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言うことが無くなったのか、ロレーナは突然立ち上がって「ちょっと買い物にいってきますねー?」と言った。ロレーナが伸びをすると、背骨からボキボキという音が聞こえた。どのくらいここに座って自分を看ていたのか、ネロは不安になった。
「買い物?」
「はい。流石にこの家の材料だとぉ、パンは作れないんですよー」
眩しいほどの笑顔でロレーナは言った。「パン?」と寝た状態のまま首をかしげるネロにロレーナは一言「そろそろぉ、お姫様を召喚したいですからー」と悪戯っぽく言った。そして詳しい説明をしないままネロの家を出てしまう。勿論、「動かないでくださいねー?」と釘をさすのを忘れずに。
「召喚ってなんだよ……しかもお姫様って」
誰のことかはわかるけど。と自分しかいなくなった空間でネロは呟いた。
そういえば、ロレーナはクリムに会っていないというが、クリムは床に倒れた自分を見つけてからずっと二階に閉じ籠っているのだろうか。熱でボーッとする頭でネロはそんなことを考え始める。ちゃんとご飯は食べているのだろうか。クリムはとても細いから、一日食べないでいたらすぐに栄養不足になってしまうだろう。そんな母親みたいな心配まで始めた。
なんてことを考えているうちに、荷物を抱えたロレーナが帰ってきた。ほんの数分しかたっていないようにネロは感じていたが、どうやらロレーナが買い物から帰ってこれるだけの時間が経過していたらしい。
「おかえり、ロレーナ。……で、何を作るの?」
「ふふふ、出来てからのぉ、お楽しみですよー。といってもぉ、すぐに判るんじゃないですかー?」
「ボーッとして考えられない」
「じゃあー、寝ていてくださいー」
今にも鼻唄を歌い出しそうなほど上機嫌な笑顔で、ロレーナは紙袋から買ってきたものを取り出した。それからカウンターの内側、本来ならネロがいる位置に立つと道具を出し始める。店は普段からキッチンとして使っているから(そもそも他にキッチンがない)いいのだが、道具の在処を覚えられていることにネロは驚いた。一日でこの家の何処まで知られてしまったのか分かったものではない。調べるほど物がないのだが。
その内、ネロは瞼が重くなっていくのを感じた。まだ高熱に冒され、心身に疲労が残っているのだ。無理もない。ネロは抵抗することなく、睡魔に身を委ねた。
◆
「おいネロ、ちゃんと聴いてんのか?」
自分に向けられた声にネロはハッとした。右を向くと、自分の隣に座る声の主がいた。ブランテ……? とネロは思わず声をかける。
「なんつー顔してんだよネロちゃん。そんなに俺と酒が飲むのが嫌か」
い、いや……とネロが慌てたように返すと、ブランテはその答えが可笑しかったのかキヒヒと笑った。そしてネロの眉間をグリグリと指で押す。なにすんだ。と言うと、ブランテは「眉間にシワがよってるからだ」と返した。
そこで話は途切れて、それまで何を話していたのか分からなかったネロは目の前のグラスを口に運んで傾けた。緑の綺麗な液体はカクテルではなかった。何の味もなく、温度も分からない。水とも言えない何かにネロは戸惑った。
「さて……そろそろ俺は帰るとするかな」
突然ブランテは立ち上がり言った。どうしてか、ネロはここでブランテを行かせてはいけないような気がした。行かせてしまえば、何か取り返しのつかないことになるのではないか。そう感じていた。
「ごめんな、ネロ。一緒には居られないんだ」
何かを言おうとするネロの言葉を遮ってブランテは悲しそうな顔をした。店内のオレンジ色の光がブランテの顔に影を作る。ネロはそれがどうしても嫌だった。これも、理由が分からないのだが。
ブランテの顔ばかりに気をとられていると、徐々にブランテの身体が脚から透けて見えなくなっていった。ネロは焦る。ブランテの元に駆け寄りたいのに、身体が動かなかった。ポンコツな身体に苛立つ。
「大丈夫、俺がいなくても、お前は大丈夫だから。直ぐに慣れるさ。だから」
守ってやれ。その言葉と同時に、ブランテは溶けて見えなくなった。するとやっとネロの身体が動く。もつれそうになる脚を無理矢理動かして、ネロは店の外へ飛び出した。




