったわけではないのに。


 あの日、授業参観に親が来なかったのは流空だけではなかった。

 他にも、仕事の都合で来られなかった親はいる。

 だが、来ると約束したくせに来なかったのは、流空の母だけだった。


 最近、母のことを思い出すことが度々ある。

 きっかけは、父が『母さんとは、連絡を取ってるのか』などと言ったことだとは思うが、言った本人はすっかり忘れているようで、あれ以来母のことを口にしたことはない。

 流空がこうして母のことを思い出す程度には、母も流空のことを思い出したりするのだろうか。

 一瞬、思い出している可能性を考えて、すぐにそれはないかと自嘲した。

 少しでも思い出していたとしたら、会いに来るなり、連絡先を教えるなりしているだろう。


 期待するだけ、馬鹿らしい。


 期待値が高ければ高いほど、裏切られた時のショックも大きくなる。

 それを繰り返し学ぶうちに、流空は期待すること自体をやめるようになった。


 期待をしなければ、がっかりすることもない。

 傷つくことも、ない。


 同時に期待されることにも疲れてしまって、気がつけばどちらも無駄な行為だと思うようになっていた。

 期待をされても、その期待に応えられるだけのものを流空が返せるとは限らない。

 だから、期待しないでほしい。

 自分も、期待はしないから。


 流空と小夜が撮っている映画はある意味、流空の理想通りのものなのかもしれない。

 本音が聞こえることを期待してレンズを覗き込み、見えてくるのは自分の願望。

 つまりは望む通りのもの。

 本当のことを知ることがなければという条件はつくが、優しい答えをもらえる。


 このカメラの先にも、そんな優しい世界が広がっていれば楽だったのに。

 馬鹿なことを考えながら構えた先に、ふいにプラスチックのカップが映し出された。



「お待たせ」


 驚いて顔を上げると、小夜が小さめのジュースのカップをふたつ手にしている。

 ひとつは透明で、もうひとつは茶色。

 どちらも氷に炭酸の泡がついているのを見ると、茶色のほうもコーヒーではなさそうだ。


「勝負?」


 流空がカメラを置いて姿勢を正すと、小夜がにたりと笑ってカップをふたつともテーブルの上に置いた。


「さあ、どっちがいい?」


 小夜が作った「スキキライゲーム」のルールはこうだ。

 順番に、どちらか一方がジュースやお菓子、菓子パンなどをふたつ選んで買ってくる。

 そのチョイスした物が両方好きなら勝ち。

 反対に、ふたつのうちどちらも相手の好みにはまらなかったら負け。

 どちらかひとつでも好きだったら、引き分けになる。


 ルールは他にもあって、相手は必ずどちらが好きか嫌いかを答えなければいけない。

 両方好きでも嫌いでも、より「好き」なほうを選ばされる。

 「どっちでもいい」や「なんでもいい」が許されないゲームだ。


 カメラを回し始めた頃、流空が何気なく差し入れたジュースをきっかけに、このゲームは始まった。

 無難に緑茶と水のペットボトルを買って、小夜に一本どうぞと差し出した。

 単なる差入れのつもりだったし、ペットボトルならあとででも飲めるからいいだろう。

 そんな程度の考えで差し出したのだが、小夜は真面目な顔で「渡会くんはどっちが好き?」と聞いてきた。


「どっちでもいいよ。小夜さんが選ばないほうで」


 流空としては本当にどちらでもよかったから言ったのだが、小夜はこれはなんてことだとばかりに驚いた。


「どっちでもいい、は最終手段だよ!」


 希望が重なってしまった時には勝負をするから、それまでは自分の好きなものを伝えるべき、というのが小夜の主張らしい。

 それを言ったら、普段から人に譲ってばかりの小夜はどうなのかと思うのだが、指摘すると困らせてしまうような気がして言えなかった。

 もしかしたら、食べものに関しては、小夜も主張がはっきりしているのかもしれない。

 流空が選ぶほど好みがはっきりしているわけでもないと言うと、


「よし。それなら、きみの好みをまず知らなきゃだ」


 とこのゲームを考案された。

 なんてことはない。

 バイト先でまかないに注文をつけたのも、小夜にこうして鍛えられたからだった。


 テーブルの上に置かれたカップを、流空は慎重に吟味した。

 あきらかに、一方は人の手が加えられている。


「……こっち、何が入ってるの?」

「それを言ったらつまらないよ」

「これ、そういうゲームだった……?」


 ふたつのうち、好きなほうをきちんと選ぶこと。

