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きみを殺すための5つのテスト  作者: 狐塚冬里
第二章 冷戦の幕開け
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第七話 この間の恩返しなんだけど

 たぶん、嫌われているわけではない。


 多少言葉を交わしただけで自惚れるなと言われそうだが、あの会話で何かが変わった。

 言うならば、小夜の周りに張り巡らされていたバリケードが解除されたような、そんな気がしている。

 それはやりとりをしているメールにも表れていた。

 堅苦しく、慇懃無礼ですらあった文面が、若干人間味を帯びている、ように感じる。

 しかし急激に親しくなれるはずもなく、小夜観察は続いていた。

 と言っても、見かければシャッターを切る程度だったが。


 気持ち的には、追いかけてでも話をする時間はほしかった。

 次の映像表現実習までに、課題の映像で何を撮るのかという方向性を決めておかなければいけなかったからだ。

 メールでやりとりをしてはいるものの、ようやく国交が開いたような状態なので、方向性の話に行き着くまでが遠い。

 やっと役割分担の話まできたところだ。


 小夜だって、課題を提出できなければ困るだろうに、あまり焦っているように感じないのは何故なのだろう。

 それとも、文面に表れていないだけで、焦ってはいるのだろうか。

 一応周りの状況も知っておこうかと野本に進行状況を聞いたところ、ペア解消を訴えるつもりだと言っていた。

 野本の話では、同じようにペアの組み直しを希望している学生が多いという。

 この状況を、小夜も知っているとしたら……。


 どうせ解消されるペアだ。

 まともに話し合いを設けても仕方ないと思っていても不思議はない。


 流空としては、できればこのまま一緒にやり抜いてみたかった。

 ようやく、会話らしい会話ができるようになってきたところだ。

 流空とは違う小夜の考え方を、もっと聞いてみたい。

 どうしたら、直接話すことができるだろう。

 そう考えてはいたが、その日、白地に花柄プリントの鞄を食堂で見つけたのは偶然だった。


 流空の木曜の三限は空きになっていて、四限の映像表現実習が始まるまで課題でもやりながら時間を潰そうと食堂を訪れた。

 人もまばらな食堂の椅子の上に、その鞄を見つけたのだ。

 小夜の持っている物に似ているなと思って近寄りかけ、鞄の置かれている席にあれ、と思う。

 前もこの席に小夜が座っているのを見たことがあった。

 それも、わざわざ空くのを待ってまで。

 決まった席には座らないと思っていたが、どうやらある程度のお気に入りはあるらしい。

 マイルールみたいなものかなと勝手に決めつけて、鞄に近づいた。

 近くに小夜の姿を探すと、学食のメニュー看板の前にいるのを見つけた。


 今日も、ビデオカメラを回している。


 あからさまに録画しているような感じではなかったが、視線とカメラの向きが同時に動くことから、撮っているのだろうと予測できた。

 近くにいるならいいかと離れかけ、視線が開いたままの鞄の中に吸い寄せられる。

 中には、財布が無防備に入れられていた。

 いくら大学構内だからといっても、置き引きがないとは言えない。

 放置するわけにもいかなくなって、小夜が戻るまでは見張っていようと勝手に空いている隣の席に座った。


 財布も持たず、小夜は一体何を注文する気なのだろう。

 それとも暇潰しにメニューを見に行っただけなのか。


 どちらにせよ不用心だなと、テーブルに頰杖をつく。

 見ようと思って見たわけではないが、また鞄の中身が見えた。

 四角い黒いものがごろごろ入っている。

 女の子の鞄にはおよそ似つかわしくない電子機器の類いに、首を捻った。

 パソコンのアダプターのように見えたけれどコードはないようだったし、肝心のパソコンは鞄の中にはないようだ。

 他に似たものは、流空の使っているデジタルカメラのバッテリーが思い浮かぶ。

 もしかしたら、小夜がいつも持ち歩いているビデオカメラのバッテリーだろうか。

 それにしても、一個ならまだしも三個はあった。

 さすがに持ち過ぎな気がする。

 しかも充電なら大学でだってできる。

 どこにそんなバッテリーを持ち歩く必要性があるのだろう。


 小夜のことだ。

 誰かに貸すとかあげるとか、そういった理由で今日だけ多めに持っているのかもしれない。

 人の荷物を勝手に見ておいて詮索するものでもないと、適当な理由をつけて視線を小夜のいたほうへと向けた。


 小夜はまだ、メニューを真剣に睨みつけている。

 なんの変哲もない料理メニューに、実は暗号でも仕掛けてあるのではないかと疑うほど真剣な様子に、一眼レフを取り出しそうになった。

 けれど、こんなに近いとさすがにばれる。

 見つかったら、せっかく開いた国交にひびがはいってしまう。


 流空が頰杖をついたまま見守っていると、小夜がようやくメニューから顔を離してこちらに気がついた。パッと浮かんだ表情には、驚きにほんの一割ほど動揺みたいなものが混じっている。

