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それからどれだけナイフを振るっただろうか。いい加減腕も動かなくなってくる。普段鍛えているわけではないので、左腕はとっくに動かなくなっていた。動かそうとすると肩が悲鳴をあげる。結果、右を酷使することになったため、右腕も悲鳴をあげていた。右手の小指には血豆が出来て潰れている。
そんな状況になってもモンスターは減る気配を見せなかった。そもそも、ネロはモンスターを倒せるほど熟練したナイフの技術を持っているわけではないので、倒せた数の方が少ない。精々町の人が逃げる時間を稼いだくらいだ。
「……っ、こんな、ことなら、鍛えておけば……よかった、かな」
荒くなった息はなかなか整わない。集中力は完全にきれ、独り言でも言っていないとやってられないような心理状態になっていた。
「おっと」
それでもネロがまだ立っていられるのは、モンスターの攻撃をほとんど受けずにいられたからだろう。どういうわけか、ネロは生まれつき動体視力がいい。視界に入る攻撃だったらほとんどがはっきりと見え、避けることができた。
しかし、そんな動体視力を持ってしてでも、次の一手は避けることができなかった。見えてはいたのだが、体が反応しなかったのだ。否、反応してしまったから、動くことができなかったと言った方が正しいかもしれない。
ネロの視界に突然飛び込んできたのは、如何にも目に優しい色をした物体だった。人はそれをアースカラーと呼ぶ。
そのアースカラーの物体はスメールチだった。もう少し離れた場所で散弾銃片手に戦っていたスメールチが、どういうわけか中を舞ってネロに向かっていた。
「ッ!? うおぁッ」
動くことができなかったのだから、当然スメールチはネロに直撃する。ぶつかっただけではスメールチの勢いは殺せず、二人はネロがいたところから更に少し飛んで地面に倒れた。
「……ああ、ごめんよ、お兄さん。……っふ、とりあえず、お兄さん。動ける元気があるなら、今すぐ、逃げろ」
ゼイゼイと肩で息をしながらスメールチは言った。その体はボロボロで、ローブは右半分が焼けて無くなってしまっている。残った左半分もボロボロで、無数の穴が空いていた。
「クソッ、もう来たか! お兄さん、とりあえず早く!」
忌々しげにスメールチが舌打ちをした。スメールチが居た方向からモンスターがやって来た。それらはネロが相手をしていたモンスターよりも少しだけ色鮮やかだ。
「いや、逃げるわけないだろ。こんなボロボロの奴を目の前に逃げられる奴の神経を知りたいよ」
「そんな正義感披露してる場合じゃないんだよ、バカ!」
埃をはらって立ち上がったネロにスメールチが怒鳴った。スメールチがここまで言うのだから相当である。まあ、だからスメールチの言う通り逃げるなんてことは無いのだが。ネロは悲鳴をあげる両肩に鞭打って、両手にナイフを持って構えた。
「この分らず屋…………いいかい、お兄さん。あの色が少し綺麗な方のモンスターはどういうわけか知能があるんだ。意思はないのにね。だからこっちの行動パターンを学んで有効な攻撃を仕掛けてくる。魔法まで使うんだからたまったもんじゃないよ」
「だから動けるうちに逃げろ」とスメールチが言おうとしたのを無視してネロは戦い始めてしまった。体力はもうほとんどないため、自分から突っ込んでいくことはせずに、向こうから来たものを攻撃する。
「僕の話を聴いていなかったのかい!?」
「いや、ちゃんと聴いていたよ」
「だったら何で……!」
「俺が逃げたらスメールチはどうするのさ」
ゴーレムに寄生した植物型モンスターのツタをナイフで切断しながらネロは言った。ネロが初めてスメールチの名前を呼ぶもんだから、スメールチは呆然としてしまった。突然の出来事に弱いやつである。
「俺は、自分の命を懸けてまで他人を助けることが立派だとは思わない。それで死ぬのは、ただのバカだ」
その言葉はスメールチだけに言っているわけでは無い。それが分かったスメールチはもうなにも言えなくなっていた。




