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もう戻ることはありません! 〜 実家と婚家で冷遇されてきた地味令嬢は、辺境伯領で薬学の知識を振るいます 〜  作者: 鳴宮野々花


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8. 婚家での冷遇

 夫不在のフェルナー伯爵家で待っていたのは、新婚生活とは名ばかりの、過酷な日々だった。

 不機嫌な伯爵夫妻とともに領地に戻り、私はそこでフェルナー伯爵領の仕事をさせられることになった。

 とりわけ厳しかったのは、伯爵夫人の私への態度だった。

 朝の挨拶一つ、まともに返してもらえたことはない。それどころか、顔を合わせるたびに必ず何かしらの、棘のある言葉が飛んできた。


「本当に信じられないわ。若い夫をただの一晩たりとも引き留めておけないだなんて」

「ああ……。結婚させれば後継の心配も解消されると思っていたのに。ますます心配事が増えただけだわ」

「やっぱりダメね、格下の男爵家の娘なんて。特産品の評判が上がっているから、多少はうちの役に立つかと思ったけれど。肝心の嫁としての価値がないのではね」


 こんな言葉を投げつけられるたびに、私は黙って俯くしかなかった。

 伯爵は多くを語らない人だったが、私を見る目は冷たかった。

 フェルナー伯爵領の屋敷では、私はニルス様との夫婦の寝室や、その隣に準備されていた私室を使うことさえ許されなかった。

「妻としての役目を果たしていないくせに、美しく設えたお部屋だけは使わせてもらえるなんて思わないことね」との伯爵夫人の言葉により、私の部屋は使用人部屋のあるフロアの、小さな一室に決まった。

 朝から晩まで、メイドたちに混じって掃除や配膳などをさせられ、それらの合間には家政や書類仕事。どんなに頑張っても、伯爵夫妻の私への態度が軟化することはなかった。

 そんな毎日の中で、ある日実家のローゼン男爵家から手紙が届いた。

 それは家令のオットーからの、作業員たちが困っているようだという連絡だった。薬草の乾燥具合や調合の比率をきちんと守っているはずなのに、うまく仕上がらなくなってきた。私が関わっていた時の、最も良い状態の物ができないという内容だった。

 いい顔をしない伯爵夫妻に謝罪し、頼み込み、数日間のみという約束で、私はローゼン男爵領に戻ることを許されたのだった。


 馬車がローゼン男爵領に着くと、屋敷ではなく、まずは薬草畑と作業小屋へと向かう。

 小屋に到着するやいなや、フリッツ一家が目を輝かせ駆け寄ってきた。他の作業員たちも皆黙々と働いている。

 私は乾燥棚の前に立ち、並んだ薬草をじっくりと検分した。


「……まだ湿気が抜けきっていないわね」

「やはりそうですよね。お教えいただいたとおりにやってはいるのですが……」


 申し訳なさそうにするフリッツおじさんたちに、私はいくつかの指示を出す。


「今の時期は、日差しにむらがあるのが良くないわね。棚の上と下とでかなり温度差が出ているわ。面倒だとは思うけれど、棚の上下の薬草を半刻ごとに入れ替えてみましょう。それから、こっちの束はもういいわ。これ以上乾かしすぎると効能が飛んでしまう」

「は、はい! すぐに移動します……!」


 その後も私は作業工程を一つ一つ確認していった。壺の中の薬草の香りを確かめ、他の作業員たちの薬草のすり潰し方や、刻み方を見守る。


「少し力を入れすぎだわ。こうして優しく、もっと大きく円を描くように……。ほら、こんな感じよ」


 時折助言を挟みながら、皆の作業を手伝う。しばらくして、仕上がった軟膏を確認した作業員の一人が、目を見開いた。


「あ……これです。以前と全く匂いが同じだ……!」

「塗り心地もです! さすがはリエラお嬢様だ」


 数種類の飲み薬と軟膏が一番いい状態の仕上がりになったことを確認すると、フリッツおじさんとベラおばさんが、私に頭を下げる。


「ありがとうございます、リエラお嬢様。お嬢様がお戻りになっていなければダメでした」

「同じようにしているつもりでも、どうしてもうまくいきませんで……」


 しょんぼりしてしまった彼らを、私は精一杯励ました。

 

「最後の微調整は、感覚的なものですものね。でも、あなたたちの技術があれば、絶対に大丈夫よ。慣れてくれば、完全に再現できるはずだわ」

「そうだといいのですが……。リエラお嬢様はそのお若さで、微細な違いを見落とさず完璧に修正できるのですから、本当に素晴らしいです」


 フリッツおじさんのその言葉に、ベラおばさんも頷く。


「私らなんか長年この仕事をさせてもらってますがね、経験や勘があっても、やはり天賦の才には敵いませんよ」


 すると、そばにいたエマがにこにこしながら私に言った。


「リエラお嬢様は、子どもの頃から本当に頑張っておられましたから! お嬢様の感覚と技術は、このローゼン男爵領にとって大きな財産ですよ。正直、お嬢様の嫁ぎ先のフェルナー伯爵領がすぐ近くでよかったなぁ……、なんて、私思っちゃってます」


 皆の言葉に笑みを返しながら、ほっとする反面、新たな不安も湧いてくる。


(今回はこうして帰省の許可を出してもらったけれど、フェルナー伯爵夫妻がいつも許してくださるとは限らないわ。私がいなくても、今の品質を安定して生産し供給できるよう、根本的な仕組みをもっときちんと整えなくちゃ……)


