奴隷の少年は心優しき令嬢に依存する
「あら、この子も売り物なのかしら」
綺麗なドレスを着た、如何にもいいところのお嬢様が床に座った小汚ない少年と目を合わせるように膝を曲げる。
ここはこの世の表では売れない汚いもの、醜いものを売っている闇市。奴隷市でもある。
綺麗な金髪の髪に青い瞳に対して少年は黒髪に赤い目をしていた。
側にいた彼女の従者が「アリアお嬢様!それ以上近づいてはなりません!」と注意するが、アリアは聞かない。
彼女はにこりと微笑んで少年に声をかける。
「こんにちは、初めまして。私はアリア。貴方のお名前は?」
「名前なんてないよ…」
「あら、そうなの?」
「…」
少年は何なのだろうか、この人は…と消極的だった。
でもこの奴隷市には定期的にこうやっていいところの人間が奴隷を買っていくらしい。買われた奴隷が何をされるか分からない。噂では殺されるか運良く生かされて死ぬまで過酷に働かされるか。
「闇市、見たことなかったのだけれど、色々なものが売ってるのね。薬や武器、人間…」
「…」
「貴方も売り物?買うにはどなたに声をかければいいのかしら」
「?俺を買うの?」
「ええ」
富裕層は自らの富を知らしめる為に奴隷を買う。本来、従者のみでここへ出向く予定だったが、彼女が暇だからと着いてきたのだ。
「お嬢様!もっと他にマシな者がいるかもしれません、自分の名前すらも分からない男にせずとも…!」と窘めるが彼女は言った。
「名前はいつだってつけていいのよ。なら私が今つけるわ。そうね…ノエルはどうかしら」
「?なんでそれ?」
「昨日読んだ小説に出てきた王子様がそうだったの。おいで、ノエル。お家に帰りましょう」
アリアは立ち上がるとノエルに手を差しのべた。
光が見えた気がする。
いいや、ここから出られるのなら何だっていい。このお嬢様を利用して、俺は幸せになるんだ、とノエルはその手をとった。
*
「アリア!ただいま!」
「おかえりなさい、ノエル」
あれから十年後、アリアは18歳、ノエルは16歳になった。書庫にいたアリアを見つけたノエルはぱあ、と顔を明るくして彼女に抱きつく。
彼は今騎士学校に通っている。最初はここから逃げ出した時何かあった時のために、と思っていたが、あまりにもこの屋敷が、アリアと一緒にいるのが居心地がよくて逃げることも忘れてしまった。
「今日の騎士学校はどうだった?」
「それがさ、聞いてよ~。先輩が…」
なんて愚痴を言うノエルにアリアはくすりと微笑みながら聞く。その間、ノエルはアリアにべったりとくっついていた。
彼がこの屋敷に来たとき、警戒されているなと思っていた。でもそれは仕方ないことだし、分かっていた。
それでもアリアは彼の心に寄り添った。
やりたいこと、欲しいものがあればいつでも言ってと。
奴隷は本来、メイドや従者になり、地位も上がらない。しかし、彼は騎士になりたいと言ったので、アリアが父親に頼んで学校に通わせている。
「ノエル!またお嬢様にくっついて!お嬢様はこの家のご令嬢なのよ!離れなさい!」
「ベル」
茶髪のメイドが大股でこちらにやってきたと思ったらノエルの頭を叩いた。しかしノエルは無視してアリアから離れようとはしない。
「ベル、大丈夫よ。それに私はノエルにこうされるの好きなの」
「お嬢様は優しすぎるんです…!これまでそうやって勘違いしたご子息が何人いたと思って…!」
「ふふ、ベルは相変わらず心配性ね」
ベルも元奴隷だ。彼女もアリアが連れてきたのだ。
この屋敷には元奴隷が数名いる。彼らはよく働き、優しいアリアやアリアの両親を慕っている。
周辺の町の者もこの屋敷については受け入れているらしく、よく交流もしている。
なんて幸せな日常なのだろう、ノエルは思う。これが幼い頃自分が求めた幸せなのではないか、と。
永遠に、一生、この幸せが続いて欲しいと願う。
「お嬢様、そういえば執事が探してましたよ。何かご報告したいことがあるらしくて」
「あら、何かしら」
「…さあ、アリア様のお部屋の前におります、とだけ」
「じゃあ、私は自室に戻るわ。ノエル、また後でね」
「うん」
アリアはノエルから離れると書庫から出ていった。
じと…とベルがノエルを見ると、「何?」と首をかしげられた。
「あんたも変わったわね。ここに来た当初は野生の犬の顔してたのに」
「どんな顔。それくらいここは居心地がいいってことだよ。ベルもそうでしょ」
「そうね、ここは天国よ」
まだ死んでないけどね、なんてベルが言う。
「アリアいなくなっちゃったし、中庭で剣の稽古でもしよっかなー」とノエルはため息混じりに書庫を出ようと一歩踏み出すと、ベルが口を開いた。
「お嬢様、婚約するかもね」
「は?」
「あんたの気持ちは分かってるわ。でもね、私たちは所詮奴隷なの。ここがいくらいいところだとしても、自分の身分はわきまえないといけない」
「待って、それ誰から聞いたの?」
ノエルからどす黒い何かを感じてベルがたじろぐ。「さっき、旦那様と執事が話してるところを聞いて…」と言い終わる前にノエルは早足で書庫を出ようとするので、ベルは大慌てで彼の服を引っ張る。
