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それから数週間経った。
ネロの店は、仕入れ先をスメールチにしたことで材料の品質が向上したのか、味の評判が上がった。右肩下がりだった客足もポツリポツリと増えていった。それは、たまにネロだけでは対応しきれないほどになり、クリムが店の手伝いをするようになった。それはそれで、更に客足(主に男)を増やすことになるのだが。
「ヤッホー、ネロ君! 遊びに来てやったぞ!」
「ああ、ナディア。いらっしゃい」
星が綺麗な夜。珍しくネロの店にナディアがやって来た。親友のロレーナは連れていない。一人のようだ。
ナディアはあまりお酒に強くない。というより、17歳になったばかりであるため、お酒に慣れていないのだ(フィネティアでは法律でお酒は16歳からと定められている)。そのため、度数の強いカクテルを提供するネロの店にはほとんど来たことがない。下手したらナディアの16歳の誕生日以来かもしれない。
「珍しいね、ナディアが来るなんて。何かあった?」
「いいやー? 何もないよ。ただ、なーんとなく来たいって思ったんだよ。……ダメだった?」
いつもの元気そうな表情を少し曇らせてナディアは尋ねる。ネロよりも身長が低いため、上目遣いになっていた。正直な話、これを可愛い女の子にされて喜ばない男はいない。勿論ネロも例外ではない。
ネロはその喜びを顔に出してしまわないように、わざと作業をして気を散らしながら「客を拒む理由はないよ」と言った。それからシェーカーを取り出し、なれた手つきで注文をされていないのにカクテルを作り出す。シェーカーの中身をコリンズグラスにうつしてから、氷とソーダ水を加えてステアすると、未だに突っ立ったままのナディアの目の前に置いて言った。
「はい、アップル・ブロー・フィズだよ。度数は低いから多分飲めるはずだよ。ほら、座りなよ」
「あ、うん」
言われるがままに座って、ナディアは出されたカクテルに少しだけ口をつける。
「うん、美味しいよネロ君」
「それはよかった。それで、ご注文は?」
「んー、じゃあパニーノ!」
分かったよ。と微笑んで見せると、ネロは早速パニーノを作り始めた。パンを焼きながら、他の客の注文を受けていたクリムに次に作るものを聞く。クリムが暇そうなときは食器を洗ってもらい、注文の品ができたらクリムがそれを出す。ほとんど口で指示を出さなくてもお互いが動いてほしいように動けるほど、二人は連携していた。端から見れば夫婦のようである。そんな姿を見て、ナディアはつまらなさを感じていた。
「ネロ君とクリムさん、息ぴったりだね。いつの間にこんなに仲良くなったの?」
出来上がったパニーノを持ってきたネロにナディアはそう言った。少しだけ考えるように黙ってから、ネロは少しだけ微笑んで「まあ、一緒に暮らしてるからさ」と言った。そこに寂しさが混ざっていることをナディアは知らない。
「ねえ、ネロ君は……」
「やー、お兄さん! 今日もいいもん持ってきてあげたよ。だから美味しいの頼むよ」
ナディアがなにかをいいかけたところで、無表情だがどこかテンションの高いスメールチがやって来た。それによりナディアは言いかけていたものを飲み込んでしまうことになる。その後、ネロが聞き返してもナディアは答えなかった。
「とりあえずいつものをいつもの量で……他に今日は何がある?」
「他は魚だね。たまにはこれで何か作ってもらいたいと思ってね。ここは山だから、新鮮なのは今夜だけだよ。……どうする?」
「どうするって買うこと前提で持ってきたんだろ? 買うよ」
そんなやり取りをして仕入れを終えると、スメールチはナディアの隣に勝手に座った。人見知りではないものの、スメールチのその行動にナディアは戸惑いを覚える。当然だ、空いている席は他にもある。
「それにしてもお兄さん、なかなか隅におけないねぇ。お姉さんの次はこんな可愛い子をたぶらかしているのかい?」
「どうしてそんな風に解釈するんだよ。君はブランテか」
ネロの突っ込みにヒヒヒと笑ってから、スメールチはナディアの方を向いた。そして名前を聞く。
「えっと……ナディア・ベルトリーニ、です」
「そうか、そうか。君がナディアちゃんなんだね。なるほど、イメージ通りだ。
僕はスメールチ・ザガートカ・アジヴィーニエ。長いからルッチーと呼んでくれていいよ。皆僕をそう呼ぶから」
「そんな愛称初めて聞いたぞ」
「ヒヒ、そもそもお兄さんは僕の名前を呼んですらくれないじゃないか。まあ、確かに僕はルッチーと呼ばれていないけどね」
無表情だが、どこか楽しそうにスメールチは言う。ここまで声が楽しそうだと、逆に眉ひとつ動かないことに感心してしまう。
そんなスメールチに、ナディアはあえて「よろしく、ルッチーさん」と、愛称で呼んだ。




