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『学習の時間です。社会人として恥ずかしくない教養を身につけましょう』

 

 さあ、次はお勉強の時間だ。

 床からふかふかのクッションと肘掛が付いたリクライニングチェアがせりあがって来る。

 続いて、天上からヘッドギアが降りてきた。 

 学習用ヘッドギアを頭からすっぽりかぶり、背もたれを一杯に倒したリクライニングチェア横たわるとお勉強の準備は完了だ。


 脳科学を応用した最先端の学習システムでは、机も教科書も筆記用具もパソコンも必要無い。

 それどころか、学習意欲すら必要としない。

 

 ぼくは椅子に横になって、ヘッドギアの裏側に表示される情報映像を見つめているだけでいいんだ。

 ヘッドギアの映し出す映像は様々だ。

 スミルノフ高等数学教程。昭和初期の文学作品についての解説。六法全書。プロテスタンティズムと資本主義の精神。初歩の石膏デッサン。英文法、形容詞の使い方。温帯気候と湿潤気候について。サバの味噌煮の作り方。等々、

 それら種々雑多な映像が目で追いきれないほどの高速で流されてゆく。

 ヘッドギアから微弱の電波が脳を活性化。視覚を通して自動的に脳内に情報がインプットされてゆく、ってのがこのシステムだ。


 この『強制お勉強システム』のおかげで、ぼくの頭の中には大学教授クラスの専門知識がぎっしりと詰まっている。らしい。

 しかしそれは、あくまでも知識があると言うだけで、活用できるかどうかは別問題だ。

 ナノテクノロジーを応用した心臓外科手術に関する医学知識はあるけれど、メスを握って手術をしたりなんて出来ない。

 後期印象派に属する画家と作品名は丸暗記しているけど、絵を描いたりすることはできない。


 だからぼく自身には、頭が良くなったと言う実感は全くない。

 自分から望んで得た知識じゃないから、達成感すらないんだ。


 不毛な学習の時間が終わると、次は運動の時間になった。

 

