第八話 死ねば良いのか。わたし
捕獲後の事情聴取
そのいち
わたしの叫びを聞いた夏川晴史は、少し悩んだ後携帯を取り出した。
「春田二佐に、報告して良い?」
「駄目だって言ったら報告止めるんですか」
嫌がらせは兎も角、元々は羽根を伸ばしたくての行動だ。
夏川晴史が黙って逃がしてくれるなら別だが、捕まったり同行を強制されるなら、何の意味も無い。
「好きに連絡したら良いじゃないですか。其があなたの仕事でしょう」
勝手に適当な椅子を引き寄せて腰掛ける。パイプ椅子が軋んだ音を立てた。
空調が利いて居るらしい室内は涼しく、閉じられたブランドの隙間からはまだまだ元気な真夏の日差しが差し込んで居る。
夏は好きじゃない。
暑いのは許せても、強過ぎる日差しが肌を傷めるのだ。
不機嫌顔で窓を睨むわたしを見て、夏川晴史は眉尻を下げた。
「えっと…じゃあ、電話するね」
申し訳無さそうな顔が、神経を逆撫でする。
部屋の端で電話を掛ける夏川晴史を横目で睨んで居たら、先刻の夏川晴史の大嘘を思い出して余計に苛立った。
「春田二佐が迎えに来るって。其迄、此処に居て貰って良い?何か飲み物d、」
「先刻の嘘、何なんですか?」
電話を切った夏川晴史の言葉を遮って苛立ちも顕わに問う。
初対面で此処迄攻撃的になるのも珍しい。否、春田さんにはなったけど。
こう見えて、朝日奈に呆れられる位には外面が大人しいのだ、わたしは。
人見知りの内弁慶、とも言う。
夏川晴史はぱちくりと目を瞬いた後で、ああ、と頷いた。
「萩沙ちゃんについては春田二佐が箝口令を敷いてるんだ。だからバレない様にちょっとね。まだ人事異動も激しいし、本部の人間詳しい奴なんか此処には居ないから、嘘って気付かれたりはしないと思うよ」
「だからって部下なんて言わなくても…」
大きく息を吸って、鋭く吐き出す。
あんなエリートの部下呼ばわりは、気持ちが悪い。
「春田さんてああ見えて優秀なんでしょう。私みたいな冴えないポスドクじゃ、部下には分不相応ですよ」
何と言う法螺を吹いてくれたんだと言う気持を込めて目の前の爽男を睨んだ。
見た目はチャラくても階級は二佐だ。完璧にイコールでは無いにしろ中佐に匹敵する地位だろう。
あの若さで簡単に着ける地位とは思えない。
夏川晴史がきょとんと首を傾げる。
「ぽすどく?」
「博士研究員を意味するポストドクターの略で、博士課程終了した非正規雇用研究者の事です」
引っ掛かるのは、其処か!
