19
時は少しだけ遡る。
ネロの家にナディアとその他が訪ねた後、トリパエーゼには一枚の紙が配布されていた。幸か不幸か、ネロの家は町の中心部から離れた、山の入り口の近くに建っているためその紙は届け忘れられた。お陰で、ロレーナもネロもクリムも、勿論スメールチもその紙の存在すら知らない。
「……これ……」
一方で、その紙を手にしたナディアは、これからどう行動するか悩んでいた。
「なーんか、おかしいね。いくら騎士団でもタイミングが良すぎる気がするんだよねー」
一人自室でそう呟いて、ナディアはベッドへ後ろ向きに倒れこんだ。同時に紙が手から落ちる。そこには『魔女と思わしき人物を見たら通報すること。尚、魔女について知っていても黙っていた場合は、魔女の仲間であると見なして処罰する』といった内容が書かれていた。フィーニスがクリムの拒否権を奪うために投じた一手であるため、タイミングが良すぎるのは当たり前のことだ。そんな事情を現時点で知らないナディアは、見事に勘で怪しさを見抜いていた。
きっとこれは誰かが通報するだろう。だから、自分は今はなにもしない。ただし、自分の策には組み込もう。ナディアはそんなことを考えていた。
「やっぱり、近くに魔女なんていたらネロ君は幸せになれないよね。やっぱり、あたしが幸せにしてあげないと」
暗い瞳でナディアは一人微笑んでいた。
ナディアが思っていた通り、トリパエーゼの誰かが騎士団に通報をしたようで、騎士団はすぐにやって来た。
「すみません、騎士様。お願いがあります」
ナディアはその騎士団のトップであろう人物、つまりフィーニスに話し掛けた。お願いをするために、ここ最近ナディアは早起きをしていたため、こんな早朝でも話し掛けることが出来たのだ。
「なんだ」
「魔女は、この先にあるネロ君……ネロ・アフィニティーの家に住み着いています。これは魔女が悪くて、魔女が勝手に住み着いていることで……」
「つまり、貴様はネロ・アフィニティーに処罰を与えるなと言いたいのであるな?」
フィーニスの言葉にナディアは短くはい。と答えた。それからフィーニスをじっと見つめる。
二人の間にどのくらいの沈黙が流れたのかは分からない。やがてフィーニスは「ははは」と根負けしたように笑った。そして「よかろう。ネロ・アフィニティーは黙許してやる」と言った。
「ありがとうございます!」と、ナディアは花がパッとひらいたような笑顔でそう言った。
「……これで、ネロ君は幸せになれる」
ネロの家に向かって歩く騎士団の背中を見送りながら、ナディアは小さく呟いて微笑んだ。
これで事はナディアの思惑通り進むと思われた。進む筈だった。騎士団に連れられて鉄道へ進むクリムの姿を見て、ナディアは満足した。小さな達成感を感じていた。にもかかわらず、それは呆気なく崩されてしまった。
「ネロ君……!?」
大きな音をたてて倒れた騎士団員の一人。その隣には鉄パイプを持つネロの姿があった。
いつ現れたのか分からない。クリムがフィーニスにつかみかかる前までは、騎士団の後ろにネロらしき人物の影はなかった。いくらなんでも隠密でかつ速すぎる。
それに、今のネロはあまり動ける状態ではない筈だ。ネロの家を訪ねたとき、立っているのも辛そうだった様子をナディアは記憶していた。ネロの姿はそれからから大して変わっていない。あのときとは違って、上も着ているが、ただワイシャツを羽織っただけで前は止められていない。ワイシャツの下から覗く包帯が見ていて痛々しかった。
「なんの真似であるか? ネロ・アフィニティー。魔女を匿う行為は処罰に値するのだが」
「うるせぇ、クソ犬……! 俺は、お前だけは絶対に許さないからな……!」
鉄パイプの先をフィーニスに向け叫ぶようにネロは言った。その様子を見て、冷めた目でフィーニスは「交渉決裂であるな、花屋の娘よ」と呟いた。それは勿論、遠巻きに見ていたナディアにまで届く。
ナディアはとっさに言い返そうとした。ネロにでもフィーニスにでも、とりあえずネロが守れればなんでも良かった。しかし、それは突然響いた銃声によって阻止された。銃声は一発ではなく複数だ。
銃声から少し遅れて誰かがバタバタと倒れる音がする。騎士団の最後尾にいた男騎士たちだった。騎士たちは気を失っているらしくピクリとも動かない。皆、首の後ろに丸い赤い痕が出来ていた。
その場にいた全員が銃声のした方を向く。そこにはゴツいガトリングを持って、ゆっくりと、若干ふらついた足取りで歩くスメールチがいた。モンスター達との戦闘の影響でローブを着ておらず、リュックも背負っていない。普段の姿から考えると、随分な軽装だった。戦闘からずっと意識が戻らなかった筈だったが、一体いつ起きたのだろうか。
「ヒヒヒ……ご注目ありがとう。人気者は辛いねえ――で、お姉さんの隣にいる一人だけ違う男がこの国の最高指揮官なのかな?」
ふらり、と立ち止まってスメールチはフィーニスを指差す。騎士団は誰も応えなかったのでネロが代わりに頷いた。その答えにスメールチは満足そうに「そうかそうか」と言う。
「ブランテ君のこととか、まあ色々あるし……ただで帰れると思わないでくれよ? 僕は根に持つタイプなんだ」
無表情のままそう言うと、スメールチは問答無用で近くにいた騎士をガトリングでぶん殴った。不意をつかれて殴られた騎士はなす術なく気絶する。
「な――何をしているのか分かっているのであるか!? 貴様ら、国の最高騎士団に向かって――この、非国民共! 総員、この馬鹿共を捕らえよ!」
呆然としていたフィーニスは我にかえると、同じく呆然としている騎士団員たちにそう指揮した。