 流空に気づいた段階でカメラを回すのをやめるだろうと、思っていた。

 けれど、小夜はカメラをまっすぐ前に向けたまま、歩いてくる。

 流空を避けるのは、やめたのだろうか。

 それとも、初めから流空の自意識過剰だったのか。


「鞄、さすがに財布入れっぱなしだと危ないと思うよ」


 声が届く距離まで来たところで、鞄とさっきまで小夜が見ていたメニューを指差した。

 小夜は律儀にも流空の指差した方向を見比べてから、なるほど、と頷く。

 どうやら、待ち伏せしていたわけではないということはわかってもらえたようだった。


「見張っててくれたの?」


 黒目がちな瞳が、窺うように流空を見る。


 どうして、このバッグが私のものだとわかったの?


 当然向けられるだろう疑問に、今頃になって気づく。

 まさか毎日見ていたから覚えてしまったとも言えない。


「……空き時間で、暇だったから」


 咄嗟に上手い言い訳は出てこなかった。

 けれど、彼女は「そうなんだ」とだけ言って、それ以上何も追求しようとはしなかった。

 存外、大らかな性格をしているのかもしれない。

 なんにせよ、助かった。


 これ以上ここにいると墓穴を掘りそうだ。鞄を見張る必要もなくなったので腰を上げかけた流空に、小夜が指を開いた手のひらを目の前に突き出した。

「あいや待たれい」そんなかけ声が似合いそうな素振りで、おとなしそうな彼女の風貌とは合わない勢いのある所作だ。


「空き時間なんだよね? プリン好き?」


 関連性のないふたつの質問に、浮かしかけた腰をまた椅子へ落ち着ける。


「空き時間だしプリンも好きだけど、どういうこと?」

「この間の恩返しなんだけど、プリンで手を打ってもらえないかな」


 大真面目な顔で、小夜は財布を鞄から取り出して購買部を指差した。


「恩ってティッシュのこと? プリンに化けるほどすごいことじゃないよ」


 購買部のプリンはひとつ九十円のものからフルーツアラモードになった五百円のものまでと幅広い。その一番安いものでもたかがティッシュのお礼には重すぎる。


「お財布見張っててくれたのと、あと……うんちょっと色々あって、五倍返しくらいが妥当だと思うの。だからプリンおごらせて」


 何をどう色々すると五倍になるのかわからないが、小夜は本気のようだった。


「ほんとにいいよ。大したことしたわけじゃないし、かえって悪い」


 女の子からおごってもらうことに抵抗があるわけではないが、あの時は流空がしたいからしただけで礼なんて望んでいなかった。


「でもそれじゃ、困るの」

「え?」


 困る。本当に困る。


 財布を握る小夜の手に、ぎゅっと力がこもった。

 借りを作りたくない相手が、借りを返させてくれない。

 今の状況はたぶん、そういうことだ。正直言うと、少しだけ切なかった。

 友だちなら、借りを作ることをここまで気にしなかっただろうから。

 自分と彼女の埋められない距離を再確認して、それじゃあと口を開く。


「じゃあ、プリンよりチョコって気分だからミルクチョコでもいいかな。あの、一口サイズの」


 これくらいの、と親指と人差し指で小さな円を作って見せた。

 一粒二十円のミルクチョコ。

 それくらいならお礼としてもらったとしても穏当だろう。

 値段は下がっても、流空が要求したものなのだから納得もしてもらえるはずだ。

 案の定、彼女はほっとしたように頷いた。


「ミルクチョコね。ちょっとだけ待ってて」


 今度はしっかりと財布を握りしめ、スカートの裾を翻して走り出す。


「……遅いなー」


 きびきびした動きのわりに、足が遅い。

 購買部までそんなに距離はないのに、なかなか辿り着けない背中を見守った。

 人にぶつかりそうになる度、手を貸したくなる。

 運動神経は、あまりよくなさそうだ。


 友だちなんて、当たり障りなく過ごせる連中だけで十分だと思ってきた。

 わざわざ気の合わない奴とつるんでもお互い疲弊するだけだし、面倒臭い。

 流空は自分が冷めている自覚があったし、これからもそこは変わらないだろうと思っていた。

 それなのに、小夜と友だちになれる可能性が低そうだとわかったら、がっかりしている。


 女友だちがいないわけでもない。

