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おかえり

作者: こし餡

久しぶりに実家に帰省した。

大学を出て就職してからというもの、ずっと忙しくて、地元に顔を出すのも一年ぶりだ。


玄関のドアを開けると、懐かしい土の匂いと、木のきしむ音が迎えてくれる。

「ただいま」と声をかけると、すぐに奥の部屋から母の返事が返ってきた。


「おかえり。お風呂わいてるからね」


相変わらずの母の声に、思わず笑みがこぼれる。変わらないって、ありがたい。

「ありがとう」と言って靴を脱ぎ、廊下を歩く。畳の感触が足裏に優しい。


リビングに入ると、母がごはんをよそってくれていた。

「よく帰ってきたね」と言いながら、ちょっと痩せたようにも見えるが、元気そうだった。


夕飯を食べ終え、風呂に入り、自室に戻ると、机の上に白紙の紙が一枚だけ置かれていた。

不思議に思ったが、母のメモかなと思い、そのまま引き出しにしまう。


夜、布団に入って間もなく、廊下の方から母の声が聞こえた。


「……ねえ、起きてる?」


「うん、起きてる。どうした?」


しばらく沈黙があって、次に返ってきた言葉に、思わず身体が強張る。


「……あんた、いつ帰ってきたの?」


「は? 今日の昼だよ。ご飯も一緒に食べたでしょ?」


「……さっき、玄関で声がしたの。『ただいま』って。あれ、あんたじゃないの?」


心臓がひとつ脈打つたび、冷たい何かが血の中を流れていくのを感じた。


「俺、部屋から出てないよ。そんなの聞こえなかったけど……」


母の声が、少しだけ震えていた。


「……じゃあ、いま下にいるの……誰?」


ぞくり、と背筋に冷たいものが走った。

布団をはねのけて起き上がり、廊下に出て階段の上から下を覗く。

玄関は暗い。何も見えない。


けれど、靴が――一足、増えていた。


見覚えのない黒いスニーカー。

誰かが……入ってきた?


「母さん、鍵は?」


返事がない。廊下に戻っても、母の部屋の扉は閉まったままだ。

ノックしても、返事はなかった。


怖くなって、部屋にこもる。鍵をかけ、布団にくるまる。

明日になったら、警察に電話しよう。

そう決めて、無理やり目を閉じた。



朝。


部屋を出て、母の部屋の扉を開ける。

布団はきれいに敷かれているが、誰もいない。

風呂も、台所も、家中を探したが、母の姿はどこにもなかった。


スマホで警察に連絡しようとしたが、ポケットにもカバンにも、どこにも見当たらない。


代わりに、机の上に見覚えのある紙が置かれていた。

昨夜の、白紙の紙。だが、裏を返すと、そこには文字が書かれていた。


「おかえり」


震える手で紙を置いた瞬間、背後から気配を感じた。


「――ただいま、って言ったのに」


振り返ると、母が立っていた。


だが、何かが違う。

顔色が悪い。目が笑っていない。口元だけが、にやりと不自然に釣り上がっている。

手には、また同じ白紙の紙。


「ごはん、まだだったよね?」


その声は、母のものではなかった。

そっくりなだけの、別の“なにか”。


足音が、家中から聞こえてくる。二階の廊下、階段の下、トイレの奥、あちこちから。

まるで、家の中に複数人がいるかのように。


「ねえ、何度言ったらわかるの……」

「この家には、“もう一人いる”って……」


そのときようやく思い出した。

この家で数年前――父が突然、失踪したことを。

そして、玄関で最後に聞いた言葉。


「ただいま」だった、と。



(終)


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