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きみを殺すための5つのテスト  作者: 狐塚冬里
第三章 おもちゃ箱の底には
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第三話 どうして写真を撮るのか

 幼かった流空がカメラに興味を持ったのは、たぶん、あの空っぽのアルバムを何かで埋めたかったからなのだと思う。

 そこを埋めるために撮る写真は、もう父が家族を撮るために使わなくなったデジカメを使うというのがまた、皮肉な話だ。


「どうして写真を撮るの?」


 と聞かれるとこの記憶を思い出すのだが、誰かに正直に打ち明けたことはなかった。

 その質問に答えるためには、どうやってデジカメを手に入れるに至ったかまでを話す必要があったし、そうなると流空のプライドを傷つけるあれやこれやも引っ張り出さなくてはいけなくなるからだ。

 好んで思い出したい部類の話でもない。

 だから、心の奥底にしまい込み、普段は蓋をしてあった。

 あの、おもちゃ箱に隠した写真と同じように。


 しかし、きっかけはどうであれ、写真を撮るという行為は流空に向いていた。

 写真家を目指そうとまでは思わなかったが、人や生き物を撮るのは面白かった。

 お古のデジカメが壊れてしまうまでは、よくカメラを持ち歩いていたものだ。

 デジカメが壊れてしまったのはちょうど高校受験の時で、新しい物を買うタイミングを見失ったままなんとなくカメラから離れたのだが……。



 あれは、高校三年生の夏だった。

 その頃になると、元々家には着替えを取りに帰る程度だった父を、一ヶ月に一度見かければいい程度になっていた。

 母はとっくの昔に父との夫婦関係に終止符を打ち、家を出て行っていた。

 どうして父のほうが流空を引き取ったのかはわからない。

 養育費の関係で、望む望まないに拘わらず親権が父に与えられただけのことだと流空は思っている。

 同級生たちが受験勉強に汗水たらして努力しているような時期に、流空は無為な夏休みを過ごしていた。

 大学に進学する気はなかった。

 幼稚園受験で初めての挫折を味わい、小学校でも受験失敗。

 中学受験でようやく有名私立に滑り込んだ。

 高校も家から通える範囲内で一番偏差値の高い進学校へ受かったものの、流空の成績に興味を持つ者はとっくの昔にいなくなっていた。

 そのことに流空が気づいたのは高校に入ってしまってからで、解放感と同時に倦怠感を覚えたものだ。

 そんな調子だったので、いい大学を目指そうなんて気はまるでなかった。

 高校三年間はほぼバイトをして過ごしていた。家を出たくて。

 父と顔を合わせなかったのは、流空もまた、寝に帰るだけの生活をしていたからかもしれない。


 親子三人で暮らしていた4LDKのマンションは、母の姿が消えるとどこか薄暗かった。

 うっすらと積もった埃のせいもあっただろうが、もうそこは『家』ではなかった。

 冬でもないのに、うすら寒い場所。

 母が家を出る数ヶ月前は、両親は顔を合わせれば口論ばかりしていた。

 父が決して感情的にならないので、母が一方的に気持ちを爆発させるのだが、部屋にこもっていてもその声はよく聞こえた。

 わめき声だけなら、まだよかった。

 父が仕事を理由に逃げてしまうと、母はひとり、リビングで項垂れる。

 その後ろ姿を見るのが、たまらなかった。

 気丈な人なので流空に涙を見せることはなかったが、涙を流さなくても人は泣けるのだと、流空は知っている。


 母が家を出て行って会わなくなっても、流空は時折母の亡霊を見た。

 当然、本物ではない。

 死んだわけでもないし、生き霊なんてこともないだろう。

 ただ、目に焼き付いていた母の後ろ姿の残像が、時折現れては流空を責めた。



 あなたが失敗をしていなければ──。



 高校を出たら、どこでもいいから就職して家を出るつもりだった。

 給料が安くても、仕事がきつくてもいい。

 この、薄暗い家から出られれば、なんでもいい。