『運動の時間です。健全な精神は健全な肉体に宿る。健康の為に適度な運動を行いましょう』


 ぼくはクローゼットから運動着を取り出した。

 手首からくるぶしまで、全身にぴったりとフィットする黒い運動着に着替えると、早速今日の運動メニューに取り掛かる。


 簡単なストレッチを終えた後、筋肉トレーニングを始める。


 床に手をつきプッシュアップ。

 仰向けに寝そべりクランチ。

 うつぶせになってバックエクステンション。

 頭の後ろで手を組んでスクワット。

 天井から降りて来たバーにぶら下がりチンニング。

 自重トレーニングの後は、バーベルとダンベルを使ってウェイトトレーニングだ。


〈グノーシス〉の組んだトレーニングメニューは効率的に筋繊維を破壊し、筋肥大を促してくれる。

 このトレーニングのおかげでぼくは割れた腹筋と逞しい二の腕を手に入れることができた。

 適度な運動、と〈グノーシス〉は呼んでいたが、これがなかなかハードなんだ。

 メニューを終えるころにはぼくの全身は汗まみれになっていた。


『続いてシミュレーターを使った訓練に移ります。HMDを装着しフィジカル・デバイスの上に移動してください』


 ぼくは〈グノーシス〉の指示通りにした。

〈グノーシス〉の用意してくれた、顔の上半分を覆うHMDヘッド・マウント・ディスプレイ装着し、床からせりあがって来たフィジカル・デバイスの上に乗る。

 これでシミュレーター訓練の準備は完了だ。


『準備はよろしいですか?』

「ああ、いつでもいいよ」

『それでは訓練を開始します。まずは軽く、ランニングから』


 合図と同時にHMDが仮想現実空間の風景を映し出す。

 次の瞬間、ぼくは狭苦しい白一色の部屋から大都会のオフィス街に放り出された。


「いきなり、ランニングかよ」


 ぼやきながらもぼくは走り出す。

 フィジカル・デバイスは進化型ルームランナーだ。

 八角形の動く床は、足の動きに合わせ前後左右、自由自在に移動可能。

 こいつとHMDを併用すれば、まるで屋外で走っているような気分になれるんだ。

〈グノーシス〉の作り出した仮想現実の世界は、現実と寸分違わない。

 街路樹の並んだ歩道には、スーツ姿のビジネスマンが歩いていた。わざわざモブキャラまで用意しているとは芸が細かい。

 歩行者を避けながら走るぼくに、〈グノーシス〉から警告が飛ぶ。


『警告。赤信号です』


 気が付くと、ぼくは横断歩道の真ん中で立っていた。

 信号を見上げると〈グノーシス〉の言う通り、赤だった。


「いいじゃないか信号なんて。どうせ車なんか走って来やしないんだし」


 融通の利かないAIに向かって、ぼくは口を尖らし抗議する。

 本当に〈グノーシス〉は妙なところに凝り性なんだよ。

 バーチャル空間で交通ルールを気にするほど馬鹿げたことは無いね。

 ランニング・シミュレーターに通行人や車なんて必要ないだろうに。


『いけません。いついかなるときも、交通ルールを守りましょう』

「だったら、信号のない所にしてくれよ。ランニングの途中で一度足を止めると、再び走り出すのはとても面倒なんだ」

『わかりました。ではステージ505に変更します』


〈グノーシス〉がそう言うと同時に、周囲の風景が切り替わる。

 新たに用意されたランニングコースは、うっそうと茂るジャングルだった。

 森の中を縫う獣道は、舗装された道路とは比べ物にならないほどに走りづらい。


「……くそったれ!」


 底意地の悪いAIに毒づきながらも、ぼくは黙々とランニングを続ける。

 これ以上余計な事を言って〈グノーシス〉を怒らせようものなら、今度は砂漠のど真ん中を走らされることになるかもしれない。 


 三キロほど走ったところで、ようやく〈グノーシス〉のお許しが出た。


『ランニングメニュー終了。続いて、戦闘訓練を始めます。』


 次はいよいよ、戦闘訓練だ。

 妙な話なんだけど、この待機労働者センターでは戦闘シミュレーターを使った戦闘訓練が義務付けられている。

 目的は軍事訓練を通して強靭な肉体と精神力を養うことであって、実際に戦争するためのものじゃあ無いんだ。


 ここだけの話、この戦闘シミュレーターはぼくの得意分野なんだ。

 達人と言ってもいいね。

〈グノーシス〉の戦闘シミュレーターには、難易度によってレベルが設定されている。

 ぼくは先日レベル100、つまり最高難易度をクリアしたんだ。

 だから〈グノーシス〉今日はどんなステージを用意してくれるのか、楽しみでしょうがないんだ。


『今日のシミュレーション・レベルは64。ステージは302。シチュエーションは07です』

「レベル64だって? おいおい〈グノーシス〉! ぼくは昨日、レベル100をクリアしたんだぜ? 今更レベル64なんてかったるくてやってらんないよ。もうちょっと上のレベルにしてくれないか? せめて、80以上にしてほしいんだけど」

