テスト勉強はお早めに。
「お願い、勉強教えて!」
放課後になった瞬間、突然教室にやって来て唐突に頭を深く下げた女子が一人。
そんな彼女に、檜山流紀は冷めた目線で送りながら、
「また?」
と、いかにも面倒くさそうな顔で言った。
「その反応はひどいよ、流紀!」
冷たい対応にもめげず、優翠遊絵は深く頭を下げたまま言い返した。
そんな遊絵を見下ろして、はあ、と流紀は溜息をついた。
「とりあえず、事情聞こうか。何でそんなこと頼みに来た?」
「先生に『次の期末テスト、赤点だったら夏休み無し』って脅されて…」
脅されて、とはずいぶんな表現だが、彼女の中ではそういう意味と解釈したのだろう、流紀はそれに関して何も言わず、はあ、と溜息をついた。
「頭上げて。そんな態度されるとこっちも困るよ」
「じゃあ教えてくれる?」
頭を下げた体勢のまま、縋るような目でこちらを見上げる遊絵を見て、はあ、と本日二回目の溜息をつきながら流紀は言った。
「…教えないわけないだろ、二回目だし」
「ホント!?」
「本当」
「ありがとう!大好き!」
「…それはどうも」
遊絵の「大好き」という言葉に、少し頬を染めながら、流紀はぶっきらぼうに言葉を続けた。
「で、一応聞いておくけど、何の教科?」
「うんとね、五教科全部」
耳がおかしくなったのかと思った。
「…もう一回」
「だから、五教科全部」
「さよなら」
「あ、ちょっと!」
くるり、と踵を返し、教室から出て行こうとする流紀。そんな流紀の背中に飛びついた遊絵は、逃がさないと言わんばかりにひしっ、としがみついた。
「待って、言いたいことはわかるけど逃げないで!」
「あと一週間もないのに五教科って莫迦じゃないの。それも君のことだから前やった内容全部忘れてるでしょ」
「それは確かにそうなんだけど!」
「やっぱり。さよなら。もう関わることがないといいね」
「待って待って待って!」
教室の扉付近で押し問答をする流紀と遊絵。二人とも容姿は並以上なのでその姿はかなり目立つ。
周囲の視線が集まっているのに気づいた流紀は、自分の背中に抱きつく体勢になっている遊絵を見下ろして、本日三度目の、これまた深い溜息をついた。
「あーもう。わかった。わかったよ」
「…じゃあ教えてくれる?」
若干涙目になっている遊絵は、おそるおそるそう聞いた。流紀は視線を合わせずに言い切った。
「教えるよ。じゃ、図書室行こうか」
「うん!」
遊絵は流紀の背中にしがみついたまま、流紀はしがみつかせたまま、教室を出た。
ところ変わって、図書室。
「さて、まずは英語からやろうか」
「はーい」
向かい合うように座り、鞄の中から教科書を引っ張りだすと、机の上に広げる。
「まあ教えるって言ってもやること中間のときと変わらないけどね」
「…じゃあやっぱり?」
「とりあえず今回の範囲の単語二十回書いて」
「うわぁ…」
項垂れる遊絵。そんな遊絵に、流紀は静かな声で、言った。
「今回の範囲だけでいいんだから楽だよ。それとも前みたいに一からやりたい?」
「書きます書きます!」
「図書室だから静かに」
ぱこん、と丸めたノートで遊絵の頭を叩く。
「詰め込み授業するからね。下校時間までここでして、後は家だね」
「どっちの?」
「僕の家。君の家だと参考書とか足りないし」
「…そう」
まだ自分の家なら逃げ場もあったのに、と机に突っ伏した遊絵である。
そんな遊絵の頭をまたノートで叩く。
「止まってる暇ないよ。他にもあるんだから、さっさとやる」
「了解です…」
頭を上げ、ノートを広げる。その上に、ひたすらにペンを走らせ始めた。
図書室にカリカリとペンが走る音が響く。時折、ぽこん、と叩くような音がするのは、流紀が間違いを指摘する際に遊絵の頭をノートで叩いているからだ。
「馬鹿になるよ?」
「元から莫迦でしょ」
抗議をすれば、辛辣な言葉で返される。遊絵はもう泣きそうだった。
「泣くよ?」
「泣いてる暇もないほど勉強させるから大丈夫」
いったい何が大丈夫なのだろうか。少なくとも遊絵の身は大丈夫じゃないだろう、確実に。
「あ、あのさ、英語だけじゃ駄目じゃないかなぁ…」
「何、数学でもやりたい? やることは一緒だよ、ただひたすら書いていくだけ。どうせ頭には入らないんだから身体で覚えてもらう」
遊絵は心の中で泣いた。主に頭に入らないという部分で。
「無駄口叩かないで書く!」
「はーい…」
心の中で涙を滂沱に流しつつ、遊絵は機械的に目の前にあるノートにペンを走らせた。
「…ん、もう下校時間だね」
キーンコーンカーンコーン、とチャイムが鳴った。下校時間を知らせるチャイムだ。読んでいた本から顔を上げた流紀は、自分の向かいに座っている遊絵に目をやった。
「遊絵。起きてる?」
「最初から最後まで寝てないよ…」
ノートから顔を上げる遊絵。広げられたノート一面に単語が書かれ、ひたすら書いていたのがよくわかった。
「うん、ちゃんと書いてるね。じゃ家、行こうか」
「…まだやるの…」
「最初にそう言ったでしょ。ほら行くよ」
「うー…」
鞄を取り、立ち上がった流紀は、ぱこん、と机に突っ伏した遊絵の頭を、また叩いた。
「国語も、やんなきゃいけないと思うんだけど…」
「だから僕の家でやるって言ってるでしょ」
「…あう」
どうあっても逃がす気はないらしい。
「ま、全教科クリアしたら、デートでも行こうか」
がたん、と流紀の言葉に机に手を突いて立ち上がった遊絵は、信じられないように、ぽつり、と呟いた。
「…え、ホントに?」
「嘘のつもりないけど?」
「やった、俄然やる気出てきた!」
鞄の中に広げていた教科書とノートを詰め込み、その鞄を手に取る。
「ほら、早く行こう!」
「…何で急にやる気出てるの」
早く早くと急かす遊絵に、苦笑を浮かべながら訊いた流紀。
「だって流紀からデートなんて誘ってくれたの初めてでしょ?」
「そうだっけ?」
「そうだよ!」
そう言って、遊絵はとても幸せそうな笑顔を浮かべて、図書室の外に出た。
ちなみに期末テストが終了し、テスト返却の結果。
遊絵のテスト全体の平均は八十点を越え、見事赤点なしだったらしい。
【了】