01
ネロ・アフィニティーは、自分が硬派な人間であると自覚していた。だから、彼の親友であるブランテ・エントゥージアがナンパを始めると彼は決まってブランテから距離をとり他人の振りをしていたし、恋愛話の中でよく出てくる一目惚れという感覚が理解できないでいた。
今、この瞬間までは。
一面の花畑と表現するに相応しい山の中腹の一帯。ここで、ネロ・アフィニティーは銀色の長い髪の毛の少女に、今まで理解することなど出来なかった一目惚れをした。文字通りその少女に釘付けになった。
遡ること数分前。ネロはもういい加減いい大人だというのに迷子になっていた。道はとっくに何処かへ行ってしまい、ネロは道なき道をさまよっていた。
「うわ……散歩してたら迷子になったとか…………またか。笑えない……」
実は迷子になることが珍しい事ではないネロである。男にしては珍しく、かなりの方向音痴なのである。いい加減地元の道くらい覚えるべきだが。
「うわぁぁぁぁ……帰り道はどこぉぉぉぉ……」
とても大きな独り言を呟く、否、叫びながらネロはぐるぐると歩き回った。ちなみに彼は今、山の中を歩いている。機嫌が良すぎて調子に乗った散歩をした結果、こんなところまで来てしまった訳なのだが、山的に考えるとそんなに山を登ってしまってはいなかった。すぐに引き返し、下山すれば見慣れた風景が帰ってくる場所である。にもかかわらず、それがわからないネロは山を登っていた。確かに、山で遭難した場合下山よりも登山の方が生存率が上がるという話があるのだが、まだこれは遭難というレベルではない。命は関わっていない。
「うげえ……森酔いした…………」
自分の首を自分で縛り上げているネロは、殆ど変わらない木々の風景にそう漏らした。見渡す限りの森では確かに嫌になるだろうが、流石に酔いはしないだろうとは誰もつっこまない。今は彼以外に誰もいないのだし。
歩くこと数分、ネロはようやく森から脱出することに成功した。
「わあい、お花畑だ?」
残念ながら、無事帰宅できた訳ではないのだが。
森からは確かに脱出した。しかし、脱出した先にあったのは一面の花畑だった。木が全く生えてなく、開けた場所になっている其処では、色とりどりの花が咲き乱れていた。山であるため風が強く、風が吹き抜ける度に花びらが舞う。
それは、思わず見とれてしまうような景色だった。故に、ネロは言葉を失った。
そんなネロにトドメが刺される。風になびく銀色の長い髪、青い瞳。赤い花びらで彩られた黒いワンピース。花畑の中央部に、そんな少女が佇んでいた。
◇
「……それで?その女の子に声はかけたのか?」
バーのカウンターで、ブランテ・エントゥージアはニヤニヤと問い掛けた。ネロは小さく「いや…………」と言ってからその後の展開を語る。
「俺に気付いた途端その女の子どっか行った……」
「つまり逃げられたのか! まったく何でお前は追いかけないんだよ……可愛い女の子には即座に声を掛ける! 常識だろう?」
「いや、常識じゃなくてそれはただのナンパだし。お前と俺は違うから」
ネロはそう言いながら、慣れた手つきで数種類の材料をステアした。
「それは?」
「ペル・メル。どうせ今からパニーノでも食べるだろ?」
ステアしたものをカクテルグラスに注ぐと、ネロはカウンターの反対側に居るブランテの目の前に置いた。そう、このバーはネロの働く店。そして、ネロはこの店の店主でありバーテンダーなのだ。小さい店ながらもなかなか評判は良い。
「パニーノは?」
「今から作る。簡単なので良い? ……自分で買ってくればいいものを」
文句を言いながらも手はきっちり動いている。あくまでも客の注文に応えているだけなのだが、これは俗に言うツンデレという奴なのではないだろうかと認識されかねない。少なくともブランテはそう認識していた。
パニーノは、ロゼッタというパンにチーズや野菜、ローストビーフなどを挟んだ所謂サンドイッチの事だ。バーで出すつまみにしてはがっつりとした軽食だが、実はお酒よりもこういった軽食の方が評判が良い。バーというスタイルをやめて、ただの酒場として運営すればもっと儲けられそうな程の評判である。店が小さいからこそ、ネロのリクエストに応じる姿勢が評価されたのだろうけれど。