執事デレクの随喜の涙
木々の中に立ちこめる朝靄を自室の窓から長め、まだ目覚めきっていない頭を動かそうと今日の天気を予想する。
「今日は快晴だな。旦那様の門出に相応しい」
エルドラ領の朝靄は木々の深い所に現れ、森と隣接するこの屋敷からはよく見える。
こういう日は晴れる時が多いのだ。
「大変な一日になるが頑張ろう。さあ、いこう」
言葉に気合いを乗せて真新しい制服に袖を通しながら思考をすっきりさせていく。
早朝の屋敷内は静けさの中に凛とした寒さがあり身を引き締めるのにはちょうどいい。
まずはすでに仕事にとりかかっているだろう場所へと向かった。
「おはようございます」
「あら、おはよう。今日はいつもより早いね」
「はい、今日は旦那様にとって素晴らしい一日になるので」
「あははは。相変わらず旦那様への愛は人一倍だねぇ」
明るく笑う侍女頭のミラは、この屋敷の使用人達の太陽のような存在だ。
調理場で侍女達に朝ご飯を渡しながら忙しく動いている。
「今日は起きた人から朝ご飯を食べていっておくれ。ほら、デレクも座って」
「いや、旦那様より先に食べるのは……」
「今日は忙しくてゆっくり食べている暇はないよ。しっかり食べて仕事に支障をきたさないようにしないと。渡された主人特製チーズ入りふんわりパンケーキを残さず食べておくれ」
ずいっと渡されたアールグレイの紅茶と皿にのせられたパンケーキから湯気が上がっていて、鼻から入った匂いは脳を刺激してお腹の音を鳴らせた。仕方なく調理場の横にある使用人の休憩用の大テーブルの隅に座り食器を手にする。
先に食べ始めていた侍女達は、頬に手を添えてニコニコしながら黙々と食べている。
「ほんとにふんわりだ」
力を入れずに切れてしまうパンケーキに歓喜にあふれた顔を向けて平らげるという気持ちを見せると頬張り続けた。侍女達が黙々と食べていたが自分もそうなってしまったなと含み笑いをしながら残りのアールグレイの紅茶を飲み干し食器を片付けに行った。
「ごちそうさまでした。とても美味しかったです」
「美味しかったかい? うちの旦那は天才シェフなのさ」
ミラは得意満面の顔をしながら空になった皿を受け取りとても嬉しそうに笑う。
つられて微笑みながら行ってきますと言うと呼び止められた。
「少しでも手が空いたらここに休憩しに来ておくれ。一口でつまめる物を用意しとくよ。食べないと力がでないからね」
「ありがとうございます。でもそんな時間はとれないと思います。これから屋敷内の確認をして旦那様のお手伝いと招待客の確認と使用人達への指示と庭師に花も頼まなければ……あと……」
次々とこなさなければいけない事が頭の中からわいてきて無意識に独り言のように言っていると突然ミラに抱きしめられた。
「子供の頃から次期当主となる旦那様につき、前当主の執事として有能な父親の元で頑張っていたのはみんな知ってる。ミスしそうになってもミスしてもみんながいる。助けるからね。ここにいる誰もが旦那様を慕い幸せになってほしいと思ってる。まぁ、デレクは誰よりもその思いは強いけれど」
張り詰めた気持ちが緩み心が軽くなって、ほうっと息を吐くことができた。
(あれ、なんだか鼻の奥がツンとする)
それを見ていた侍女達が首を傾げながら
「デレクさん、泣いてます?」
「えっ……」
「泣くのはまだ早いよ。泣くのは旦那様の婚約発表された時だよ。みんなでうれし泣きをたくさんしようじゃないか」
背中をポンと叩かれ、まるで行ってらっしゃいと押されたように感じ、再度行ってきますと言うとさっきよりも声色に力が入ったような返事になった。
▽▽▽
「デレクさん、休憩に入って下さい」
「いや、まだ確認しながら作業を見なければいけないから」
「それは私達がやります。休憩後にデレクさんはチェックだけお願いします」
「いや、でも……」
「任せるのはちょっとと言いたそうですね。私達の日々の仕事を見ていて理解していると思っていたのですが……」
「確かにそうだったね。でも全部に目を通しておきたくて」
「デレクさん、この屋敷にいるみんなが今日の為に準備してきました。みんなが旦那様の為に働いているんです」