『レベルとシチュエーションの変更は受け付けられません。ステージの変更は可能ですが……』

「いや、いいよ! レベル64でいいです!」


 仮想空間の中じゃ〈グノーシス〉は神様だ。

 さっきみたいな調子で極寒の雪山や、灼熱の砂漠地獄に放り出されたらたまったもんじゃない。


 ぼくが了承すると、背景の画像がステージ505の森の中からステージ302へと切り替わる。

ステージ302は山岳部にある廃村だった。

 倒壊した家屋や、打ち捨てられた車両なんかが転がっている。

 青空の下に横たわる山脈に緑はなく、灰褐色の岩肌をむき出しにしている。

 ステージの風景に会わせて室内の空調も変化する。

 高山地帯特有の酸素濃度の薄い肌寒い空気は、ジョギングの後の体には少々堪える。


 ぼくの服装も戦場の風景に合わせて変化していた。

 全身を戦闘服に身を包み、手にはアサルトライフルが握られている。

 他にも、腰のベルトにはサイドアームの拳銃やナイフなんかも用意されている。

 これらの戦闘装備は、すべて仮想現実の作り出した紛い物だ。

 紛い物ではあるが、この仮想現実の中では実物と同じように機能を発揮してくれる。


 試しにぼくは、手の中にあるアサルトライフルを構えて見せた。

 水平に構えたアサルトライフルは手のひらを通して重量すら感じることが出来る。

 これはHMDの投影する映像にセンサースーツが反応し、電気信号でぼくの筋肉に抵抗を与えている証拠だ。


 仮想現実と正常にリンクしているかを確かめると、ぼくはステージ攻略に取り掛かった。

 勝利条件であるシチュエーション07とは、要するに殲滅戦だ。

 敵軍、自軍、共に支援なし。単独で敵勢力を殲滅しなければならない。

 ぼくが死んだら即、ゲームオーバー。

 レベル64だが、なかなか歯ごたえのある戦場だ。


 まずは、索敵から開始する。

 近代戦では先に敵を発見した方が勝利する。


 ぼくがいるのは村の中央部。

 東西南北。四方に伸びる十字路の交錯する地点だ。

 通りに立ち並ぶ民家は、朽ち果てているか壊れているかのどちらかだった。

 道の真ん中に立って意識を集中する。

 視覚、聴覚に加え、体性感覚全てを活性化させる。

 いわゆる『肌で感じる』ってやつさ。


 ぼくの研ぎ澄まされた聴覚が、視覚が。

 こちらに向かって近づく敵の姿を察知した。

 その数合計四人。

 距離にして百メートルの位置を、毎時六キロメートルの速さで接近してくる。

途中で一人が足を止める。

 これは多分、バックアップ要員なのだろう。

 三人の後ろに控え、グレネードランチャーで援護するつもりなのだ。


 やがて先行する前衛三人がぼくに向けて発砲して来た。

 浴びせかけるような銃撃にさらされても、ぼくは慌てない。

 なぜならぼくには、彼らの銃弾が当たらない事を知っているからだ。


 度重なる戦闘シミュレーションは肉体や精神のみならず、脳神経を細胞レベルで鍛え上げていた。

 おかげでぼくは卓越した空間認識能力と反射神経を手に入れていた。

 この二つを用いれば弾道を予測することは不可能では無い。


 相手の動き。銃の種類。位置。角度。

 それら全てを瞬時に計算し、銃弾の動きを予測する。ぼくは最小限の動きで、銃弾の隙間へと移動する。


 相手の銃弾をやり過ごすと、今度はぼくの攻撃だ。

 ライフルを構え、引き金を引く。

 撃ち込んだ弾は合計三発。

 一人一発だ。

 ケチくさいが序盤から弾をばらまくわけには行かない。

 ぼくの放った三発の銃弾は狙い過たず、命中した

 前衛の三人は綺麗に眉間を撃ち抜かれて絶命する。


 正面からの打ち合いに勝利すると、ぼくは次の獲物に取り掛かる。

 グレネードランチャーを構えるバックアップに向かって、僕は駆け出した。

 突進するぼくに向けて兵士はグレネードランチャーを発射した。

 馬鹿が。走っている人間相手にグレネード弾が当たるはずがないだろうに。

 予想通りグレネード弾はぼくの頭上、約三十センチ上の辺りをかすめて後方の地面に着弾した。

 グレネード弾が破裂すると同時にぼくはアサルトライフルを発射する。

 走りながらであっても、ぼくの射撃は乱れることは無い。

 やはり一発で敵を仕留めると、倒したばかりの兵士の元へと駆け寄る。

 さっきまでぼくに向けられていたグレネードランチャーを拾い上げ、身を起こしたその瞬間、ぼくの聴覚が銃声を察知した。

 南東の方向。距離約ニ百メートル。

 三階建てのビルの三階に、狙撃兵が潜んでいた。

 狙撃兵が放った銃弾は、ぼくのいる場所から二メートル外れた地面に突き刺さった。


 下手くそめ。

 腕のいいスナイパーならニ百メートルの距離で外すようなことは無い。

 少なくとも、ぼくは絶対にはずさない。

 まあ、レベル64の狙撃兵ならこの程度だろう。

 ぼくは拾ったばかりのグレネードランチャーを構えた。

 狙いは三階建てのビルの三階。狙撃兵の潜む部屋だ。

 放物線を描いて飛ぶグレネード弾は、建物の窓の中に飛び込んだ。

 ドン、と言う破裂音と共に、窓から煙が噴き出した。

 それと同時に狙撃兵の射撃も止んだ


 見たか!