 進路を決める時期になっても、流空は父になんの相談もしなかった。

 父が家にいないのだから仕方がない。

 いたとしても、父だって流空の進路になど興味も何もなかっただろう。

 そう思っていたから、「大学には行きなさい」と進路希望書を出された時には困惑した。

 それはすでに、流空が勝手に保護者が確認したという印鑑を押して、担任に提出したものだったからだ。

 いつの間に、担任教師と連絡を取っていたのか。

 流空が勝手に印鑑を使ったことには一言も触れず、父は『第一志望:就職』と書いた紙をローテーブルに置く。


「大学って言われても、今さら遅いよ」


 三年の間に流空の成績は留年すれすれのところまで落ちていたし、出席日数すらギリギリだった。

 それなのに、大学進学?

 ふざけるなと言いたいのをぐっと堪えたのは、子供っぽい見栄からだっただろう。

 父になど、心を乱されたりはしない。


 テーブルの上から進路希望書を取り上げ、折り目の通りに四つに再びたたみ直した。

 これ以上話す気はないという意思表示に、父に背を向けリビングを横切る。

 それを止めるのに、父は指ひとつ動かさなかった。


「どこでもいいから、大学までは出ておきなさい」


 流空の意見など、初めから聞く気はない。

 言う通りにしなさい。という、ただの命令。


 思えば、流空の人生最初の挫折となった幼稚園受験も、父による命令で行われたものだった。


「援助はする」


 金は出す。

 それだけが親の義務だとばかりに付け加え、歩みを止めてしまった流空の横を父が通り過ぎていく。

 すれ違い様にその腕を摑めたのは、快挙だったと思う。


「そんなに言うなら、大学には入るよ。ただし、条件がある」


 父は摑まれた背広のしわを気にするように腕を見下ろし、それから流空の顔を見た。

 少し驚いたような顔をしていたが、それは流空も同じだ。

 顔を合わせない間に、父は随分と年を取った。

 記憶の中の父よりもずっと疲れた顔をした男をまじまじと見つめている間に、父のほうが痺れを切らしたように口を開いた。


「言ってみなさい」


 あくまで上からな物言いは、慣れっこだったので気にならなかった。


「大学に行くなら、ひとり暮らしがしたい。家から通える範囲の大学だったとしても」


 ひとり暮らしがしたいという言葉にはつまり、そのための仕送りを要求するという意味が暗に含まれている。

 流空にとっての問題は進路先ではなく、家を出られるかどうかだった。

 息子を大学に行かせることは、父にとってどれほどの意味を持つことなのか。

 流空にはその重みや価値は理解できない。

 だが、流空が体育の授業中に腕を骨折した時でも、治療費をリビングに置いておくだけで済ませた父が、わざわざ流空がいる時間を狙って帰ってきたのだ。

 少なくとも、流空の身体の健康よりは関心があることに違いない。


 流空からすると数分ほど待たされた感覚だったが、おそらくはほんの数秒のことだったのだろう。

 父からの返答は簡潔なものだった。


「好きにしなさい」


 その瞳は無感情で、乾いていて。

 流空は、自分が透明人間にでもなったかのような錯覚を覚えた。


 それとも、父の目にも流空と同じように、誰かの残像が見えていたのかもしれない。

 好きにしろと言われたから、大学は生まれて初めて、偏差値を見ずに探した。

 ギリギリの時期に進路変更をした流空に、担任教師は随分と親身になってくれたものだ。

 法学部に経済学部、理工学部、文学部、果ては農学部まで。

 大学進学に流空が乗り気でないことを知っていたから、とにかく興味を持てるところにしたらいいと、片っ端から資料を集めてくれた。

 その中で唯一ここならと思えたのが、芸術学部にある写真学科だ。


 進路を決めたあと、流空は貯めに貯めたバイト代で一眼レフのカメラを購入した。

 カメラを手にするのは三年ぶりだったが、その重みは実によく手に馴染んだ。


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