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額を覆う冷たい感触でネロの意識は現実に引き戻された。ゆっくりと目蓋を開くと、心配そうに顔を覗き込むロレーナの顔があった。
「ああ、ネロ君起きたんですねー……よかった」
ロレーナは安堵のため息をついた。
「えっと……?」
ボーッとする頭でネロは今自分が置かれている状況を考える。もしかして、今自分は目覚めたばかりで、モンスターとの戦闘からずっと寝ていたのではないか。記憶の片隅にあるナディアとのやり取りは、クリムの涙は全て悪い夢だったのではないか。そんな結論に至ったところでロレーナが現実を教えてくれた。
「ネロ君はぁ、階段の近くに倒れてたんですよー。もー、安静にって言ったじゃないですかぁ。あんな狼狽えたクリムちゃん、初めて見ましたよー?」
階段近くに倒れていたということは、階段でクリムを抱き締めていた記憶は嘘ではないということになる。それからの記憶が無いから、恐らくクリムが居なくなった後でネロは倒れたのだろう。自分の貧弱さに思わずネロは笑ってしまった。
「クリムは?」
「直接会っては無いんですよー。クリムちゃんの分身がぁ、私のところにきたんですー」
「……そっか」
しばらくクリムは誰にも会おうとしないだろう。なんとかクリムを元気付けられたらいいけど、と天井を見つめながらネロは思った。まあ、それにはまず動けるようにならなくてはいけないのだが。
黙りこんだネロを見てため息をつくと、ロレーナは「一日眠りこけるくらいならぁ、もう無理はしないでくださいねー?」と言った。
「……一日?」
「クリムちゃんは出てこないしー、凄く寂しかったんですよー? あ、冷蔵庫のものをー、少しいただいちゃいましたぁ」
ずっとネロの家に居てくれていたらしい。その事実に驚かずにはいられなかった。冷蔵庫のものを使っても構わない、むしろ料理を振る舞いたいくらいの恩をネロは感じていた。
「まあネロ君はぁ、こうやって起きてくれるからいいんですけどー……」ロレーナはちらりと寝室の方を見て不満げに、そして心配そうに言った。「スメールチさんがぁ、まだ意識戻らないんですよー。熱も下がりませんしぃ、ネロ君よりも苦しそうですしー……」
自分を庇って三ヶ所に毒を受けたスメールチ。あのときの光景が脳内で再生されて、ネロは強い罪悪感を感じた。起き上がってスメールチの様子を見に行こうとすると、「もう少し良くなるまではぁ、動いちゃだめですー」とロレーナに止められてしまった。
「もう解毒された筈だから後は体を動かせば治るって。ほら、汗かいたら……」
「それはぁ、風邪の時ですー」
全て言い終わる前にロレーナが言った。その顔は少し怒っている。
「なんで解毒されたのに熱が……」
「二人ともぉ、モンスターさんが毒を治してくれましたよねー? 多分ー、それが原因だと思うんですけどー。回復魔法ってぇ、魔力に耐性がある人じゃないとぉ、反動があるらしいんですよー」
「どういうこと?」
「普段から魔力を使うことに慣れていないとぉ、ダメってことですー。回復魔法はぁ、魔力を相手に渡すことで発動しますー。魔力の使い方が分からないとぉ、体が発散できなくてぇ、魔力が留まっちゃうんですー。薬も量が多いとぉ、毒って言うようにぃ、回復魔法も便利じゃないんですよー」
「……随分と詳しいんだね」
「調べましたからー」
そう言ってロレーナはにっこりと笑って見せた。それから少し間をおいて、「そうそう」と切り出す。
「ネロ君とスメールチさんが回復するまでぇ、私、この家に泊まりますねー? 誰かが見てないとぉ、無理をするってことがよーくわかりましたからー」
その顔はとても素敵な笑顔なのに、ネロはなんとなく圧力を感じていた。
無理をして怪我をする度にネロはこうやってロレーナに怒られるのだが、ネロの行動が改善されたことは今までに一回も無かった。懲りない男だな、とネロはつくづく思った。まるで他人事のように。




