01
左腕に巻かれていた包帯(正しくはロレーナの髪を結んでいたリボン)がほどかれていく様子をボーっと見ながら、ネロはクリムとの仲直りの方法を考えていた。ブランテが仕事に出てしまってからもう十日が経つ。あと四日もすればブランテは帰ってくるだろう。それなのにネロは未だにクリムと仲直りをしていなかった。それどころか、クリムを見かけたこともなかった。あの日から、クリムが山から下りてきていない可能性が高い。
「うん、もう大丈夫そうですねぇ。あとはリハビリですかねー?」
ネロの左腕を曲げたり伸ばしたりして一通り診たロレーナが満足そうに言った。ネロはロレーナに腕の固定をしてもらった翌日医者に行ったのだが、医者に「これをやってくれた人に定期的に診てもらえば問題ない」と言われていた。そのため、それからこうして定期的にロレーナに診せていたのだが、どうやら骨の具合はよくなったようだ。
(……骨折ってこんなもんだっけ?)
自分の左腕を見ながらネロは疑問を抱く。左腕は違和感なく動いたが、その全くない違和感が逆に怖い。モンスターに襲われたのが約三週間前の話。普通だったら骨折の完治には四週間がかかる。更に今回の骨折は重傷だったはずだ。ゴーレムに思い切り殴られての骨折なのだから。それがこんなに早く治るだろうか? ネロには随分早いように感じた。
「ねえ、ロレ」
「それはそうと、ネロ君。まぁだクリムちゃんと仲直り、してないんですかぁ?」
質問をしようと思ったネロの言葉を遮って、怒ったようにロレーナは言った。都合の悪い話になったのでネロは目をそらす。いい加減怒られてしまっても仕方ないのだが、ネロだって好きで仲直りしていないわけではないのである。
黙り込んだネロを見て状況を察したのかロレーナはため息をついた。そして、ロレーナの隣にあった紙袋をネロに渡した。
「クリムちゃんが大好きなー、スフォリアテッレですぅ。これを渡してー、早く仲直りしてください?」
実はクリムが行きつけの店のスフォリアテッレはロレーナが焼いていたのだ。おそらく、紙袋に入っているのは店の商品にはできないが人には渡せる程度に形のいいものだろう。この準備の良さにネロはブランテを連想した。
「ありがとう、ロレーナ」
「いいんですよぉ。クリムちゃんがいなくて寂しいのはぁ、私たちもですからー」
だから早く連れて来なさいとロレーナは笑った。
◇
ロレーナにもらった紙袋を抱えてネロは急いで家に帰った。それから身支度を整えて、リュックサックに紙袋を丁寧に入れ、山を登る支度をする。パンを受け取ったのだから、できるだけ早く届けなければパンが美味しくなくなってしまう。
さあ、出かけよう。そう思って扉に手をかけた瞬間、扉が外側から開けられた。ネロは思わず扉から手を放して一歩下がった。
「よーお、ネロちゃんやァ……お前のおもしれェ話を聞いたんだが……聞きてェか?」
開店していない店にずかずかと入ってきた男にネロは見覚えがあった。
「……ジェラルド」
思わず眉間にしわが寄ってしまうほどネロはこの男が嫌いだった。ネロが喧嘩ばかりしていたときの相手は大体ジェラルドだったのだ。しかも、喧嘩を売るのは必ずジェラルドの方。ジェラルドのことが嫌いにならないほうがおかしい。
ジェラルドはネロの線の細い小さめの身体とは違い、筋肉のたっぷりついた、見るからに強靭そうな体つきをしている。真っ黒に日焼けをしており、ネロとの身長差は大体二十センチほどだ。体格差ではネロの方が明らかに不利だ。
「お前はあの山に住んでる魔女って知ってるか? おっと、知らないとは言わせないぜ? なんせ俺様はお前とその魔女ちゃんがいちゃついてるって話を聞いたんだからさァ!」
「…………」
「なんだよ、ネロちゃぁん。だんまりかァ? ……まあいい。国が大変な時期にそんなことをしてる非国民はさっさと国に突き出して処刑されちまうべきなんだけどよォ、慈悲深い俺様はそんなことしないでやろうと思ってんだ」
ジェラルドの言葉の続きを予想して、目元がぴくぴくと痙攣し始めているのをネロは感じていた。そしてこの後の展開を考えてリュックサックをそっと壁際に置いた。無事にクリムに渡せることを祈るばかりだ。
「ヒハハ……あとは分かるだろ? なあ、ネロちゃんやァ。その魔女……随分と上物らしいじゃねぇか。お前には勿体ないと思うわけよ。だから、その女」
一歩、また一歩とジェラルドはネロに近づき肩に手を置く。そして顔を近づけて下品な笑みを浮かべながら低い声で言った。
「俺様に、寄越せ」
その一言が引き金となりネロはジェラルドに思い切りアッパーを喰らわせた。この三週間、左腕が使えなかったお陰で酷使された右腕による威力は絶大だった。脳が揺れたのかよろよろとジェラルドは後ろに下がる。
ネロにはクリムをジェラルドに引き渡したらどうなるか容易に想像できた。ジェラルドによって泣かされ、自殺まで追い込まれてしまった女の子をネロは何人か知っている。非道な男だからこそネロは余計に嫌いなのかもしれなかった。
「一回だけ言う。失せろ」
久しぶりにネロは本気で怒った。




