第五話 本音の見えるカメラ
授業という体はかろうじて取っていたものの、三限は荒れに荒れた。
まず、どのペアも声が大きい。
自分の主張を通そうと躍起になり、興奮しているせいだ。
次に、誰も譲らない。
こうなることはなんとなくわかっていた。
クリエイティブなことをしようとする人間なんて、見た目がおとなしそうでも中身はみんなほぼすべてと言っていいほど、我が強い。
こんな調子なので、いくらディベートを続けてもどのペアも決着がつかなかった。
つまり、流空と小夜のペアも、予想に反して決着をつけられなかったということだ。
「え? 撮りたいもの、決まってないの?」
小夜から見せられたペラ一枚の企画書には『大学構内を舞台にしたドキュメンタリー』としか書かれていなかった。
あまりに、ざっくりしすぎている。
さすがにこれに対して手放しで「そっちの企画のほうがいいね!」とは言いがたい。
争う気がないことがばれてしまう。
「決まってないわけじゃないよ。ドキュメンタリーってことは決まってる」
それなりに自分の企画に自信があったのか、小夜は「いけるよ」と拳を握ってみせる。プレゼンは中身よりも勢いで押すタイプなのかもしれない。
「でもそれは……その先が決まってないと話し合いにならないんじゃない、かな……?」
ちょっと大枠すぎるよ、という突っ込みに、小夜の視線が泳いだ。
メールの文面が几帳面だったのでこういった作業も細かく詰めるタイプだと勝手に思っていたが、どうやら違うらしい。
これは完全にざっくり勢い派の人間だ。
「そんなことない……よね? テーマさえ決まっちゃえば、撮りやすいものだと思うし……」
そのテーマ決めが問題なのでは、と内心で苦笑する。
「そういう渡会くんは、フィクションって以外に決まってるの?」
反撃とばかりに切り返されて、渋々と企画書を渡した。
流空が考えたのは、撮影に無理が出ないように大学を舞台にした、ちょっと不思議な物語だ。
現実的なところを見ているという点では、ふたりとも共通認識ができていた。
「……本音が見えるカメラ」
流空が書いた企画書には、フィクションの物語の概要の記載がある。
それは、レンズを通すと本音が見えてしまうカメラを手にした少女のお話。
設定を考えただけで、物語の流れも結末も決まっていない中途半端なものだ。
初めから捨てるつもりの案だったので、単純に流空があったらいいなと思ったものを書いただけのことだった。
それが話し合いを長引かせる原因になるなんて、思いもせず。
「面白そう」
小夜の呟きに、「え」とまぬけな声が漏れた。
「これ、カメラをレトロなポラロイドとかにしたら、画面的にも映えるんじゃないかな?
撮る時はカメラを通したアングルを使って……」
「待って待って。鷲尾さん、それだとドキュメンタリーじゃなくなっちゃうよ?」
「あ……」
目を輝かせていた小夜が、途端に勢いをなくして俯く。
もしかして、小夜も自分と同じように「どうしてもこれが撮りたい」というものはないのではないか。
そんな考えが頭を掠めた。
しかし同時にビデオカメラを熱心に回す小夜の姿を思い出し、そんなはずはないと思い直す。
そもそも自分の企画を推し通す気がないのに話を長引かせるのも悪い。
ここはさっさと白旗をあげてしまおうと、作戦を変更することにした。
小夜の手から自分の企画書を返してもらい、机の上に伏せる。
「本当のこと言うと、僕はドキュメンタリーでもいいと思ってる」
「そうなの?」
重大な秘密を耳にしたみたいに、小夜が少しだけ顔を寄せた。
それに神妙に頷いて見せる。
おままごとでもしているような、奇妙にくすぐったい気持ちになった。
小夜は相手の気持ちに共感するのが上手い。
上手い、というと語弊がある。たぶん、無意識に共感してしまうのだろう。
相手に合わせようと思って行動する流空とは、反対に近い。
けれど、こういうタイプは生きづらいだろうとも思う。
「映像のノウハウは鷲尾さんのほうが持ってるんだし、鷲尾さんがリードしたほうが作業はきっとスムーズだよ」
「そこまで大した技術を期待されると申し訳ないんだけど……」
「でも、実際に機材を使ったことはあるでしょう? 僕はそれすらないから」
それなら少しだけ自信がある、という顔をする。
こうして見ると、小夜は思っていることが顔に出やすい。
特に、瞳が饒舌だ。抑え込まずに言葉にしている時は、表情と言葉がイコールで非常にわかりやすい。
