10-1:波乱の予感
この作品は【Die fantastische Geschichte】シリーズの一つです。設定資料集や【FG 0】と合わせてお楽しみください。
目の前に広がるのは青い海。頬を撫でる潮風が心地よく、聞きなれた波の音に耳を傾けながら甲板の先に立てば、水平線上にぼんやりと黒い島影が見える。
「姉御~サンディール島が見えてきましたよ~」
「分かってるよ! あんたたち、さっさと上陸準備をしな!」
「あいさ~」
気の抜けた話し方をする子分の報告に、姉御と呼ばれた彼女は威勢よく指示を飛ばす。
「ロジャー、モーガン! 積み荷の最終確認は終わったのかい!? 傷物なんて売ったら信用ガタ落ちだよ! ドレイク、取引先の一覧と印章は船長室に置いといておくれ。……ちょっとパック! いつまで船酔いしてんだい、海の男が情けないねぇ。商船旗を揚げたら部屋で寝てな!」
海の青とは正反対の燃えるような赤い髪を靡かせ、上陸間近で浮足立つ子分たちへ声を張り上げる。一年のほとんどを海の上で過ごしいくつもの島々を渡る彼らには慣れた作業だが、それでも彼女は声を掛けながら指示することを止めない。これは彼女と子分たちとのコミュニケーションの一種であり、彼女がこの船の船長となった時から変わらない恒例行事であった。
「姉御、なんてお優しい……!」
「ずるいぞパック! 俺も姉御に心配されてぇえええ!」
「今日も我らがウンディーネは美しいぞ! ひゃっほーい!」
「馬鹿なこと言ってないでさっさと動きな! サボってる奴は海に叩き落とすよ!」
「「「アイサー!」」」
武装商船団〈アルヴァラン〉。率いるは若き女船長〈ウンディーネ〉ことエルヴィラ・レイド。海の女と海の男たちは今日も愉快に騒がしく船を駆る。
【Die fantastische Geschichte 10】
【10-1:波乱の予感】
「久々に来たけど相変わらず賑やかだねぇこの街は。今回どれだけ稼げるか考えるとゾクゾクするよ」
世界最大の島サンディール。人口数万人が住むその島は幾つもの港町を抱えており、その中でも現在エルヴィラ達が寄港したシャラッドという港は最も栄えた貿易港として知られている。今も港には大小様々な船が泊まっており、商人、水夫、役人、町人その他大勢の人々が行き交い、波の音をかき消すかのような喧騒に包まれている。人の集まる場所に儲けあり。エルヴィラは一商売人として期待に胸を躍らせる。その様子は玩具に喜ぶ子供のようであり、獲物を前に舌舐めずりする肉食動物のようでもある。
「あ、姉御、目は笑ってないのにすごく楽しそうだ……。怖いけど可愛い……!」
「何当たり前のこと言ってんだ! そこが姉御の魅力だろうが!」
「お前たち、そろそろ止めないと姉御に蹴り落とされるぞ」
いかにして儲けようかと笑顔のまま考えに耽るエルヴィラは、後ろで騒ぐ子分たちの言葉など気にも留めていないようだが、気づかれれば確実に照れ隠しという名の暴力が飛んでいくので、惨劇を回避すべく副船長のドレイクは表面上冷静に宥め役に回る。アルヴァラン唯一の女性乗組員であり見目麗しい女船長を、尊敬どころか最早女神のように崇拝しているのは彼女の子分にほぼ共通して言えることで、副船長という立場上あくまで諌め役になるドレイクとて例外ではない。彼が内心では激しく同意していることを他の者達も分かっているので、不満を言うこともなく素直に話題を変える。
「姉御、出入港管理局の役人が到着しました。応対をお願いします」
「ああ、やっと来たのかい。さーて、さっさと済ませて仕事を始めさせてもらわないとね」
ドレイクの報告を聞いたエルヴィラは、肩を回しながら気合を入れて応接室に向かう。今日は出入港する船が混んでいるのか手続きの順番がなかなか回って来なかったので、予定より一時間近くも遅れていたのだ。事務的な手続きを済ませなければ滞在許可も営業許可も下りないので、若干苛つきながら待っていたところだった。
