第八話 がんばったで賞
三限終了のチャイムに、レポートを打ち込んでいた指を止める。
そろそろ四限の教室に移動したほうがいい。
小夜は、と購買部を見ると、ちょうどカウンター内から出てくるところだった。
走る動作はきびきびしているのになかなか距離が縮まらないから、小夜の足元にだけ逆向きの歩く歩道でもあるのではないかという気分になる。
「お疲れ様」
ようやく流空のところまで戻って来た小夜に労いの言葉をかけると、全力で頭を下げられた。
「ごめんなさい! 結局、すごく待たせちゃって。急病人が出た代わりを頼まれて、その……」
「なんとなくそんなことじゃないかなとは。四限前に解放されてよかったね。もう移動しても平気?」
鞄を肩にかけて立ち上がると、小夜がぽかんと流空を見上げている。
「どうかした?」
もしかして、手助けに来てほしかったのだろうかと一瞬頭を過ぎる。
見た限りひとりで人員は足りていたようだったし、流空が手を貸すと言っても小夜は断っただろう。
そう思って居残ったのだが、読み違えたかなと顔色を窺う。
しかし小夜は「ううん」と首を横に振っただけで、それ以上は何も言わなかった。
流空が歩き出そうとすると、さっと小夜が目の前に立つ。
あの走りっぷりを見たあとだと別人だと思いそうになるほど素早い動きに、危うく正面からぶつかりそうになった。
「っと、大丈夫?」
ぶつかってはいないはずだが、一応一歩後ろに引いて距離を取る。
「これ、約束の品。受け取って……ください」
腹に突き刺すように押しつけられた箱を見下ろし、苦笑が漏れた。
購買部で一番高いミルクチョコレートの箱と、戻ってしまった敬語。
そのどちらにもどう反応していいか迷う。
「待たされたと思ってないよ?」
一応値切り交渉を試みると、ぐいぐい箱を腹に押し込められた。
どうやら一切まける気はないらしい。
「思ってなくても待たせたことに変わりはないし、また荷物番させちゃったし……」
また敬語でなくなっていることに、ちょっと期待した。
まだ、彼女は迷っている。流空への接し方に。
境界が曖昧なうちにどうにかしたい。
一歩、こちらにきてほしい。
「じゃあ、もらうはもらう」
ミルクチョコレート二十四枚入りの箱を受け取ると、小夜の肩から強ばりが解けた。
「もらった上で、鷲尾さんにもあげるね」
「え」
驚いている小夜の前でビニール袋を破り、片手で摑めるだけ摑んで差し出した。
慌てて逃げようとした手を摑み、ざらっとチョコレートを乗せてしまう。
ここで手を引けばチョコレートが床に落ちることになるから、小夜としても受け取らざるを得ないだろう。
「でも私、もらう理由がない」
両手にチョコレートをいっぱい載せたまま、途方に暮れたような顔を向けられた。
お菓子のおすそ分けにも理由がいるなんて、損な性格だ。
「理由かー」
あげたいから、では小夜はきっと納得しない。
また律儀にチョコレートのお返しをされてもかなわない。
「鷲尾さん、チョコ嫌い?」
「ううん。……いつも買うくらいには好きだよ。あ、自分へのご褒美がある時だけだけど」
こんな高いチョコ、いつも買ってるわけじゃないよ。
そう続きそうな慌てたニュアンスが好ましい。
購買部で一番高いといっても、ひと箱三百円でおつりがくる。
すっかりくだけた口調になっていることも嬉しかった。
小夜が納得してかつ、お返しがいらないような一方的なもの。
そんな理由を探していると、ひとつだけ思いついた。
「それなら……そのチョコは、がんばったで賞ってことで」
「がんばったで賞?」
「購買のレジ。お手伝いをがんばった鷲尾さんを賞して授与」
がんばったから、もらえる賞。
些細なことでも、努力を認められることは悪いことではないと思う。
それを形にするという意味では、賞はとてもいい制度だ。
どうかな、と反応を窺っていると、小夜は手の中のチョコレートを見下ろして「賞なら仕方ないね」と小さく、本当に小さく笑った。
俯いていたせいで顔は見えなかったけれど、声に柔らかいニュアンスがあって、つられて笑う。
でも何故か、顔を上げた時の小夜はまるで迷子の子供みたいな顔をしていた。
どうしたらいいかわからない。
たぶん、自分がそんな顔をしている自覚はない。
頼りなげな、道標を探すみたいなこの顔を見るのは初めてのことではなかった。
どうして、そんな顔をするの?
言葉にできずにいる間に、
「遠慮なくもらうね」
小夜は普通の顔に戻っていた。
「次、同じだよね? 行こう、遅れちゃう」