 作業場を後にしてローゼンの屋敷に戻った私は、父にその相談をすることにした。幸いにも、珍しく父が領地に滞在していたのだ。

 けれど執務室を訪れると、ワイン片手にくつろいだ様子で公報誌を読んでいた父は、私の話に顔をしかめた。


「──つまり、今の段階で考え得る改良案としましては、乾燥棚を増設すること、収納庫の湿気対策を見直すこと、それから、現場責任者の教育に力を入れ、人数を増やし、品質検査の仕組みをきちんと作ることでしょうか。作業員の増員も考えたいところです。売れ行きが良くなり、以前よりかなり忙しくなってきていますので。このままではどうしても納期に急かされる形になり、作業工程に焦りが……」

「ああ、もういい! 黙れ」


 父は空になったグラスをテーブルの上に乱暴に置くと、私に向かって犬を追い払うかのように手を振った。


「細かいことをグチグチと……。そんなことに余計な金を使えというのか? 今は注文が殺到していて、経営は順調なんだ。必要ない」

「いえ、ですから余計に必要なのです。品質と生産量を保つには、うちの作業小屋の設備では今後……」

「くどい! 今のままで十分だと言っているだろう! たまたま自分が評判のいい薬を一つ二つ開発したぐらいで、何を調子に乗っておる。そんなものは偶然の産物だ。うちには熟練の作業員が何人もいるんだぞ。奴らはお前より、はるかに経験と技術がある」

「……ですから、お父様。その彼らが困っているんです。だからこうして、私が駆けつけることになりました。どうか一度、この先の作業のことを真剣に……」

「黙れと言っているだろうが!!」


 ついに父は激昂し、大声を上げテーブルを叩いた。その衝撃で、ワイングラスが小さな音を立てて倒れる。


「ちょっと自分が出した改良案が順調にいったぐらいで、鼻にかけるのは止めろと言っているんだ! 小賢しい! 現場のことは全て、領主の私の采配で決める。嫁いでいった小娘の口出しなんぞ必要ない!」


 そう怒鳴りながら、父は何度もテーブルを拳で叩く。そして威嚇するように私を睨みつけた。


「そんなことより、お前はここで何をしている? 私は言ったはずだ。フェルナー伯爵夫妻のご機嫌を損ねるような真似はするなと。ニルス殿はどうしておられる。え? まさかまだ、戦地からお戻りではないのか?」

「……」

「それならなおのこと、お前がやるべきなのは実家の領地経営の口出しじゃない。夫のご機嫌取りだろう。身を案じる手紙の一つでも書いて、可愛げのあるところを見せるなどしたらどうなんだ。え!? そして早く戻ってもらい、子をなせ。離縁なんかされたら許さんからな! 分かったら、さっさとこの部屋から出ていけ!」

「……失礼しました」


 何を言っても無駄だということを悟り、失望した私は落ち込みながら部屋を出た。

 たしかに、領主である父がここまで言うのなら、もう私が口を出すことじゃない。領地経営の方針は、あくまで父の判断で決めることなのだから。


(だけど……、それなら私を平民学校に通わせ、学ばせた意味って何だったのかしら。領地の仕事を手伝わせるために、実務に必要な知識を身につけさせたいと……そういう理由じゃなかった?)


 実際に知識を身につけ意見を言ったら、怒鳴りつけてそれを黙らせるなんて。あまりにも理不尽だし、横暴だ。


(本当に……、私の人生って、一体何なんだろう……)


 そんなことを考えてしまい、気持ちは重く沈んでいくばかりだった。

 せっかく帰省したのだから、数日間はローゼンの屋敷に留まり作業小屋に通おうと考えていた。けれど翌朝には、すぐにフェルナー伯爵家に戻るよう父から命じられてしまった。


 それからの一年間、私はフェルナー伯爵邸で使用人に交じっての仕事と、屋敷の管理や家政、領地経営の手伝いや勉強を続けた。

 ローゼン男爵領からは、やはり数ヵ月に一度の割合で、助けを求める声が上がっているとの手紙が届いた。そのたびに私はフェルナー伯爵夫妻に頭を下げ、数々の嫌みを浴びせられながら実家の領地に戻らせてもらった。そして作業を確認しながら、不安定になりかかっている薬草加工の微調整をし、薬の品質維持に努めた。

 フェルナー伯爵夫人からは、ニルス様がお戻りにならないことについてもネチネチと責められた。


「国境沿いの反乱が鎮圧されてどれだけ経つと思っているの。息子は補給所の管理官で、前線で戦っていたわけでもないのよ。いつまでも戻ってこない原因は、あなたしか考えられないわ!」


 ……以前夫人はニルス様のことを、「実力を買われて戦地では引っ張りだこ」だと話していたけれど、それは武勇に優れた剣士という意味ではなかったらしい。

 私は「お戻りをお待ちしております」という内容の手紙を、何度かニルス様に書いてみた。けれど、彼から返事が来ることは、ただの一度もなかった。

 日々の多忙と義両親からの重圧で追い詰められ、夜中になると一人ベッドで涙をこぼすことも何度もあった。

 

 そして、結婚式から一年ほどが経った、ある日のことだった。

 ニルス様が突然、フェルナー伯爵邸に戻ってきたのだ。

 

 私の妹の、マチルダを連れて。





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