「許可が下りたら即仕事だよ! すぐ動けるように準備しときな!」
「「「アイサー!」」」
先ほどまでの暢気な雰囲気はどこへやら、気を引き締めて男たちは持ち場に戻っていった。
手続きを済ませた後は早速仕事に取り掛かる。他の商船団や地元の商人との商談だけでなく、簡易の露店を設けて地元民相手に他の島で仕入れた物を中心に売りながら、情報収集をすることも重要な仕事である。様々な人が集まる港町は情報も集まりやすく、今の流行から眉唾物の噂話まで実に多種多様な情報が耳に入って来る。顔馴染みの商人を見つけたエルヴィラは普段通り世間話を交えて情報交換をしている内に、聞き捨てならない噂を耳にする。
「グレイド公爵家の坊ちゃんが行方不明?」
内容が内容だけにエルヴィラは詳細を聞こうと先を促す。グレイド公爵家はシャラッドを始めとしたサンディール島の大部分を治める貴族家で、その勢力たるや世界で一、二を争うほどである。そんな大貴族の子息が行方不明となれば大事件だ。
「あくまで噂なんだけどよ。今日は憲兵がやけに多いし出入港管理局も出港に規制かけてるぐらいでよ。人を探してるみてぇだし、あいつらに圧力掛けられそうなのは公爵家ぐらいだろ」
「それで何で坊ちゃんが行方不明なんて話になるのさ。名前でも出してたのかい」
「どうも探してる奴の人相がそれっぽいらしいんだ。まああくまで噂なんだけどな」
直接名前を出していないため全く違う可能性もあるようだ。噂であることを強調した商人は、肩を竦めながら更に続ける。
「実は公爵様が今サンディールを離れてるんだよ。御子息が行方不明なんて一大事があの公爵様の耳に入れば、屋敷の人間全員解雇なんてことも有り得るから、大事にならない内に見つけようと躍起になってるんじゃないかって」
現在の当主フェルディナント・フォン・グレイド公爵は横暴な人物として知られている。気に入らないというだけで長年勤めた人間を解雇するような男だというのに、不在の間に不祥事を起こしたとなれば、商人の言う通りの処罰で済むかどうか。
「でもこうして噂になってるんじゃ、どうしようも無いだろうけどね」
「ああ、現にそれをネタに強請ろうとしてる奴もいるみてぇだ。この辺じゃ見ねぇ顔のゴロツキもうろついてるからエルヴィラちゃんも用心しろよ」
「アタシを舐めてもらっちゃ困るね。突っかかってきたら返り討ちにしてあげるよ」
からからと笑いながらエルヴィラは答える。アルヴァランは武装商船団の名の通り自衛のための戦力を持ち、乗組員のほとんどが戦闘員である。船長たるエルヴィラとて例外ではなく、〈ウンディーネ〉の異名も、これまで彼女と戦った海賊たちがその強さに恐れをなして呼び始めたものだ。海の上で会ったなら死を覚悟しろとまで言われているのは気に食わないのだが。
――――――――――
その後二人は他の話題でひとしきり盛り上がった後、別れを告げて互いの仕事に戻った。エルヴィラは港のすぐそばに立ち並ぶ商店を物色しに向かう。情報収集に余念のない彼女は行き交う人の身形や会話にも注意しながら歩いていると、雑踏の中から突然飛び出して来た少年に危うくぶつかりそうになった。
「わっ、と、すみません! 急いでるんです、すみません!」
慌てた様子の少年は謝罪もそこそこに、人の間を掻き分けるようにして走ってゆく。年の頃は16、7といった所か。茶髪に茶色の目で特に目立つ容姿ではないが、なぜか引っかかるものがあり、振り返って呼び止めようとすると、直後に数人の男たちが少年を追いかけて行った。
「あのガキどこに行きやがった!」
「やっと見つけた金ヅルだぞ! 追え! 逃がすな!」
いかにもゴロツキといった風体の男たちは人々を押し退けるようにして少年の走り去った方へと向かった。
(あの顔、あの格好、ゴロツキども、金ヅル! もしかして……!)
