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それから二人は店の準備を始めた。クリムが店の準備を手伝ってくれるのは久しぶりのことなので、ネロは少しだけ心が踊った。
「ん、パンが無いから買ってくるよ。……スフォリアテッレ買ってくればいい?」
「最低でも三つはお願いしたいの」
そんなやり取りをして、ネロはパン屋へ向かった。パン屋までは少し距離があるため、歩きながら新商品について考える。カクテルで新商品を出すか、それとも食事で新商品を出すか。前者は試行錯誤しながら自分で飲まなければならないため、あまり気が進まない。すると必然的に後者になる。カクテルを中心にせずに幅広い酒を販売すればいいのではないかとも思うのだが、それではロドルフォの店と変わりがなくなってしまう。故に没だった。
「つまみ……どっかの文献で見た東洋の揚げ物を出してみるとか……?」
いつの間にか新商品を考えるのに熱中してしまう。危うくパン屋を通りすぎてしまいそうになったところでネロは一旦思考を止めた。
「あらぁ、ネロ君じゃないですかー!」
店に入って第一声が「いらっしゃいませ」ではなかったことにネロは若干の戸惑いを覚えた。ついでに、ロレーナの声がいつもより大きかったことに驚く。ロレーナにもこんな声が出せたのか。
「ネロ君!? どこ! どれ!?」
ロレーナの声に反応して店の奥からナディアがひょっこり顔を出す。家の手伝いをしていないときは大抵こうしてナディアはロレーナの家にいるのだが、一体何をしているのだろうか。パンを作っているのだろうか。ネロはそれを知らない。
「どれって俺はものじゃないんだけ……」
「ネロ君んんんん!! わあぁぁぁぁっ!!」
突っ込みを入れようとしたネロの言葉は、勢いよく飛び付いてきたナディアによって阻止された。二日酔いと身体中の痛みで弱りきっていた体は衝撃を受け止めきれず、後ろの壁に激突する。「埃が舞いますぅ!!」とロレーナが悲鳴をあげた。
「ジェラルドのバカと喧嘩したって聞いて心配してたんだから! 三日間全く顔を出さないし!」
頭を強打してずりずりと壁に体重をかけながら座り込んだネロをナディアは容赦なく揺さぶる。脳が激しく揺れてネロは思考も行動も出来なくなっていた。
そんなネロの様子に気付かないで揺さぶり続けるナディアを見て、ロレーナはため息をついた。落ち着けと言ってもこの状態のナディアには意味がないことをロレーナは知っている。ここはネロに自力で頑張ってもらうしかないだろう。パンに被害がでないかぎり、ナディアが落ち着くまでロレーナは傍観することにした。
「ちょ、ちょっとナディア落ち着いてって……。……ナディア? ナディアってば」
悩んだ末、ネロは両手でナディアの頬を挟んで強制的に自分と目を会わせることでナディアを落ち着かせることにした。ネロの思惑通り、ナディアの動きは停止し困惑したようにネロを見る。それから少しだけ顔を赤くして口をパクパクと動かした。本当は顔をそらしたかったのだが、ネロにがっちりホールドされてしまっているためそれは出来ない。
ナディアを止めることに成功したネロは、なんとなくプニプニとナディアの頬の感触を楽しんでいた。かなり柔らかい。
「いや、人のほっぺで遊ばないでよ」
怒られた。が、ネロは言い訳をする。
「違う。感触を楽しんでるだけだ」
「遊んでるのと一緒だよ! この変態ネロ君!」
「こら、ナディアちゃん。人の性癖を非難したらだめですよー?」
「性癖とか言うなよロレーナ……」
笑顔で少し酷いことを言われたような気がした。その言い方ではネロが特殊な性癖を持つ変態だと認めたことになってしまう。ネロはなんだか背中を笑顔で刺されたような気分になった。