「みんなが……どうやら私は思い上がっていたみたいだ」
この屋敷で働く仲間を頼れないと思っていることが見透かされてしまい、侍女達にかけられた声は少し怒っているようなきつい口調になっていた。
「休憩してくるよ。あとはお願いします」
「はい、任せて下さい」
どこか誇らしげに返事をした侍女達が各自持ち場へ向かう姿を見届けてから調理場へと向かった。
「やっときたかい。まったく、侍女達に声かけ頼んでよかったよ」
ぶつぶつと小言を言いながら温かいミルクティーと空の皿をミラから渡された。
「食べたい物を好きなだけ取り分けていいからね」
ミラの目線の先には大皿にのせられた一口大の料理が並んでいた。
「悩んでしまうな……」
「気に入らないかい?」
「いいえ、どれもみんな美味しそうで選べません」
「みんな美味しいからね。わかるわ〜」
腕を組みしみじみと言ったミラは、微笑みなからどこか嬉しそうだ。悩んだすえに数種類のサンドイッチと野菜のマリネがのったビスケットを数枚とるとテーブルへと向かった。
「休憩も大事な時間だよ」
後ろから声をかけられ、振り返ると久しぶりに会う父の姿があった。
「今、家族水入らずでゆっくりしていらっしゃるから私も今のうちに休憩をと大旦那様がおっしゃってくれてね」
そう言いながら私の前に座り、ゆっくりお茶を飲む父はいつものように余裕さえ感じられる。
「自分本位になっていないか? 旦那様の為と思って動いているだろう? それは違う、自分の為に動いていた」
「動いていた? 私の事を見ていたのですか?」
「まあ、そうだな。息子の仕事ぶりが気になってな」
普段は別邸にいる大旦那様の執事として側にいる父とは久しぶりの再会だが、執事としてだけ見られているような口ぶりに少し寂しくなった。
元気だったか?と一言だけでも息子としての存在意義を感じ、どんな言葉よりも原動力になりうるのにと僅かな情愛をも諦め、ため息をついた。
「デレク、大丈夫か? 疲れたか?」
「えっ……いいえ」
「執事としてただ動くのではだめだ。自分がどうして旦那様のお側にいて執事でいるのか。いつかお前にもわかる時がくる。誰よりも有能な執事になる。私の息子だからな」
父の顔は、欲しかった情愛があふれた笑顔になっていて思わずでた言葉に力が入った。
「これからも頑張ります。いつかあなたを越えてみせます」
「はははは、何よりも嬉しい言葉だ」
お腹を満たし、心も満たされ、とても幸せな休憩になった。
皿を片付けながらシェフとミラに感謝を伝えると頑張ってと笑顔で言われ、弾んだ声で答えてから仕事へと戻った。
「うっ……ぐすっ」
「あらあら、デレクがいなくなってからほんとに素直になるねぇ」
「うちの息子……立派になったなぁ……ぐすっ」
「日々、努力は人一倍してる。それにあんたの息子だからね」
「もちろんだ。ぐすっ……私の息子は素晴らしい」
「あははは、言い切ったね。親馬鹿すぎるわ。はははは」
調理場にいたみんなが笑っていて、自分の話をされているとは思わず屋敷の中をせわしなく動き回っていたデレクがいた。
▽▽▽
「なんていい眺めなんだ」
旦那様も婚約者様も今までにない笑顔で招待客に挨拶をされていてとても幸せそうだ。気を引き締めないと泣きそうだ。ずっと執事として支えてきてこんなお顔を見ることができるとは。
「そうか……わかった気がする」
父がずっと有能な執事であった理由がわかった。
この景色と旦那様の顔を見る為、そして幸せであってほしいと頑張っていたことが。
(父さん、私も旦那様の幸せな笑顔を守る為に頑張っていきます)
今は有能な執事となるべく溢れそうな涙を抑え、最後まで仕事を全うしなければと気合いを入れなおす。
仕事が終わったら一緒になって泣いてくれる仲間がいる。
その時は思いっきり泣いてもいいじゃないか。
今日ぐらいはうれし泣きをたくさん流そう。
その夜、調理場の大テーブルには、みんなが集い、うれし泣きをする顔ぶれがいた。
その中には嬉しそうに話しながら涙を流すデレクの姿があった。
最後まで読んでいただきましてありがとうございました。