「待って!!どこ行くのよ!!」
「直談判してくる」
「何を!?ちょっと待ちなさいよ!!奴隷が何言っても無理だって!!!」
すると突然ノエルが立ち止まった勢いでベルが彼の背中にぶつかった。「ぶへえっ」と変な声を出してしまったが気にしてられない。
鼻を押さえながらベルは彼の名前を呼ぶ。
「ちょっと、ノエル…」
「ベルは誰に名前をつけてもらった?」
「え?何?名前…?お嬢様につけてもらったわよ。この屋敷にいる奴隷は皆、お嬢様に名前をつけてもらってる。それはノエルもでしょ」
ノエルはこちらを向かない。怒ってるよね…?とベルは恐る恐る答える。
「知ってる?奴隷は買われた後も普通なら名前はつけられないんだ。それなのにアリアは当たり前のように俺たちに名前をつけてくれる。そんな当たり前の幸せを彼女がくれたんだ」
「…そ、そりゃ、私もお嬢様には凄く感謝してるわ。勿論旦那様や奥様にも。幼い頃勉強だって見てくれて。でもそれはお嬢様が婚約するのには関係ないじゃない」
「あるよ」
きっぱりと言い放つノエルにベルは思わず黙ってしまう。何だろう、この有無を言わせない声音は。
「俺の幸せはアリアがいてこそなのに、彼女がいなくなったら俺の幸せは?アリアは優しいからずっと側にいてくれるって信じてたのに。婚約なんて俺は絶対許さない」
そう言い残してノエルは書庫を去ってしまった。ふと見えた彼の瞳が真っ暗だったのは気のせいだと思いたい。
*
「あら、ノエル。どうしたの?」
彼女の部屋のドアをノックして入るとアリアはいた。彼女はいつもと変わらず、優しくノエルを迎え入れる。
ノエルは堪らず本題に入る。
「…アリア、婚約するって本当?」
「え?」
アリアはぴた、と動きを止めた。そして目を泳がせると観念したように小さくため息を吐いた。
「ええ、まあ…。でも心配しないで。西の国の公爵様のご子息様はとても優しい方だと聞いてるわ」
「…」
「私もパーティーで何度かお会いしたことあるのよ?親しいわけではないから驚いたけど、きっとノエルも仲良くできるわ」
「…う」
「?どうしたの?ノエル」
彼の俯いた顔の頬をアリアは心配そうに触れようとすると、突然それを力強く捕まれた。
驚いて目を見開くとノエルは顔を上げた。
それはとても切なげに見えた。
「アリア。婚約を破棄に出来ない?」
「ノエル?どうしたの、いきなり。そんなこと簡単には出来ないわ」
「どうして?今まで俺の願いも我儘も何でも聞いてくれたじゃないか。今回も聞いてよ。ねえ、」
「ノエル」
彼の言葉を遮るように彼女が名前を呼ぶ。
宥めるように頭を撫でると言った。
「ごめんね、何の相談もせず婚約をしてしまって。でもずっと会えないわけじゃないわ。この屋敷にも遊びにくるし、もしかしたら未来の旦那様がノエルも連れてきていいと仰ってくれるかもしれないわ。いいえ、私が頼み込む」
「…」
「だからそんな悲しい顔をしないで。生きていればきっと良いことがあるわ」
「…」
ノエルがアリアに縋りつくように抱き締める。分かってくれたのかな、とアリアも彼の背中を支えると静かに声がした。
「…アリア、昔話してくれたよね。俺の名前は物語の王子様からとったって」
「ええ」
「優しくて勇敢な王子様。俺は元奴隷だから王子様にはなれないけど、アリアの隣に立ちたいから、そんな人に近づけたらと思ってた」
「ノエルはそのままでも充分素敵よ。優しくて勇敢なノエル。私は貴方を」
「そうだね、俺は優しくて勇敢でなくちゃ」
そう、優しくて勇敢な奴隷である。
どう頑張ったところで、いいところのお嬢様とは婚約…いや付き合うことも出来ない。
ならば、勇敢な悪として彼女を縛り付けよう。
腰にかけていた短剣を手にとって彼女の背中から刺すと綺麗な血が溢れだし、床に広がった。
「なっ、…!ノエ、る…?」
驚いたアリアは口から血を吐き出すと同時にずるりと倒れそうになるところを、ノエルに再び抱き締められる。
瞳を暗く染めて、幸悦とした表情をして。
「大丈夫だよ、俺は君の王子様だから。死んでも独りにしない。あの物語の王子様は独りで死んでいったけど、俺はもう独りは耐えられないから。
優しいアリアなら許してくれるよね?
死んでも離しはしない、俺たちずっと一緒だよ」
そしてノエルも自らの心臓を刺してその場に倒れた。
昔々、王子様は隣国のお姫様に恋をしていました。そしてまたお姫様もその王子様に恋をしていました。
王子様はあの手この手でお姫様にアプローチしました。お姫様は当然喜んでくれました。
お姫様はとても優しいと国民から愛されていました。
何をしても受け入れてくれるお姫様に王子様は何をしても自分には振り向いて貰えない、と挫けてしまいます。
王子様は優しくて勇敢でした。
好きでもない人からアプローチしても迷惑だろう、でもお姫様のことは諦めきれない。
ならいっそのこと死んでしまおうか。
王子様は優しくて勇敢でした。
王子様は深い深い泉に沈み、独りで死んでいってしまいました。
お姫様はそれを聞いて深く深く悲しみました。
「どうして私の気持ちに気付いてくれなかったのかしら」




