08
◇
「おい、ネロー! テーブル運び終わったらどうすりゃあいいんだー!?」
倉庫から店にいるネロにはっきりと聞こえるような大声がした。ネロはそれと同じくらいの声量で問いに答える。
「次出すとき楽なようにしてー! 終わったらこっち戻ってきて床の掃除を!」
「わかったー!!」
聞こえやすいように大声で会話するのはいいが、店の外にまで丸聞こえという事実に気付いているだろうか。気付いていないかもしれない。
酒が飲めるとルンルン気分でいたブランテだったが、残念ながらネロの店で待ち受けていたのは店の掃除だった。一昨日の騎士団のパーティーのせいで、店内は恐ろしい程に荒れていたのだ。開店時間までに掃除は間に合いそうになく、やむを得ず臨時休業の貼り紙をした。二日間休んでしまうと、ゆるゆると営業していたネロにとって少し痛手である。
「明日も買い物にいかないとなぁ……」
床に落ちて割れたグラスだったものを見てネロはため息をついた。やはり酔っ払いたちのパーティー。食器類が無傷で済むはずがなかった。
「いてぇっ! …………はぁ」
破片で指先を切り、ネロは更にため息をついた。血を止めるために一度作業を中断して救急箱を探す。しかし、目に付くところに救急箱はなかった。それどころか最近救急箱を使った記憶がなく、そもそも救急箱を持っていたかどうかすら分からなかった。
結果、ネロは救急箱を諦めて、辺りを血で汚さないように流れる血は舐めて対処することにした。口の中に鉄の味が広がり思わず顔をしかめる。
(血の味なんて久しぶりだ……)
不味いと思いながらネロは昔を懐かしむ。彼がまだバーテンダーではなかった頃、彼が怪我をして血を流すことは毎日のことであった。実は短気な性格をしていたネロは、毎日喧嘩をしては至る所に傷を作っていた。本人はフルボッコにはされていないと言っているが、それが本当なのかは定かではない。
「床掃除ってモップでいいのかー? ……ってお前、何指くわえてんだ」
「破片で切った」
「救急箱は?」
「記憶にない」
はー……と、ブランテは深いため息をついた。それから自分の服の一部を細長く破いて、それをネロの指先にキツく巻いた。「痛い」とネロが顔をしかめたが、ブランテはそれを無視した。
「破片は俺が片付けとくから、ネロは食器を片付けてくれよ。俺、そっちは分かんねえし」
「指を切らないように」
「お前に言われたくないわ」
「あははははっ」
笑いながら二人はそれぞれ作業を始めた。ここから片付けが終わるまで二人は無言で黙々と手を動かし続けるのだが、店の片付け全てが終わるにはあと一時間を要した。どれだけ汚れていたんだ、という話である。
◇
「あれ? ネロ君たちまた買い物?」
翌日、グラスを買った帰りにネロとブランテ(結局昨日もネロのカクテルを飲み損ねて少し不機嫌になっている。子供だ)は花屋の前でそう話しかけられた。
ネロたちが足を止めて声のした方を向くと、そこには肩ぐらいまでの長さの赤い髪の毛の少女がいた。右側の一部だけを編み込みにしていて、ネロたちとは三つ程年が離れておりその笑顔には少し彼女の幼さが表れている。
「ああ、うん。ちょっとおっさん共のせいでね。ナディアは店の手伝い?」
「を、サボろうとしてるところー!」
堂々とサボり宣言をしたナディアである。彼女の声はよく通る声で、商売に向いている声なのだが、その声でサボり宣言をしたらどうなるだろうか。
「ナディア!? サボったらどうなるか分かっているだろうね!?」
当然、お叱りを受けるわけである。サボタージュを阻止されたナディアはうへぇと露骨に嫌そうな顔をした。そんなナディアを見て、ネロは苦笑した。
「ねえねえ、ネロ君。店の手伝いをする健気なあたしのために、お花でも買っていってよ」
「今叱られた奴が何を言うか」
「へへへーん」
「可愛く笑っても誤魔化せないから。それに、『お花でも』って言うけど、花以外売ってないように見えるよ?」
「そりゃあ花屋ですもの。ふふふー、でもね? 実は花屋には花のための肥料とかジョウロとかも売っているんだな!」
「これは盲点だった!」
なんて、漫才のような楽しい会話を少し続けてから、結局何も買わずネロはナディアと別れた。終始ブランテが無言だったことが気になったが、今夜奢りでカクテルを飲ませれば機嫌が直るだろうとネロは楽観的に考えていた。カクテルで釣れる男、それがブランテである。