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きみを殺すための5つのテスト  作者: 狐塚冬里
第三章 おもちゃ箱の底には
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第一話 ピンクのぬいぐるみ

 小学二年生の時、流空は友だちから誕生日パーティーというものに初めて呼ばれた。

 初めてならばどうして小学一年生ではないのか、という謎は未だにわからない。

 少しだけ思い出せるのは、小学一年生になったばかりの流空は不満だらけだったということだ。

 思えばあれは、幼稚園受験に失敗し、続いて小学校受験にも失敗したことに、幼心にも深く傷ついていたのではないかと思う。

 おそらく、私立という場所に受け入れてもらえなかったことが、区立に対するコンプレックスになっていたのだろう。

 だから、区立小学校に通う自分も、周りの子供も、みんな嫌い。

 そんな態度でいれば、友だちができるはずもない。


 けれど子供のことだから、一年もすれば環境に馴染む。

 むしろ一年も拗ね続けたことのほうが驚きだ。

 そういった事情で、流空の初めてのお呼ばれは小学二年生の時だった。

 他の記憶はかなり曖昧になっているのに、何故かこの記憶だけははっきりとしている。


「みきちゃんのお誕生日会に行ってくる」


 玄関先にランドセルを放り、すぐ出て行こうとした流空を母は慌てて止めた。


「待ちなさい! どうしてもっと早く言わないの。今からじゃ何も用意できないわよ」


 まるで流空が裸で外に出て行こうとでもしているかのような、慌てぶりだった。


 そんな格好で出るのはやめなさい。

 恥ずかしいでしょう、お母さんが。


 そう言われたような複雑な気持ちで、流空は半分開けていたドアを閉めた。

 みきの誕生日会に行くのは流空なのに、どうして母が慌てるのかわからない。

 約束の時間もあるので早く行きたかったのだが、母は「断れないの?」と眉根を寄せていた。

 流空は誕生日に友だちを家に招いたことはなかったが、普通はたくさんの友だちを呼んで祝うものらしい。

 そのなんだか楽しそうな会に、遅れたくはなかった。


「みんな待ってるよ」

「そう……そうよね」


 母は、相変わらず渋い顔をしたまま流空の手首を掴んだ。

 力が込められていたわけではなかったけれど、捕まえられているようであまり心地良いものではない。


「ちょっと待ってて。お母さんも一緒に行くから」


 え、やめてよ。

 まさくんも、けんちゃんも、あさちゃんだって、誰もお母さんと一緒に来たりしない。

 幼稚園児だった頃ならわかるけれど、友だちの家に母親同伴で行くのはすごく恥ずかしかった。


「……ひとりで行けるからいいよ」


 はっきりとした拒絶の言葉を口にしなかったのは、もしかしたら母も誕生日会に行きたいのかもしれない、という気遣いからだった。

 母は日中ひとりで家にいることが多い。

 誕生日会のような楽しそうな場所に行きたいと思っても不思議ではない。

 そう、半ば本気で流空は思っていた。

 小学生の子供を育てる専業主婦がどの程度忙しいのかなんて、子供が知るはずもない。

 しかし母は流空の気遣いを、小さな溜息で聞き流した。


「私がよくないのよ」


 それはそうだろう。

 流空と一緒に行きたがっているのは母なのだから。

 でも、流空には流空の世界というものがある。

 いくら母親でも、その世界でのマナーくらいは尊重してもらいたい。


 思ってはいても、言うことはできなかった。

 この頃にはもう、母は笑い声より溜息をつくことが多くなっていたから。


 いつ帰っても静かな家。


 父親は、というとたまに朝見かけるくらいで、流空が何を話しかけても新聞から目も上げずに「ああ」と「そうか」くらいしか返さないような状態だった。

 父だと流空が思っていたのは、実はよくできたロボットだと言われても、そんなに驚かなかったかもしれない。


 流空を通さない両親だけの会話はと言えば、ほとんど思い出せなかった。

 土日、祝日で会社が休みでも、父は家にいるということがなかったからだ。

 母に、父はどこに行ったのかと聞けば、仕事だと言われた。

 本当かはわからない。

 父のことを聞く度、母は微かに残っていた表情すらどこかにやってしまう。

 その顔を見れば、両親があまり上手くいっていないことくらい、子供にだってわかった。


 こうした事情で常に不機嫌な母は、流空の世界のことなんて気にしてくれない。

 一緒に行くと言い出したのは母だというのに、身支度がやたらと長くて落ち着かなかった。

 このままでは、誕生日会が始まってしまう。

 流空が痺れを切らすほんの少し前に、母はようやく鏡の前から立ち上がった。

 母親同伴に乗り気ではないけれど、どうしても行きたいのなら仕方がない。

 しかし、母はみきの家までは来なかった。

 長い時間待たされた上に、馬鹿にされる覚悟までしたというのに。


「みきちゃんて、女の子よね?」


 自宅から一番近い場所にある雑貨屋で、母は流空の意見は聞かずにピンク色をした猫だか豚だかのぬいぐるみを買った。

 それがきれいにラッピングされるのを、流空は意味もわからず見上げる。


 ぬいぐるみなんて、流空は欲しくない。


 赤いリボンをかけられたそれを、母は流空に持たせた。


「これでいいわ」


 何がいいのかわからなかったけれど、ぬいぐるみが流空のためのものでも、ましてや誕生日であるみきのためでもないことは、なんとなくわかった。



 これは、母のためのものだ。



「ちゃんとみきちゃんに渡すのよ」


 それだけ言い含めると、母は誰もいない家へと帰っていった。


 結果的に、母の判断は正しかったのだと思う。

 遅れて行った誕生日会に、プレゼントは必要なものだったからだ。

 流空と同じように招待された子供はみんな、ひとり残らずプレゼントを持参していた。

 流空だけが持っていなかったら、気まずい思いをしたに違いない。


 母が「私がよくないのよ」と言っていた理由も、ほどなくしてわかった。

 プレゼントを渡す時、みきの母親はひとりずつ、誰が何を持って来たのかをこっそりメモしていた。

 その内容はきっと、母親たちの間で話題にされるのだ。


 渡会さん、この間はかわいらしいぬいぐるみをありがとうございました。

 ええ、もう、みきったらすっかり喜んじゃって。

 笹木さんからは、色鉛筆をいただきましたの。


 手ぶらで来ていたら、恥をかくのは流空だけではなかったというわけだ。

 誕生日会に参加するための通貨と成り果ててしまったぬいぐるみを、みきはとても喜んでくれた。


 ありがとう。

 とってもかわいい!

 流空くんが選んでくれたの?


 他の友だちは自分で選んだプレゼントを渡す中、流空はどう返事をしたらいいのかわからなかった。

 ラッピングの中身がクマだということも、みきの家で初めて知った。


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