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「……ってのんびりしてる暇はねえな。俺は行くけど……大丈夫か? クリムちゃん」
「…………私は、大丈夫」
クリムの様子がおかしいことが気になったが、それどころではないとブランテは走り出した。モンスターがまだいるかもしれない。今いる町の人間の中で、自分以外はモンスターの対処法を知らないと知っているブランテは、普段は見せない本気を出していた。日頃ナンパさえしていなければ、きっと今頃ハーレムが出来ていただろう。
「…………これが……」
ブランテの背中を見つめながらクリムはそっと呟いた。その顔は、とても複雑そうな乙女のものだった。つまりそういうことである。
「うう……いてて……」
一方、ゴーレムに殴り飛ばされたネロはなんとか回復したのかヨロヨロと起き上がった。誰かの家の壁に激突したこともあり、土だらけだ。ネロの上にはまだ小さな石などが乗っかっている。
それらを右手で払い落とすと、ネロはゆっくり立ち上がった。左手を動かそうとしたが、思うように動かないことに今さら気付く。そういえば、ゴーレムに殴られたのは左側だった。
「……あれ? モンスターは?」
左腕に走る激痛に顔をしかめながら辺りを見回すと、人々を襲っていたモンスターは一体もいなくなっていた。そこに残るのは、モンスターの爪痕だけだ。
「! ネロ君! ……だ、大丈夫?」
「あー、うん、多分」
ネロを見つけたナディアが駆け寄ってくる。ネロはヘラッと笑って見せたが、すぐに左腕の痛みでそれどころではなくなった。
(折れたっぽいな……)
添え木が欲しいとネロは思った。モンスターが暴れた後で色々なものが瓦礫と化して散らばっているが、残念ながら添え木になりそうなものはない。
辺りを見回すのをやめてナディアに視線を向けると、いつもは気丈に振る舞う彼女が泣きそうになっていることに気付いた。
「……大丈夫? ナディア……」
「……だっていきなり……ネロ君も、みんなもボロボロだし…………あ! そうだ、聞いて、ネロ君! あたし……見ちゃったんだ!」
泣きそうだった顔が一変、いつものナディアの顔に戻る。勿論、笑ってなどいない深刻そうな顔なのだが。
「見たって?」
「あのね、あのモンスターたち……みんなクリムさんについていったんだ……」
「えっ?」
ネロは走り出しそうになったのをギリギリでこらえた。そのあとで、今の自分が行ってもなんの助けにならないだろうと考え、ナディアの言葉の続きを待った。ナディアは続きを言いたいはずなのに、言いづらいのかなかなかいえないでいた。
少しだけ沈黙が流れたあとで、ナディアは重い口を開いた。
「あの……ね? クリムさんについていったときのモンスターたち、あたしたちを襲ってるときとは違うように見えたんだ。……なんか、探してた人を見つけた感じ。おかしくない? 一人を、あんな大量のモンスターで追いかけるの。クリムさんって、なにかあるのかな……?」
「……わからない、けど、本人も分からないんじゃないかな」
少し考えてからネロはそう答えた。モンスターにクリムもネロと同じように驚いていた。その反応は、少なくともモンスターの出現を知らなかったことの証明になる。もしかしたらナディアはクリムを疑っているのかもしれないが、それだけははっきり否定できる。ネロはそう考えた。
……口に出さなかったため、ナディアには全く伝わっていないのだが。
「あぁ、ナディアちゃん、ここにいたんですねー? 探したんですよぉ、一人でどっかいっちゃうからー……あら? お邪魔だったかしらぁ?」
二人の間に微妙な空気が流れること数秒、おっとりとした口調の女性が駆け寄ってきた。
かなり長い黒くて艶のある後髪を白いリボンでひとつに束ねたその女性は、足首まであるロングスカートにエプロンをつけた格好で走るため今にも転んでしまいそうだ。彼女の名前はロレーナ・フォルトゥナーテ。パン屋を営むフォルトゥナーテ家の長女だ。とても大人っぽく見えるのだが、実はネロよりも一つ年下である。
「あうぅー」
案の定ロレーナは転んだ。その仕草に大人っぽさは見受けられない。それでも彼女を大人っぽく見せるのは、これでもかと言うほど主張をするその豊満な胸と、更に色っぽさを加える泣きほくろのお陰だろう。
「だ、大丈夫……? ロレーナ……ごめんね?」
「大丈夫ですよぉ、泣きはしません」
えへへと、恥ずかしそうに笑いながらロレーナは差し出されたナディアの手をとって立ち上がった。彼女がいるだけで、それまで重苦しかった空気が消えていく。助かったと内心でネロは思った。あまり深刻な話をナディアとしたくない。ナディアには、そういう顔をしてほしくないのだ。
「んー……ネロ君、腕、折れてますねー……応急処置、しましょうか」
「え? ああ、うん」
「ナディアちゃん、薄い本を持ってきてくださいー。固定、しますから」
「わかった。ネロ君、入ってもいい?」
ネロの許可を待たずにナディアは家の中へ入っていった。なら聞くなよとネロは苦笑した。まあ、聞かれなくとも許可するつもりでいたのだが。
「……ナディアちゃんはー、ネロ君を心配してたんですよ」
後髪を束ねていたリボンをほどきながらロレーナは言った。黒髪がロレーナの背中いっぱいに広がる。その様子を眺めながら、ネロはロレーナの言葉の続きを待った。
手櫛で髪を整えると、ネロの方を向いてたれ目を精一杯吊り上げた。どうやらロレーナは怒っているらしく、これから始まるのは説教のようだとネロは状況を理解した。