「だから、今回の課題は鷲尾さんに指揮を取ってもらう形で、ドキュメンタリーがいいんじゃないかな。内容はこれから一緒に考えていこう?」
「そうかな……? それがいいかな?」
大分、気持ちが傾いてきている。
この分なら、うちの班は揉め事なく意見をひとつにまとめることができそうだ。
と思ったのだが、問題は別のところにあった。
「じゃあ、決定しちゃって早速どんなドキュメンタリーにするか決めようか」
「そうだね。時間はいくらあっても足りないもんね」
小夜が意気込みも新たに、ノートを広げる。
「僕が知ってる感じのドキュメンタリーだと、ひとつの事柄について色んな人にインタビューして、それをまとめてひとつの作品にしていく感じかな」
「そのタイプもよく見るよね。ただ、二十分っていう時間を考えるとまとめるのが大変かも」
「そうか……。五人に四分ずつインタビューしたら、もう二十分だもんね」
「うん。それを考えると、ひとりの人を追うタイプのほうが向いてるかも」
パッと思い浮かんだのは、プロフェッショナルと呼ばれる人たちの一日を追うドキュメンタリー番組だった。
映画ではないが、おそらく小夜はあれに近いものを指しているのだろう。
「そっちのほうがいいかもね。そうすると誰かを探さなくちゃいけないわけだけど、そういうことに付き合ってくれそうな友だちいる?」
たとえ二十分の作品だとしても、映像自体はもっと長く撮影する必要がある。
最終的に編集をし、二十分に収めるのだから。
それを考えると、被写体になる人にもそれなりの労力と時間を割いてもらうことになる。
しかも、付き合ってくれる友だちがいたとしても、その被写体に語れるだけのことがないと映画にならない。
だからこそ、テレビではプロフェッショナルが選ばれる。
一瞬、バイト先のマスターの顔が浮かんだが、すぐに却下した。
頼めば喜んで引き受けてくれるとは思うが、小夜と一緒に映画を撮るだなんて言ったら、はりきって余計なことをし出すに違いない。
マスターのいたずらに付き合うのはバイト中だけで十分だ。
そうなると流空には伝手がなくなるが、小夜のほうがよほど交遊関係は広いだろう。
流空が見てきた限り、授業ごとに一緒にいる友人は違うし、サークルに所属していないと言っても顔を出すことはあるようだった。
小夜の人となりからも、引き受けてくれそうな友だちを期待できる。
しかし、予想に反して小夜は首を横に振った。
「そこまで仲の良い友だちに心当たりはないかも……」
申し訳ない。ごめんなさい。
という感情の他に、さみしそうな色を見つけて戸惑う。
少なくとも、流空が見ていた小夜と友だちは仲が良さげに見えていた。
友だちに迷惑をかけたくないから、という理由から、頼める人はいないと言っているのならわかる。
だが小夜は、本当に自分には仲の良い友だちがいないのだと言っているような気がした。
それ以上聞いてはいけないような、微妙な沈黙が落ちる。
周りで白熱している班の声が、やけに遠く聞こえた。
小夜が友だちにビデオカメラを向けて、「もう一回言って?」と笑っているのを見たことがある。
はしゃいでいるようにも見えたけれど、カメラを覗き込む時には真剣な顔になっていた。
あれは、何を撮ろうとしていたところだったのだろう。
小夜について、一方的に知っていることがある。
けれど知らないことのほうが断然多い。それを知りたいと素直に思う。
ちゃんと、知りたいと思う。
そんな風に思うのは、すごく久しぶりだ。
「……それじゃあ、鷲尾さんを撮ったらどうかな?」
小夜を撮ったらどうか。
この考えが浮かんだのは当たり前と言えば当たり前のことだ。
流空は小夜のことを撮りたいと思っているし、ドキュメンタリーならば語りも入る。
より深く小夜を知ることもできるだろう。
我ながらいいアイディアだと、気持ちが上がる。
「いつもビデオカメラ回してるよね? その鷲尾さんが撮ろうとしてるものについてを題材にしたら……」
「やめて」
切実な声にはっと言葉を止めた。
小夜の顔は強ばり、目が何かに怯えている。
やめて、言わないで。
その話題には触れないで。
「私、撮られるのすごく苦手なの。だからそれだけは、ごめんなさい」
「ああ、うん」
取り繕うように向けられた笑顔に、流空も見合うだけの笑みを返した。
小夜の弁明はもっともらしく聞こえたし、実際に流空がカメラを向けた時には強く拒絶している。
でも、本当にそれだけなのか。
──小夜が撮ろうとしているもの。
それは流空が考えているほど軽いものではないのかもしれない。