博士研究員と言うよりポスドクと言った方が聞き覚えが在ると思ったが、良く考える迄も無く、大学や研究者と無関係な人間はほぼ触れない言葉だ。
知らなくても、何の不思議も無いだろう。
「はくしかてい?」
其処から知らないと言われると、流石に驚くけれど。
否、大学に興味が無ければ知らなくてもおかしくない、のかな。
何処迄説明すれば良いのか不安になりながら、口を開く。
思った方向に進まない会話が、苛立ちを募らせる。
「大学院で、博士号…博士を名乗る資格を取るための課程です」
博士課程が通じないなら、博士なら通じるかと思ったのだが、
「あ、博士なの?凄いなぁ」
いら。
間違いだったと、其の言葉で確信した。
知らないのだから仕方が無い。
そんなのわかってても、苛立つものは苛立つのだ。
自慢じゃないが、精神年齢の低さは理解してるのだから。
進学校の生徒にだって大学生にだって大学院生にだって博士号取得者にだって、ピンからキリ迄居ると知らずに、唯頭が良いのだとか凄いのだとか、簡単に判断して無神経に口にする。
出来損ないをとことん追い詰める其の態度に、酷く神経を逆撫でされるのは、わたしの心が狭いからだろうか。
唯経済的に恵まれて居たら着ける地位なのだと、知らないひとに察せと思うのは高望みだろうか。
「凄かったらポスドクなんかやってないんですよ!知りもしないくせに適当な事言わないで下さい!!就活失敗したからポスドクやってんですよ、未来のニート予備軍ですよ!奨学金も還せないし、生活はカツカツで、親に負担掛け通し。ポスドクなんて格好良く言ってみても、わたしなんか所詮生きた芥ですよ本当は!!」
椅子を蹴倒し夏川晴史の胸ぐらを掴み、苛立ち紛れに吐き棄てて、なら死んだ方が良いじゃないかと自分で突っ込んだ。
お金貰って世界の為に死ぬ役なんて、今の日本で公募したら一体何人が志願するのだろう。自殺じゃ保険金は出ないし、下手な自殺なら寧ろ罰金で、死んでも借金は帳消しにならない所か、火葬埋葬各種手続き、支出はかさむばっかりだ。ならば死体も残らない此の自殺方法は、寧ろ棚からぼた餅なのではないだろうか。
「あ、死ねば良いのか。わたし」
胸ぐら掴んだ手を離し、ぽつりと零した一言に、夏川晴史は目を剥いた。
「死ぬなんて簡単に言うな!!」
真っ赤な顔で怒鳴られてびくりと身を揺らす。
じりっと後退って開けた距離は、此方を睨む様に見詰める男により詰められた。
「健康で、大学出るお金が有って、親もいるんだろう?そんな恵まれてるくせに、死ぬ事なんて願うな」
険しい表情と声で言う夏川晴史を見て、ああ、此の人は苦労した人なんだろうな、と思いながら、わたしは同情一つしなかった。
「死にませんよ、わたし」
とん、と夏川晴史を押し退け、肩を竦めると嗤った。
「自分で死ぬ度胸なんか無いですし、他人に殺されるなんて真っ平御免です。病気で死ぬにはお金掛りますし、他人の為に犠牲になるなんて吐き気がします。つまり此っぽっちも死ぬ気なんて無いんです。死にたいって言うのは、口癖みたいな物で」
日々命懸けで戦ってる人に対して、何て失礼な言葉だろう。
私は嗤った。何に対してかもわからず。何かを嘲笑う如くに嗤う。
何て、何て最悪な人間なんだろう。
夏の日差しが眩しい。
目の前の男と違って、わたしは日光の似合う人間じゃない。
「日常的に言い過ぎて、わたしに近しい人達は、もう誰も気にしてませんよ。学生の頃からずっとそうですし、ポスドクなんて多かれ少なかれ皆病んでるの当たり前みたいなもんなんです」
狂ってるなと思っても、そう言う社会なのだから仕方無い。
輝かしい地球防衛軍の隊員達とは違うのだ、わたしは。
日光の届かない研究室で、縮こまって生きる。まるで鬱蒼と茂る森の湿った木陰に生える、無数のキノコみたいに。じめじめと、他人に寄生して。
「死んだ方が良い事はわかってますけど、他人の為に死んであげられる程出来た人間じゃないです。わたし」
「死んだ方が良い人間なんて、」
「居ますよ」