一目で育ちの良さが分かる高価な生地を使った服。見覚えがあると思った顔立ちは、散々肖像画などで見たグレイド公爵の面影があった。
エルヴィラは少年と男たちが去って行った方へと駆ける。その先に待つ運命も知らずに。
「あ、あの、人違いですよ。僕は貴方がたの言うグレイド公爵家とは何の関係も無いんです!」
「人違いかどうかは屋敷に連れて行きゃ分かる。大人しく来い!」
少年は人気の無い袋小路に追い込まれていた。ゴロツキたちから逃げようにも、周囲は壁。退路など無い。捕まればどんな目に遭うか、足は震え立っているだけで精一杯の少年は迫る恐怖に目を閉じる。すると突然女性の声が路地に響いた。
「子供相手に大の男が六人がかりで何しようってんだい? 楽しいことならアタシも混ぜてほしいねぇ」
道を塞ぐ男たちから少し離れた所に立つエルヴィラは、手を腰にあて挑戦的な眼差しを向ける。現れたエルヴィラにゴロツキたちは一瞬手にした武器を構えるが、若い女一人と見て安心したように警戒を解き下卑た笑みを浮かべる。
「楽しいっちゃ楽しいが、ネエちゃんみてえな別嬪さんとは別のことをしたいもんだな」
「へえ、例えば? アタシと何がしたいって?」
近付いて来たゴロツキの一人に、エルヴィラは開いた胸元から覗く谷間をわざと強調させながら問う。その誘うような仕草に、ますます笑みを深めたゴロツキは手を伸ばし彼女の腕を掴もうとする。が、
「ま、何にせよあんたと遊ぶのは御免だけどね」
逆に腕を掴んだエルヴィラは一気にゴロツキを引き寄せると膝蹴りを鳩尾に喰らわせる。悶絶して地面に倒れた仲間に、残りのゴロツキたちはニヤニヤとした顔から一変、険しい表情を浮かべる。
「この女ぁ!」
棍棒を手にした男が怒りで顔を真っ赤にして殴りかかろうとする。対するエルヴィラは余裕な態度で構えることもしない。避ける必要など無かった。
「姉御ぉぉおおお!」
「俺らの姉御に何しやがんだ不届き者め! 覚悟!」
「海の男ナメんなよ!」
路地の入口から一斉にアルヴァランの面々が飛び出して来る。さすがに全員ではないが、エルヴィラに一人倒されたった五人になったゴロツキ達にとって、数の暴力であることには変わりなかった。エルヴィラに殴り掛かったゴロツキはあっけなく壁際に吹っ飛ばされ、残りの面々も応戦する暇すら無いままにねじ伏せられた。 ゴロツキの悲鳴とアルヴァランの男たちの怒号が響く中、事態に着いて行けない少年は地面にへたり込む。エルヴィラは乱闘を避けて少年に歩み寄ると声を掛けた。
「あんたたち、やり過ぎんじゃないよ。……あんた、アルフリード・フォン・グレイドだね?」
びくりと身を震わせた少年は恐る恐るエルヴィラの顔を窺ってくる。どうやら当たりのようだ。大貴族家の次男坊。名前だけは知っていたが今まで表に出て来ることは全く無かったので、公爵や兄のゴットフリードに比べて影が薄く、人物像もほとんど広まっていない。この様子を見る限り高慢な父親には似ていないようだが。
「安心しな。アタシは武装商船団〈アルヴァラン〉のエルヴィラ・レイド。真っ当な商人だよ」
「アルヴァラン……ジーク先生の……」
怯えた様子の少年――アルフリードを落ち着かせるべくエルヴィラが名乗ると、危害を加えられる恐れが無くなり緊張の糸が切れたのか、それだけ呟いて気絶してしまう。
「えっ、ちょっとあんた! ……厄介事に首突っ込んじまったかねぇ」
溜息をついて目覚める気配の無いアルフリードを見下ろす。
ジーク先生。その名前には、嫌というほど心当たりがあった。
――なあウンディーネよぉ。俺が船を下りて家庭教師やるっつったらお前はどう思う?
――はあ? 何だいそれ。似合わないにもほどがあるよ。
――だよなあ。生まれてこの方海賊稼業に勤しんできた俺が、貴族の坊ちゃんのお守なんて出来るわけねぇよなあ。
――そもそもあんたを雇うような馬鹿がどこにいるんだい。悪名高い〈海賊の英雄〉を。
――それがいるんだよ。俺のことを知った上で、弟の家庭教師になってくださいって言い出したガキが。
――……それで、どうする気だい。
男はいつものように笑ってみせる。いつものように気に食わない顔をして、いつも以上に気に食わない言葉を返す。
――俺、陸に上がるよ。だからお前との勝負もこれが最後だな。
ジークフリート。最後まで彼には勝てないまま、五年が過ぎていた。
【Die fantastische Geschichte 10-1 Ende】