もっと重要な、それこそ人生をかけるような何かで、誰にも触れてほしくないものなのかもしれない。
おもちゃ箱の底にしまい込んで蓋をしてしまうような、そんな。
流空にだって、そういうものはある。
例えば──。
「自分たちでってことなら、渡会くんでもいいってことだよね。どうして写真を撮ろうと思ったのか、で撮ったらどうかな?」
「ドキュメンタリーっていうところから、考え直そうか」
「え?」
「考え直そう」
驚いている小夜を置き去りに、会話を断ち切った。
もっと上手い誤摩化し方はいくらでもあったのに、できなかった。
写真学科にいるのだから、当然聞かれたことはある。
『写真を撮り始めたきっかけは?』
その度に適当な言葉を連ねてきたのに、小夜を前にすると簡単な噓が口から出なかった。
あの日食べたアイスケーキの甘ったるい味が、毒のように舌先に触れたような気がして。
再び、ふたりの間に沈黙が落ちる。
流空は挫けた気持ちを引きずっていたし、小夜は小夜でフォローできるだけの材料を持ち合わせていないので、沈黙は続いた。
教室の中では学生たちがまだ熱いバトルを繰り広げている。
あと少しで授業時間は終わるのに、白熱した戦いに終わりがくるとは思えない。
細谷教授は何をしているのかと教壇を見ると、にやにやと人の悪い笑みを浮かべて学生たちを高みから見下ろしていた。
この人は本当に、教師には向いていない。
「教授……こんなの無理ゲーですよ……」
授業終了五分前になって、ひとりの男子学生が弱音を吐いた。
教授に直接訴えかけるというよりは、疲労が限界に達した呟きのようなものだったのだが、後半にいくほどどのペアもディベートの勢いは衰えてきていて、その声はよく響いた。
「情けねえなあ」
途中から飽きてしまったのか、教授は教壇で頰杖をついたまま欠伸を飲み込む。
「ま、予想してた結果ではあるけどな。どうだ、少しは物作りの苦労ってやつが身に染みたか?」
体育会系の先輩からのしごきを受けたあとみたいに、学生たちは朦朧とした顔で頷いた。
誰も、細谷教授に文句を言えるような元気は残っていない。
「一組もまとまんなかったのか? せめて三組くらいまとまるようなら、他の奴らは組み替え考えてやろうと思ったのに」
一筋の光明に、学生たちが色めき立つ。
誰か、誰かいないのか。
今の状況を打破するための生贄は、とばかりに自分たち以外の班に鋭い視線を投げ出す様子は、見苦しさ全開だった。
そんな中、ひとりの手が上がる。
「うちはまとまりました」
手を挙げたのは、一番前の席に座っている有坂ペアだった。
相棒はぐったりと机に突っ伏しているところから、有坂の主張が通ったことは明白だ。
勝利を勝ち取った者だけが見せる笑顔は輝いていた。
けれど、一組では足らない。
あとどうにか二組、犠牲が必要だ。
ぎらついた学生たちの視線が、次に挙がった手を見つけた。
野本だ。
「うちも、いけます」
まさに満身創痍といった様子だったが、その顔は喜びに満ちている。
さぞや水城は悔しそうな顔をしているかと思いきや、戦友を見るような目で野本を見ていた。
──ところん、やり合おう。
小夜が望んでいたのは、こういう結果だったのだろうなと少し羨ましくなる。
これで残るはあと一組。
流空は完全に他人事でこのやりとりを眺めていた。
できれば小夜とはペアのまま、映画を撮ってみたい。
気まずい空気になってはいても、まだ彼女への興味は失われていない。
案外しつこい性格だったのだなと、初めて知った。
だが、このままペア解消になっても、それはそれで仕方ないとも思う。
ここからどうやって方向性を合わせていけばいいかわからないし、やろうと思うと気が重い。
だから、どっちでもいい。
改めてされた、『よろしく』だけが少しもったいないだけで。
完全に側観者の体で成り行きを見守っていると、すぐ横で小夜が動いた。
同時に、小さい歓声が上がる。
まさか、と横を向けば、挙がった手は小夜のものだった。
止める間もなく小夜が頷く。
覚悟は決まった。
そんな顔を向けられたが、流空には何に対して覚悟を決めればいいのかすらわからない。
「私たちも決まりました」
一体何が決まったのか、教えてほしい。
さっき決裂したまま、一言も会話を再開できていなかったのに、何を言い出すのか。
「お~し、三組出たな。仕方ねえから、残りはシャッフルしてやるよ」
待ってくださいと言いかけた言葉は、「やったあ!」という学生たちの騒ぐ声に掻き消された。




