2話 「古き神が蘇る」
K市に戻ることにした理由は端的に言えば、体調が悪化したからだ。30代に差し掛かり、白瀬は仕事にのめり込み、残業や休日出勤を重ねた。その結果、暗闇のなか、白い靄が蠢くのが見え始めた。
白瀬は、軽度のうつ症状という事で、会社に休みをもらった。とはいえ、幻覚の事は会社には報告できなかった。
休職の相談するために、総務に顔を出した時、上司から言われた言葉が思い出される。
『白瀬、お前、変なもの見えてないよな?』
咄嗟に見ていません、と言うと、上司は安堵したように息を吐き、
『先日、退職した中川はさ、見えてたんだと』
何が、と聞くと、
『幻覚……だとさ』
自分の他にも幻覚を見た者がいる。つまり、この会社に問題がある、と白瀬は判断した。そして、数日間は家で無気力に過ごしていた。
しかし、白瀬の中で、ある疑念が浮かび上がり、ひとりでに大きくなっていった。これは地元K市に何か関連があるのではないか―根拠はないが、妙な確信があった。すぐに新幹線のチケットを取り、地元へと向かった。
平日の新幹線は空いていた。トンネルに入り、黒い窓に自分の顔が映る。痩せた顔、眼は生気がなかった。白瀬はその顔に見覚えがある―絶縁状態に近かった父の横顔。時折送られてくる米や漬物と言った仕送りだけが、実家との繋がりだった。
幻覚の原因はK市にある。そう思うのには理由があった。2年前に亡くなった白瀬の父も幻覚を見ていたからだ。
暗いトンネルの奥を見つめていると、ふと今までの人生が走馬灯のように脳内に流れていく―白瀬は、逃げるように地元を出た。そのせいか親族から恨まれていたので、父の葬儀にも出られなかった。父は、それを見越して、あんな電話をよこしたのだろうか。白瀬は、父との最後の電話を思い出す。
非通知で掛かってきた深夜の電話。恐る恐る出てみると、掠れた父の声。うわごとを言っていた。幻覚を見ているのか、周りは無音なのに、大声をあげているのが分かった。おそらく、どこかの公衆電話からかけてきていたのだ。
みえます……みえます……ふるきかみよ―
荒い息の父の悲鳴は、あまりにも不気味で、驚いて、電話を切ってしまった。あの電話が、最後の会話になってしまった。
腹が痛む―まるで誰かが胃を握りしめているようだ。同時に、腹部が重くなり、胃液がせりあがり、喉元で酸っぱい味がする。
脂汗を拭い、腹をさする。胃が膨れ上がり、腹部が膨張する。ぎりぎり、と歯を食いしばる。腹部は熱いのに、全身は悪寒を覚えていた。熱病の時の感覚に似ていた。
息を吐き、トンネルの闇を見つめる。ふと、白い靄のようなものが見える。うねうえとそれは蠢き、白瀬に何かを囁きかける―ノイズ交じりの、不気味な声。
はっ、と誰かの息の音がし、白瀬は我に返る。気絶に近い形で眠っていたようだ。眠っている内にトンネルを抜け、見たことのある山々が見えた。故郷であるK市が近い。
山に囲まれたK市は、過疎化の一途を辿っている。どこにでもある限界集落、それが白瀬の生まれ故郷だ。だが、そんなK市が、Twitterで一瞬だけ話題になったことがあった。
それ2年前、いもち病(イネの病気の一種)による稲の発芽不足を予測するツイートから始まった。それは数値と簡素な文章による短いツイートだったが、K市が受けた被害(その時点では、受ける被害)を正確に予想した。そして、それは立て続き行われ、未来予知として一部界隈を騒がせた。その裏で父は、ひっそりと亡くなったのだ。私に、意味不明の電話を掛けながら。
父の死を、そのツイートと結び付けてしまうのには訳がある。かつては飢饉を引き起こしていた米の病気。その発生をぴたりと言い当てたアカウント。その最後の発信が要因だった。
最期の文章、それは、
「古き神が蘇る」
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