小話集(ある町の待人 [女性の物語])
あんたはやっぱり馬鹿だよ。
分かっていながら、戦いに参加して戻ってこないのだもの。
あれだけ止めたのに。ここにいてって言ったのに。
牧場を抜けて、畑を通り過ぎたずっと先に墓地はある。
遮る物のない平原は水平線へ繋がり、風はどこまでも流れていく。
長閑な、平凡な田舎町。
数年前より始まった隣国のいざこざは、火の粉のように近隣へ飛び火して、いよいよ他所の話と片付けることができなくなっていた。
それでも徴兵の動きは緩いもので、大抵が志願という形をとっていた。
だからこそ、働き手の必要な小さな町では、自ら志願する者はごくわずかだ。
彼は、もともと士官学校の出身だ。
成績も優秀で、将来を期待されていた人物だった。
だが数年前、突然帰ってきて家業を継いだ。
いくら聞いても理由は教えてもらえず、結局彼はこの町の一部となった。
彼の幼馴染は言っていた。
自由奔放で、正義感が強くてよく笑う。他人のいうことは、いつも聞きやしない。それがあいつだよ。
そこがいいんだと、言っていたが私も同感だ。
憎めない奴なのだ。
大人になってから出会った私達だが、兄妹のように仲良くなっていた。
年上のわりにフランクな彼は、いつも私を怒らせる。
そのたび、人当たりの良い笑顔で謝ってくる。
「悪かった」
「怒るなよって」
「今度から気を付けるって」
本当に反省しているのかわからない表情だったが、彼は約束を守ってくれた。
ちょっとしたことでも、律儀に守るもんだから怒れなくなる。
そんなある日、この町に徴兵志願を募る声がきた。
身なりの良い王都の兵士数名が、数日滞在しそのまま戦地へ赴くとのことだった。
それでも、この町には働き手をよこす余裕などない。
兵士達も分かっていて、滞在期間も人数も少ないのだろう。
私自身も、あぁ、来たのか程度の認識だった。
それなのにだ、私にとって他人事でなくなったのは彼のせいだった。
どうして行くのか、何度も止めた。
そのたびに困ったような笑顔で「ごめん」というばかりで止めようとしなかった。
その瞳には、揺らぎなんてなかった。
出発まであと2日の夜、私は最後の説得をしに彼のもとへ訪れた。
山羊小屋の柵に寄りかかり、談笑もそこそこに話し出すとまた困ったように笑いだす。
“私は本気なのに”
諦めのあの字も出てこない彼に、ついつい口調が強くなり、涙が滲んでくる。
この暗さでは泣きそうな顔は見られないだろう。
ただただ、いつものように沸点の超えた怒った声音になっていた。
いつもと違うところは、止められない悔しさも含まれているというところ。
“お前にそこまで言われるとさすがに困るな”
困るなら止めなさいよ
“でもごめんな”
謝らないでよ
“でも一生の別れみたいに言われるのは、心外だな”
“俺は終わるつもりもないし、英雄の一人として見送られるつもりもない”
“もしそうなってしまっても、お前にそんな迎え方、して欲しくない”
街へ帰ってきたのは、彼の右腕だった。
戦地は激しさを増し、混乱状態となっていた中、彼は果敢に戦ったそうだ。
攻撃は落ち着いたが、敵味方関わらず多くの人々を失った。
遺体のほとんどは損傷が激しく、身元が分からないそうだ。
右腕を届けてくれた青年は、最期に託されたと話し懐中時計を渡してくれた。
彼は家業を継いだ数日後、唯一の肉親を見送っている。
だからこそ、彼は私にと青年に託したのだろう。
牧場を抜けて、畑を通り過ぎた先の墓地は、今日も遮る物のない平原が水平線へ繋がり、風はどこまでも流れていく。
彼の肉親が眠る墓石の前でしゃがみ込み、墓石に懐中時計をかける。
以前彼と墓参りをした時、両親と一緒に眠りたいと言っていた。
最期くらい一緒にいたい、と。
布に包まれた右腕を、そっと抱きしめる。
言いたいことは山ほどあるが、言わなくてはならないことがある。
「おかえりなさい」
“どんな姿になっても、ただいまって言うからさ”
“おかえりって言ってほしい”
“頑張ったねって”
“そしたらいつもみたいに怒ってくれないか?”
絞り出すように出した声に答えるように、風が駆け抜けていく。
まるで本当に「ただいま」と言うように。
ここ数年で一番激しい戦いは、彼を奪っていった。