06
ネロが目を覚ますと、辺りは明るいままだった。しかしネロは知っている。あれから少ししか時間が経っていないなんていうことは無いということを。
(さて……今日は何日で今は何時なんだろうな)
喧嘩のせいなのか、ソファーでずっと寝ていたせいなのか、どちらが原因なのかは分からないが、体中が悲鳴を上げている。ギシギシと軋むような音がしてもおかしくない様なほどだ。それでも体はなんとなく動いた。本調子にはまだ遠いようだが。
「あー、やっとお目覚めかよネロちゃん」
「全くだ。一体どのくらい待たせるつもりなんだよ、お前は」
ネロが目を覚ましたことに気付いたのか男二人が起きたばかりのネロに文句を言った。言い返すため、とりあえずネロは体を起こす。相手の目を見て話さないと落ち着かない性質らしい。いい教育をされている。
「……え? ブランテ!?」
起き上がって第一声、椅子ではなくカウンターに座っている親友の姿を見て、ネロは素っ頓狂な声を上げた。そろそろ帰ってくるとは思っていたのだが、さも当然のような顔で座られているとやはり驚いてしまう。ちなみにネロが次に思ったのはカウンターに座るなということだった。
「よー、ネロちゃん。悪い、お土産はないわ。……まったく、昨日帰ってきて酒が飲めると思ってここに来てみたらよー、お前ずっと寝てるんだもん。ジェラルドと喧嘩したんだって? なにやってんだよ全く」
カウンターに座っていることを悪びれもせず、ブランテはネロに言いたいことを言った。まさか文句を言われるとは思っていなかったネロは何と返せばいいのかわからず黙ってしまう。
「いやだって、あいつが喧嘩売ってくるから……いてて」
それでも何とか言い返して、とりあえず立ち上がってカウンターの方へ近づこうとしたら、悲鳴を上げていた体が絶叫し始めたのでそれを断念する。立ち上がることすらできない自分が情けなく思えてくる。はて、自分はそんなに運動不足だっただろうかとネロは頭をひねった。
「あ……ネロ、無理に動かないで。治療に使ったノコギリソウの花言葉には『戦い』っていうのも含まれてるから、傷は治すけど反動があるの」
カウンターの奥からハーブティーを持ったクリムが立ち上がろうとしたネロに言った。同じ花で戦って、治療することもできると考えるとなかなか皮肉な花言葉である。それに少し怖い。
「反動?」
「薬にも副作用ってあるでしょ? それと同じなの」
魔術は万能ではないと改めて教えられた気分だった。サンタさんは両親がやっていたものなんだよと初めて教えられた時の衝撃に近いかもしれない。
「……で、クリムちゃん。ネロ起きたんだしそろそろ話してくれてもいいんじゃねえの?」
「うん。そのつもりなの。ごめんね、待たせちゃって」
ブランテはカウンターから下りると、ネロが寝転がっているソファーに腰かけた。それからクリムを見つめつつ、クリムが話し始めるのを待つ。
クリムは手に持ったハーブティーを四つのティーカップに均等に入れると、それぞれの近くにあるテーブルに置いて、空になったポットを置いてから一息ついて話し始めた。
「私はもう分かっているように魔女なんだけど……普通の魔女じゃ、ないの。私は、四大元素ではなく、光でも闇でもなく、『生命』を司る魔女。だから不老不死なの。
ネロが見た花が生えてきた光景は、私が魔術で花を創ったからなの。……ロドルフォのところに行った私の分身も、私が創ったもの。私は命あるものを生み出すことが出来るの。そして、その逆も。命あるものから魔力を吸い出すこともできる。それが、私の力」
ティーカップを持って伏し目がちに話すクリムは、どこか震えているようにも見えた。この後で何を言われてしまうのか怖いからなのかもしれない。
それがなんとなくわかっていたけれど、ネロもブランテもロドルフォも黙ってクリムの言葉を待った。クリム的には、もう話すことは終わってしまったので黙っていられても困ってしまうのだが。
「えっと……それだけ、なんだけど。……聞きたいことは?」
「お嬢ちゃん。あんたはモンスターを生み出すことはできるのか?」
困ったクリムが助け舟を求めるようにそう言うと、間髪入れずにロドルフォが質問した。その眼は鋭く、この前のモンスターのことと関連付けていることが誰にでも分かった。クリムは最初、口で説明しようと思ったのだが、それよりも実際に見せる方が早いだろうとすぐに考えを改めた。そして床に手を置き、蝶を出した時よりも少し大きめの魔方陣を出現させる。
「私はこうやって、花も、モンスターも、蝶も生み出してる。花は滅多に魔術につかってないし、それ以外は絶対に使おうなんて思わない。……『――出でよ、冥府の番犬ガルム』」
クリムが呼びかけると、魔方陣は紫色の光を放った。ブランテはクリムの呼んだものに覚えがあり、クリムを疑うわけではないがそれの凶暴さを考えると危険性がかなり高いため、なにが起きてもすぐに反応できるよう腰の剣に手をかける。一方でロドルフォは腕を組んだまま鋭い目つきでその様子を見守っていた。
冥府の番犬ガルムとは、ケルベロスほど奇怪な外見をしてはいないものの、一般的な猟犬ほどの大きさで、冥府の入り口を守っている魔物だ。番犬と言いつつあっさりと侵入をゆるしてしまったこともあったが、それは相手がそれほどのものだったというだけで、普通であれば今まで殺したものの血で胸元を濡らしながら、侵入者を威嚇し吠え、侵入者は尻尾を巻いて逃げだすという。……一応伝説上の生物であるが、実際に存在するようだ。ブランテが思い出したのはこの話である。
やがて、光を失ってきた魔方陣から犬らしき動物の頭のてっぺんが出てきた。いよいよその伝説上の生物が現れる。自分に対処できるだろうかと少し緊張しながらブランテはガルムの登場を待った。
「わんっ」
が、ぐるぐると巡っていたブランテの心配は杞憂に終わり、魔方陣から出てきたのはかわいらしい、実にかわいらしい子犬だった。