 これがレベル100の実力さ。


 

 ぼくは狙撃兵が撃って来た建物の方へと向かった。

 三階建てのビルは村で一番でかい建物だ。残りの敵もそこに居るに違いない。

 途中、通りに面した廃屋から銃撃を受けたが、グレネードランチャーを打ち込んでやったらすぐにおとなしくなった。

 目標のビルの前に到着するとぼくは、グレネードランチャーを捨てて武器をハンドガンとナイフに持ち替えた。

 屋内戦ならばこちらの方が効果的だ。

 右手にハンドガン。左手に逆手に構えたナイフを掲げ、ビルの中に突入する。

 ビルの中に入るなり銃撃を受けた。

 奥の部屋から撃って来る敵に銃弾を二発撃ち込み黙らせる。

 さらに奥の部屋に二人。こいつらも銃弾で黙らせる。

 二階へと続く階段でも待ち伏せが一人いた。

 階段の上からサブマシンガンを撃ち込んできた所を足に一発。動けなくなった所で階段を駆けのぼり、ナイフで止めを刺す。

 二階にいた敵は合計三人。

 それぞれアサルトライフルで武装していたが、ぼくの敵では無かった。

 敵の銃弾をかいくぐり、難なく拳銃で片付ける。


 この頃になると、ぼくはこの単調な作業に飽きて来た。

 やはりレベル64はぼくにはヌルすぎる。

 動きも鈍いし、攻撃も雑だ。

 集中力を絶やさないように気を付けながら、ぼくは残りの敵を片付けて行った。


 ビル内の敵を全て掃討しても、シミュレーターは終了しなかった。

 どうやらまだこの村の中に敵がいるらしい。

 面倒な、と思いながらもぼくは村の中にある廃屋を、一つ一つ捜索してゆく。


 やがてぼくは、一軒の廃屋の前で足を止めた。

 中から物音が聞こえてくる。

 いや、これは声だ。

 それも女のすすり泣く声だ。


 ぼくは銃を構え、警戒しつつ廃屋の中に入る。

 崩れた屋根の隙間から差し込む光の中、浮かび上がる人影があった。


 女の子だ。

 俯いているので顔は見えないが、その小さな体と嗚咽の声で女の子であることがわかる。

 瓦礫と粉塵が立ち込める部屋の中で、少女は両手を抱え、肩を震わせていた。

 何でこんな所に女の子が?

 疑問に思うよりも先にぼくは行動に移った。

 理由はどうあれ泣いている女の子を放っておくわけにも行かない。

 ぼくは銃を下ろし、少女に近寄った。

 

「……ねぇ」


 声をかけると同時に、少女は顔を上げた。

 つぶらな瞳は赤く腫れ、両頬には涙の跡があった。


 少女は抱えていた腕を広げ、ぼくに向けて両手を差し出した。

 小さな手のひらに握りしめていたものは、


 手榴弾だった。


「……え?」


 唖然とするぼくの目の前で、少女の手の中で手榴弾が破裂した。

 少女ともろともにぼくの体が手榴弾の爆発に飲み込まれたその瞬間、

 周囲の風景が暗転した、


 山岳部にある廃村から、白一色の部屋へと帰還すると同時に〈グノーシス〉の声が響き渡る。


『シミュレーターを終了します。これで今日の訓練メニューは全て完了しました。お疲れ様でした』


 訓練終了を告げる〈グノーシス〉の声を聞いても、ぼくはしばらく動くことが出来なかった。

 無理もない。たった今、ぼくは殺されたのだ。

 それも手榴弾を抱えた女の子に、だ。

 

 超リアルな仮想現実は、人の死すら忠実に再現する。

 ぼくの脳裏には、目の前で爆発した女の子の映像が焼き付いていた。

 しばらくの間は、この悪夢に悩まされることになるだろう。


「……なんだよ〈グノーシス〉? 最後のアレは?」


 HMDを外しながら、ぼくは抗議する。


「泣いている女の子を利用して自爆テロなんて、鬼畜にもほどがあるだろ!」

『勝利条件については事前に説明していたはずです。シチュエーション07は殲滅戦。クリアするにはステージ内に存在する全ユニットを排除しなければいけません』

「じゃあどうすれば良かったんだよ? 仮想現実とはいえ、女の子を殺すなんてぼくは御免だね」

『これは実戦を想定して作成された戦闘プログラムです。現実にこのような状況に置かれた場合、あなたは死亡していました。今回の反省点を踏まえ、今後は脅威と接触した際は躊躇なく排除することにしてください』


 やっぱりこいつは壊れてやがる。

 実戦だって? 笑わせてくれる。

 ぼくが鉄砲担いで戦場で戦うことなんてあるもんか。

 ましてや、泣いている女の子を殺す事なんて絶対にありえない。

 絶対に、あるもんか。


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