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満月が綺麗な夜。ネロは店を開けたが、客はやって来る気配がなかった。普段はブランテがいて、ブランテと雑談しているうちに他の客がやって来る感じなので凄く寂しく感じる。ブランテが都に出掛けたときも同じ状況だったのだが、帰ってくるのがいつになるのかわからない、長期間向こうにいるということが寂しさを増幅させていた。
「ブランテがいないと凄く静かなの」
「ああ……あいつムードメーカー気質だからさ」
「そうみたいなの」
そう言って二人は笑ったが、直ぐに会話は途切れてしまった。沈黙が流れる。
なんとかこの沈黙を打破しようと話題を考えるも、ネロには話題が何一つ思い浮かばなかった。こういうときに、自分はブランテに頼りきりだったのだと痛感する。ブランテがいればこうやって少し気まずく感じる沈黙が流れることはないのだ。
「……クリム、なんか食べる? それとも飲む?」
沈黙をなんとか破ったネロの口から出たのは、注文の有無だった。言ってから自分は接客としてでしか女の子と会話できないと分かって絶望する。きっと後で頭を抱えることだろう。
「……それじゃ、バーニャ・カウダをお願いするの」
にっこりと笑ってクリムは注文をした。
◇
「……今日は随分飲むんだね」
クリムの飲みっぷりに驚きながらネロは言う。既に普段の倍の量のカクテルを飲んだクリムの顔は赤くなっている。元の肌が白いせいで余計にそれが目立っていた。
「そーでもないのー」
少し上ずった声でクリムは答えた。酔っているのは一目瞭然だ。次のカクテルを注文されているのだが、それを作ることを躊躇ってしまう。次のカクテルを飲んだら酔いつぶれるという確信がネロにはあったからだ。そうなると大体二日酔いになることも。
クリムはネロの店にくるまでお酒を飲んだことがなかった。ネロの店に来てから、クリムは一度も酔ったことがない。セーブすることがうまいのだ。
つまり、クリムは今までで一度も二日酔いを経験したことないだろうという結論をネロは導き出していた。出来ることなら今後もその経験はしないでほしい。そんな思いやりからネロはカクテルを作っていなかった。
「聞いてほしいの、ネロ」
そんなネロの心配を知っているのかそうでないのか、クリムは唐突に語り出した。しかし残念ながら酔っぱらいの言葉であるため、ほとんど何を言っているのかわからなかった。悪いと思いながらも、ネロは真剣に聞くことを諦めて適当に相づちをうつことにした。
そんな態度にバチが当たったのかもしれない。次にクリムの放った言葉だけは、やけに鮮明でとても強い衝撃をネロに与えた。
「あのね、ネロ。私、ブランテのことが好きになっちゃったみたいなの」
数秒沈黙して、クリムの放った言葉を噛み砕いて咀嚼して飲み込んで、ネロはようやくその言葉の意味を理解した。まさか、まさかこんなところで失恋すると思ってもみなかったネロは何も言えなくなってしまう。精々、「そっか……」と、消えそうな声で呟いたくらいだ。
しかし、想像できなかったこともない。ブランテのナンパの成功率は低いが、それはブランテが本気で迫っていかないからなのだ。ブランテが本気で迫って断るなんてことはそうないだろう。ネロはそう考えていた。つまるところ、ブランテは恐ろしくモテるのだ。しかもクリムは一度ブランテにモンスターから助けられている。颯爽と現れ、颯爽と助けられたと聞いている。するとこれは、至極自然な流れだったと言えよう。ネロが片想いしていた方がイレギュラーなのだ。
「……ブランテは倍率が高いから。……すぐ、本人に伝えてみたらどうかな。とられる前に、さ」
ネロはクリムが酔っぱらっていることに少し感謝をしながら、散々沈黙が流れた後で強がるように笑って言った。
泣きたい気分だったのだが、惚れた女の前で泣くなんてそんなプライドがない真似を出来るわけがない。仕方ないから、俺の代わりに空が泣いてくれと気障なことを思ったのだが、残念ながら今日は雲ひとつない透き通った満月の夜だった。




