セミファイナリスト
去年の客よりはやや小さめの、尊い夏の生命が今年は早めに私のベランダに迷い込んできた。
客は見付けたときにはもう仰向けだったが、その脚はまだ『俺は生きている』と叫ぶように動かされていた。
私は、すこし遠い血縁の、若い志願兵だった彼のことに思いを馳せる。
若い頃は、彼のしたことは愚かなことだ、とだけ思っていた。
鄙には稀なほど美しく、優秀だった青年の彼。
あの貧しい家で、一際優れていた彼が、どうしてあんな選択をしたのか……幼い私には解らなかった。
召集されたのではなく、自分ですすんで早々に……、いってしまった。
甘い言葉と褒賞に目がくらみ、戦の終わった後のことや、大局を見ずに政府の用意した思想である大義にのせられ、戦争加害者に己の意志で喜んでなってしまったその青年は、今では私に色々と考えさせる存在となった。
貧しい暮らしを己の力ひとつで変えて、少しでも自分が経験した惨めな思いを家と故郷に残さないように。
母のために。弟のために。
誰かにあけすけに馬鹿にされたりする、苦しい思いを家族には二度とさせないために。
能力を持ち合わせてしまったからこそ、彼は敢えて志願して、家族を守りたかっただけだったのかもしれない。
死しても褒賞が遺族に渡されると信じ、己を鼓舞して國のいう誉れある兵士なり、生き死にする事を選び生命を賭したのかもしれない。
―― おじさん ――
夏に全力で飛び、散った、青年。
私はベランダの客に、手を貸す事はしないと決めている。
朝に見た客の腹にはまだ『生きている、生きてみせる』という気持ちが通っていた。
――たくさん、客は叫んだのだろう。
己の持てる全力で飛び、恋を叫び、そして私のところへやって来た。
迷ってしまったのか。
まだ、本当に飛べるのか。
私は切なさと哀しみと敬意を持って、客には触れずに窓のシャッターを上げ切ると、また窓を閉じた。
夕暮れを過ぎ。
私はまた窓のシャッターを動かすために寝室へ移動した。
……客である彼は、移動していた。
ベランダの床の上を、かなりの距離移動して、私の開けた窓のちょうど正面に来て、腹を空へ向けて暗がりの中に小さめの羽を開いて寝ていた。
―― いきたんだね ――
かれは、かれを、精一杯にいきていた。
――もう彼の恋が叶うことは、ないだろう。
異界の大地は彼にとってさぞ暑く残酷に乾いたものだったことだろう。
―― セミファイナリスト ――
愛しさと心苦しさが私の胸に夏の緑蔭のような濃い陰りを作り出す。
暗くて、彼の脚がまだ動いているのかの確認はできなかった。
私は、彼の生命に対しやっぱりなんの力も貸す資格はない。
助ける事も、潰してしまう事もしない。
病床の私の、温度のない部屋の窓の向こうのベランダに落ちてきた尊い彼の情熱。
わたしがメスの蝉だったなら……。
あなたと恋を交わせただろうか。
まだ夏はあさい。
もうすぐ、私の2番目の、本当の誕生日が来る。
はちがつのはじめ。
私のリ・バースデーがすぐそこだ。
それは、私が夫と結婚出来た日。
―― ごめんね、あなたとは恋結べない ――
わたしは。
なかない。応えない。
でも、あなたへの敬愛の念も本物だよ。
―― おじさん、あなたの魂がこの方をわたしのところへ迷い込ませたの?
思い出すのは美しい血縁の青年の白黒の写真。
永遠に、夏の海と空に飛び続ける生命。
ねぇ、あなたの母親は、あなたを本当に愛していたよ。
牡丹餅を作りながら、きっと、涙は流さずに泣いていたよ。私は小豆が嫌いだけれど、こし餡の牡丹餅は美味しいって思うんだ。
明日の朝、私が窓のシャッターを上げたとき。
客である蝉の彼は、果たしてまだ生きているだろうか。
私は夏の終わりには、生き終わった彼を拾って、箸でつまんで、燃やすゴミ袋の中に入れるだろう。
最後にあなたを弔うとき、私はあなたへ歌を贈ろう。