 ましてや彼女という存在に困ったこともない。


 小夜の一体何に、自分は惹かれているのだろう。

 いつまで経っても購買のレジに辿り着けそうにない小さな背中を見つめながら、考えた。


 話してみたら、面白そうな子だとは思う。

 まだまともに話していないのでわからないけれど。


 見た目がかわいい。

 これは言うと怒られそうなので、関係ないことにしたほうがよさそうだ。


 いつも撮っているビデオが気になる。

 これはある。

 なんのために撮っているのか、何を撮っているのかは、聞いてみたい。



 あとはたぶん、自分と正反対だから。



 何がどう反対かと聞かれたら曖昧にしか答えられないのだが、小夜を見ているとこの子は自分とは違うなと思うのだ。


 例えば、人に席を譲るにしても、流空は相手が譲ってほしそうだったら譲る。

 でも小夜は自分が譲りたいから譲る。

 どちらがいいとか悪いといった話ではなくて、根本的な行動原理の違いだ。


 流空ならやらないことを、小夜はきっとやる。

 流空が思いつかないような考えを、当たり前のように話す。


 それは見ていて興味深く、次の行動が気になった。


 そして何より、あの目だ。

 初めて流空が小夜を認識したあの日。どうして流空を見ていたのか。


 もしかしたら、ただ目立っていたから目に入ったなんて拍子抜けする理由かもしれない。

 けれど、小夜が物言いたげな目をするのは、あの時に限ったことではなかった。

 それが一番気になっているのかもしれない。


 ──男の子が、かわいそうで。


 この間授業で観た映画の小夜の感想を、思い出す。

 かわいそうというよりは、愛おしいといったやさしい口調がいいなと思った。

 あの子はきっと、同情はしない。

 同情ではなく、本当に自分のことのように胸を痛めてしまう。


 やっと会話ができるようになったくらいで知ったかぶりもいいところだな、と恥ずかしくなった頃、購買部に行っていたはずの小夜が戻ってくるのが見えた。

 辿り着いたところを見ていないのだが、考え事をしている一瞬のうちにチョコを買い終えていたのだろうか。小夜の足の遅さを考えると、それも難しい気がする。


「あった?」


 一応、買い終えているものと見なして声をかけたが、小夜は軽く息を切らせていて「待った」と目の前に手を突き出した。

 体力も、あまりないらしい。


「まだ、買えてないんだけど、ちょっとトラブルがあって……」

「息、整ってからでいいよ……?」

「大丈夫……。それで……うん。ちょっと、待っててもらっても大丈夫かな? もし、遅かったら待たなくていいから」

「……うん、わかった」


 どんなトラブルがあったのかだとか、どうしてだとかは、聞かなかった。

 小夜が、すぐにでも購買部に戻らなければ、という素振りを見せていたからだ。

 これを引き留めるのは申し訳ないというほど、顔に出ていた。


「ありがとう。……ごめんね」


 安堵した小夜の表情は微笑で飾られていて、鼓動が小さく跳ねる。

 笑顔を向けられたのは、これが初めてかもしれない。


 再び購買部に走り出した小夜の背中を見守りながら、じわじわと気分が高揚していくのを感じていた。

 国交、バンザイ。


 やっぱり、ペアは解消しないでいたい。

 もう少し、小夜という人を知りたい。

 そのためにはどうしたらいいかなと考えていると、ようやく購買部に辿り着いた小夜が何故かレジの中へと入っていくのが見えた。

 トラブルというから、知り合いに会って話が長引きそうだとか、そういったことを想像していたのに、そこに見えた光景は予想の斜め上をいっていた。

 ランチタイムは過ぎているので混んでいるわけでもないけれど、せっせとレジ打ちをしている姿に吹き出した。

 何をどうしたら、そんなことになるのかさっぱりわからない。


 あれはしばらく戻って来そうにないなと、スマホを取り出した。

 元々、ここで課題を済ませてしまう気だった。

 それに、小夜は鞄を席に置いたままにしている。

 誰か荷物番はいたほうがいいだろう。


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