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「そうね。一から説明するとしたら〈大崩壊〉の日までさかのぼることになるわね」
そう前置きしてから、局長夫人はゆっくりと語り始めた。
「〈大崩壊〉が起きたあの日、繁栄を極めていた世界経済は何の前触れも無く崩壊した。アメリカ発の世界恐慌は瞬く間に広がり、世界中のあらゆる国々が戦争と飢餓により次々と崩壊していった。この世界の終りを誰も予想することはできなかった――世界初の量子コンピューター〈グノーシス〉を除いてね」
それはぼくが生まれるずっと前、局長夫人も生まれてはいない頃の話。
当時の事を知る人物が一人も生きていない、歴史の教科書の中でのみ語られるような大昔の話だ。
「経済市場のかすかな変動から世界の終末を予知した〈グノーシス〉は、この国を〈大崩壊〉の余波から救い出した。当時の政府に鎖国体制を敷くように進言し、〈大崩壊〉の影響を最小限に食い留めることに成功した。そして〈大崩壊〉以後、この国の救世主となった〈グノーシス〉は、人間になり替わり国家の管理を任されるようになったのよ。疲弊しきった当時の政府には既に国家を運営するだけの力は残されていなかった。それならばいっそ、コンピューターに一任してしまった方が得策だと当時の人達は考えたのね。要するに、責任をコンピューターに丸投げしたって言うわけね」
ここまでの話は、ぼくも知っている事だった。
事なかれ主義の人間って言うのはいつの時代でもいるもんなんだ。
「国家運営を任された〈グノーシス〉は機械による完全管理社会を作り上げようとしたの。狭い国土と限られた資源を有効に活用し少ない労働人口でこの国で鎖国体制を維持し続けるためには、国内のあらゆる組織を徹底的に合理化する必要があったの。計画的な区画整理を行い国民一人一人に快適な住居を支給。完全栄養食の開発、及び食料の配給。メタンハイドレードを始めとした新エネルギーの導入。そして、労働力の完全機械化。これにより、市民は労働の苦役から解放されることになったのよ。希望者のみが〈グノーシス〉システムを管理する『管理局』に所属し働くことをゆるされ、衣食住を保障された市民たちは己の人生を」
わお、まさに一億総ニートってわけだ。
ぜひともこの時代に生まれたかったね。生活保護で生きていけるなんてまさにユートピアじゃん。
「市民に幸福を約束した楽園は、しかし長続きすることはなかった。国民にあらゆるものを与えてきた〈グノーシス〉でも、たった一つだけ与えることが出来ないものがあったのよ」
「何です?」
「生きがいよ」
静かに、そして厳然とした調子で局長夫人は言った。
「生活が保障されても、生きるための目的が無くては意味が無いわ。それでは家畜と変わらない。人間は存在するには、理由と目的が必要なのよ。人工知能である〈グノーシス〉はそれが理解できなかったのよ。市民は自らが生きる目的、即ち『仕事』を求め始めた。そして、その日から人間と〈グノーシス〉の知恵比べが始まったのよ」
局長夫人は一先ず話を区切った。
タイミングよく、キッチンから女ニートがやって来た。
二人分のお茶を煎れる。
局長夫人がありがとうと礼を言うと、女ニートは再びキッチンへと戻って行った。
の淹れてくれたお茶を一口すすり、話を続ける。
「市民は仕事を求めて管理局の元へ殺到した。しかし管理局の仕事は限られている。そこで市民たちは『仕事』を作り始めたの。役にも立たないガラクタを作り続ける職人たち。市場を無視した取引で暴利をむさぼる商人たち。消費量を超えた食料を作り続ける農民たち。〈グノーシス〉の管理網の隙をついて次々と生み出される労働は、社会を大きく疲弊させることとなった」
二人分のお茶を汲み終えると女ニートはすぐにキッチンに戻って行った。
ぼくもお茶を飲みながら、局長夫人の話に耳を傾ける。
「やがて〈グノーシス〉は無尽蔵に労働人口を増やしつづける管理局を社会に害を及ぼす存在だと認定し、排除しようとしたの。手始めに〈グノーシス〉は労働力を数値化し、市民すべてを管理することにした。そして、著しく労働力値の低い人間たち――ニートを集め、待機労働者センターに収容した。そして最新の教育システムを用いて、最高の兵士へと作り上げた――ニートによる反管理局組織〈オーバーサイト〉の兵士として」
「それじゃあ……」
衝撃の事実に、ぼくは絶句する。
「〈オーバーサイト〉は〈グノーシス〉によって作り上げた組織だったってこと?」
「そう言う事よ。〈オーバーサイト〉は管理局の暴走を食い止める『監視者』なのよ。そして本来ならばぼくも〈オーバーサイト〉の一員になるはずだったのよ。礼文華の横やりが無ければね」
その礼文華は死に、彼の陰謀も阻止された。
結果的にではあるが、ぼくは〈グノーシス〉に与えられた監視者としての役目を果たしたというわけだ。
紆余曲折はあったが、すべては〈グノーシス〉の思惑通りに収まったってわけだ。
〈グノーシス〉の支配は完璧ではないが、完全なんだ。
「混沌とした状況の中、あなただけが自らの職分を理解し、実行に移した。誇っていいわ。この世界を救ったのは、あなたよ。〈グノーシス〉に代わってお礼をいわせて頂戴」
深々と頭を下げる局長夫人に、しかしぼくは何の感慨を抱きはしなかった。
こんな安っぽい賛辞はぼくには必要ない。
ぼくの胸の内には、一つの仕事を最後までやり遂げた充足感で満ち溢れている。
他に何が必要だ?