否定してくれようとした夏川晴史の言葉を遮って、きっぱりと言った。
「居ます」
断言して、理由も無しに断言は曲がりなりにも研究職としてナンセンスかと思い直して付け足す。
「少なくとも、わたしはそう思って居ます。死刑廃止が為されて居ない事が良い証拠でしょう。喩え功利主義とか傲慢とか批判を受けたとしても、人の安寧を無闇に揺るがす様な人間は排除された方が良いんです、きっと」
苦痛を与えない事を追求され、一瞬で命を刈り取られる死刑と、天命尽きるまでの監禁、果たして何方が残酷なのだろうか。何方にしろ、危険人物を社会から排除している事に変わりは無い。
「人口過多で地球が死に掛けているって言うのに、生きていても害しか無い人間生かしておいても無駄じゃないですか」
夏川晴史は口を開きかけて、閉じて、開いた。
「…萩沙ちゃんって、理系?」
「其の区分、嫌いなんです」
わたしは、にっこりと笑って言った。
もう好い加減黙れと言う気持ちを、此以上無く込めながら。
何故だか知らないが、無駄に地雷を踏み抜く男だ。
空気が読めないとかそう言うんじゃなくて、単純に相性が悪いんだろう。
多分育ちから何から、わたしとは全く異なる人間で、きっと、わかり合うなんて不可能な事だ。
うん。人間、諦めも大事だと思う。
と言うか、限界。
逃げよう。そうしよう。
ストレス発散に逃げ出して、逆にストレス溜め込んでたんじゃ本末転倒だ。
機会をこじ開けてでも、此の爽男から離れよう。
「…済みません、御手洗い、借りられませんか?」
「え?あ、ああ。うん、大丈夫。案内する」
女子トイレ迄は付いて来れまいと言うあくどい打算で、年頃(?)の女が歳の近い男に言うのは如何かと思うお願いを口にする。
夏川晴史は少し面食らった顔で頷き、部屋の鍵を開けた。
案内されたトイレは普通に良く在る公衆トイレ的な女子トイレで、無論夏川晴史は外待機。
並ぶ個室の奥には、底面部分が外に開くタイプの大きめの窓が在る。トイレの窓にしては大きく開く窓で、ギリギリながら何とか通れそうだ。しかも、此処は一階。
出来る限り音を殺して、トイレから建物の外へ抜け出した。
夏川晴史を護衛にしなかった春田さんの判断は、正しいと思う。
「取り敢えず、基地の外…」
逃げ出すべく辺りを見回し、目立たぬ様、しかし足早に歩き出した。
素人ながら気配を探ろうと神経を逆立てて居たわたしは、突如横から伸びた腕に拘束され、飛び上がった。
「ふっきゃあ!?」
心臓が縮み上がり、ばくばくと高速回転を始める。
腕はしっかりとわたしの身体に回され、ぎゅっと一周肩を締め付けた。
「何処に行くのかな?はーぎさちゃあん?」
耳に吹き込まれたのは、此処数ヶ月で聞き慣れた声。
「は、ははは、春田さん。どうして此処に」
「GPS。此処に来てから電磁波遮断止めたでしょ?」
ああ゛っ、抜かった!!
頭を抱えたくても腕ごと締められて居るから出来ない。
…こんな時の為に、痴漢撃退法を習って、
「手荒な真似は、したくないんだけど?」
っ!?エスパーやめれっ!!
がきんと固まったわたしを問答無用で俵担ぎにして、春田さんは歩き出した。
ちょ、待っ、重いから止めてぇえっ!!
見た目によらず筋肉質な所とか、知らなくて良かったからぁっ!!
「部屋から動いたから注視してたらトイレの窓から抜け出すし。今迄大人しかったから油断してたけど、思い立つとフットワーク軽いね?」
口調は軽く、笑みすら含んで居るけれど、纏う雰囲気が黒い。寒い。
何で真夏の外気が冷たく感じるんだ!?
「に、逃げないから、降ろしt」
「逃がさない為じゃなくて、嫌がらせだから」
どうやら本気で怒らせたらしい春田さんに担がれて、わたしは今度こそ頭を抱えた。
…人間、諦めも大事、だよね。
拙いお話をお読み頂き有難うございます
…曲がりなりにも恋愛ジャンルを名乗ってるのに主人公が俵担ぎってどうなの
…済みません
砂糖不足でしょっぱいお話になってしまって居ますが
続きも読んで頂けると嬉しいです