 それがこのゲームの本質だったはずだが、慣れてきたこの頃では、小夜はよくわからないものを持って来ることが増えた。

 どうも、流空の好みを探るというよりは、流空が苦手なものを見つけようとしている節が強い。

 残念ながら、流空にはあまり苦手なものがないのだが。


「じゃあ、こっちの透明なほう」

「渡会くん、人生には冒険も必要だよ!」

「だってどう見てもあやしいよ、こっち。一体何入れちゃったの?」


 さっと透明なほうのジュースを手に取ると、小夜は不満そうにしながらも茶色く泡立ったジュースを手に取った。


「せっかく、マスターにも協力してもらったのになー」

「何してるの、ほんと。僕がこっち選ぶのだってわかってたでしょ」

「だって渡会くん、嫌いなもの全然ないから。このままだと三勝三敗二引き分けのままになっちゃうと思って」


 勝負をつけるためにわざと嫌いそうなものを持ってきたとしたら、負けるのは小夜になるのだが、わかっているのだろうか。


「引き分けでもいいと思うけど」


 ジャッジに文句を言われる前に、透明なジュースを一口飲む。


「あ、これ美味しい」


 サイダーか何かだと思っていたものは、炭酸入りのレモネードだった。


「ほんと? よかった」


 つられたように、小夜も自分の手元にある正体のわからない茶色い液体を口にする。

 こくり、と喉が一度上下したあと、ものすごい勢いで口を押さえた。


「小夜さん!? 吐くっ? 吐きそう?」


 どれだけ衝撃的な味だったのかと慌てて腰を浮かせたが、小夜は口に手をあてがったまま、もう片方の手で親指をゆっくりと立てた。


「え……何。美味しいってこと?」


 イエス。


 小夜は今世紀最大の発見をしたかのような顔で、大きく頷く。

 その顔があまりにもドヤっていたので、思わず吹き出した。


「びっくりしたー。てっきり激マズだったのかと思ったよ」

「私も、びっくりした。こんなに美味しい飲み物初めてだよ! これは渡会くんも試したほうがいいよ! 一生後悔するよ!」

「するかなー……?」


 いいから、と強引に手の中にカップを握らされて、ストローを見下ろす。

 よく考えると、ジュースの中身よりもジュースを回し飲みすることのほうに問題がある気がする。

 流空はあまり気にしないが、小夜は大丈夫なのだろうか。


 確認しようかとも思ったが、前に野本たちに少しからかわれたくらいで固まってしまったことを思い出してやめた。

 ぎこちない雰囲気になるよりは、気づかないふりをしていたほうがいい。


「……いただきます」


 小夜の使ったストローで、茶色い液体を一口飲んだ。

 ひと口飲んだ途端、ストロー問題なんてどうでもよくなった。

 それくらい、マズイ。


「小夜さん、これほんとに美味しかったっ?」


 口の中に残る絶妙に甘い後味をどうにかしたくて、急いでレモネードを口にする。

 小夜はそんな流空を見つめてから、Vサインを出した。

 やられた。


「やっと、渡会くんが嫌いなもの見つけた」

「僕がって言うより、それ小夜さんも嫌いだよね……?」

「……うん。さすがに青汁とソーダとココアは合わなかったね……。でも、ほら、嫌いなものを知るのも大事だから!」

「うん。でも今日は引き分けだからね?」

「あ……」


 ようやく勝敗の行方に気づいたらしい小夜は、拗ねたように少し唇を尖らせて、茶色い液体を自分のほうへと引き寄せる。


「まさかそれ、飲むの?」

「飲むよー。作った者の定めだからね!」


 えい、と一気飲みするのを眺め、どうしてカップが小さめだったかの答えを見つけた。


「ふう……マズイ」

「もう一杯?」


 すかさず言うと、「勘弁してください」と笑われる。

 始めた時はなんの意味があるのかと正直思っていたけれど、続けてみるとそこそこ面白い。

 相手の好みを知ることはもちろん、自分の隠れた好みも知ることができる。

 小夜のように負けを覚悟でマズイものを提供する気にはあまりなれないけれど。


 今回で九試合目が行われ、流空の三勝三敗三引き分け。

 その間にわかったのは、小夜は辛いものが苦手で、甘いものはなんでもこい。

 流空は青汁とソーダとココアを混ぜた飲み物が苦手。

 そして案外、ふたつの物を比べると、どちらが好きか選べるようになるということも知った。


 小夜のすることは、意味がないようでなかなか奥深い。

 いい感じ、とマスターに言われたことを思い出し、照れ臭いようなくすぐったさを覚えた。


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