第4話 引き金を引くよりも
金持ちで、白人で、男。“人生イージーモード”のゴールデンチケットを握りしめて産まれてきた、祝福されたガキ。それが俺。貧困や差別とは無縁、マンハッタンの喧騒から離れたグリニッチの大邸宅が生家。優しく愛情深く、どんなときでも寄り添い慈しんでくれる両親のもとで、誰に踏みつけられることも痛めつけられることもなく育てられた。人殺しになる理由なんてなにもなかったんだ。ただ、そういうふうに生まれついてしまった。
気高く善良な両親から産まれた壊れた魂。殺すことでしか満たされない人の皮をかぶった捕食者。医者やカウンセラーがどれだけ手を尽くそうが無駄だった。「正常」な自分を知らないんだ、どう治ればいいのか、わからない。安心、興奮、生きている実感、誰かの命を摘み取る瞬間にだけ自分から抜け落ちた魂の欠片を感じることができた。己を呪って頭を撃ち抜くか、この渇きごとすべて受け入れるか。 あの日、父さんの書斎に飾られていた象牙仕上げのピースメーカーを顎に押し当てながら俺は選んだ――引き金を引くよりも愉しいほうを。
「ビビってんじゃねえ! 相手は独りだ、囲め! さっさと殺せ!」
「う、うおおお!」
「くそっ、調子にのってんじゃねえぞ!」
トカゲ頭に発破をかけられた二人が同時に向かってきても、心は不思議と凪いでいる。身を任せればいい。この身体は――殺しの技術は信用できる。腹の底から湧き上がる高揚と、葉擦れすら聞き逃さない冷静、背反するはずのふたつがひとつの身体に共存していた。どれだけの死線をくぐればここまでに至るのか見当もつかないほどの集中力。薄氷に覆われた冬の湖のように感覚が研ぎ澄まされている。クズ共が間合いに入った瞬間、流れるように手足が動いた。右から踏み込んできた男の突きを剣の腹で受け流し、勢いを殺さないまま半回転、遠心力を乗せた一振りで左の男の腹を切り裂く。あふれた血と臓物が水気のある音をたてて地面にこぼれ落ちた。
「ぐっ……うぅっ……あ、あああ……! 俺の、俺のはらわたが……!」
「チッ……!」
膝をついて腹のなかに腸を戻そうと奮闘する男を見て、トカゲ頭が舌打ちした。仲間が次々にやられていく様子に怖気づいたのか、右の男は顔色を変えて後ずさりを始める。拘束したり、動かなくなった体を鉈やチェーンソーで解体すことはあっても、動いて立ち向かってくる体にここまで派手な致命傷を負わせる機会なんてそうそうない。飛び散る血しぶきの軌道が違う、腕に伝わる肉の抵抗が違う、向けられる殺意の熱量が違う。知った気になっていた殺しにまだまだうずくような未知の手触りが残っている。感動だ、愉しい、嬉しい、胸も身体もどんどん熱くなる。
「なんなんだ……、なんだよこいつ! なんで笑ってんだよ!」
「落ち着けバカ野郎! 隙を見せるな!」
「くそっ! こんなの割に合わね――」
トカゲ頭の言うとおり、逃げ道を探して目を泳がせた男の隙をこの身体は見逃さない。すばやく踏み込み一気に距離を詰め、心臓めがけて深々と剣を突き立てた。傷口に手を添えて弱っていく鼓動を感じとる。動きが止まったのを確認して濡れた剣を引き抜いた。
「ああ……ははっ、すげえな、これは……っ」
三人。立て続けに三人だぞ? 息も乱さず、怪我ひとつせず、現実では起こりえないシチュエーション。夢みたいだ、異世界。こんなに幸せでいいのか? 快感に似た痺れが小刻みに背筋を駆け抜けていく。剣にまとわりついた血脂を振り落としながらトカゲ頭に向き直った。黒目がちな爬虫類の目のなかで月光が剃刀のようにきらめく。あれが光を失うとき、俺が得るものの大きさは?
「てめえ……傭兵崩れだと聞いてたが、違うな。随分とお上品な剣筋じゃねえか、いままで隠してやがったのか? どうりで違和感しかねえわけだ」
おそらくこれがこいつの人生で最期の会話になる。頭のなかではシナプスが駆け巡り、俺の一挙手一投足や言葉のなかに逆転の活路を見出そうとしている。そんなドラマティックな時間に付き合ってやりたいのは山々だが、そうだな、いまは都合が悪い。いうなれば情熱的なキスシーンの最中に流れるクソコマーシャル。おとといきやがれってことだ。
「……お前、ヤる前はキャンドル飾って雰囲気作りからするタイプか? まあそういうのも嫌いじゃねえけど、ただがっつくのが正解ってときもあんだろ?」
肩をすくめて、片手で剣を掲げる。切っ先をトカゲの眉間へ向けてぴたりと合わせた。
「いまがそう。じらすなよ、早く殺ろうぜトカゲ野郎」
「上等だイカレ野郎が……!」
安っぽい挑発を着火剤にして爬虫類の目に怒りを宿す。この手のやつは扱いやすくて良い。ちっぽけな自尊心を踏みにじってやればあとは勝手に燃え広がる。地を蹴る音と同時にトカゲ頭の巨体が突っ込んできた。踏み込みに迷いがなく、殺気も段違いに濃い。振り下ろされた剣をすかさず剣で受け止めた。鋭い金属音が鳴り響き、火花が散る。手首にビリビリと痺れるような衝撃が走ったが、すぐに押し返し半歩ずつ間合いを読み合う。他の奴らよりはデキる。でも、それだけ。いまのでハッキリわかった、見切ってしまった。こいつじゃこの身体に勝てない。
「おらっ!」
力任せに打ち込んでくる二撃目、三撃目を受け流し、体勢を崩したトカゲの胴体に返す刃で切りつける。硬質な音と妙な手ごたえ。傷が浅い、鱗が硬いらしい。
「うおおおらっ!」
傷の浅さに気が大きくなったか、雄叫びを上げて降りおろされた大振りの一撃を半身でかわす。そうしてガラ空きになった顎の下――唾を嚥下する様子がわかるほどに皮膚が薄そうな部分に剣を突き入れた。案の定、筋肉とも骨とも違う吸い込まれるようなやわらかさ。この種族の弱点なんだろう。皮膚を破いた切っ先は勢いのまま奥へ奥へと滑りこみ、トカゲ頭の脳天から突き出した。
「お……おま、え……」
ゴボリ、と口と喉から血があふれる。見開かれた瞳を覗き込むと、映りこんだ自分の輪郭を少しだけ確認できた。暗いせいで、確実に男の骨格だということくらいしかわからない。
「ちく……しょう……地獄に……落ち……ろ……」
「心配しなくても、俺はVIP席だよ。先に行って待ってな」
徐々に濁っていく瞳を眺めながら、頭の芯がじんじんと痺れてくるのを感じる。いつのまにか、はらわたをかき集めていた男は血の海のなかで息絶えていた。悦びの波が断続的に押し寄せて、吐く息が勝手に震える。愉しかった。ああ、これだ。これが俺だ。このために生きている。人がこれをなんと呼ぼうと、それでも満ち足りてしまう、この悦びには抗えない。異世界だろうがクズはクズ、俺はどうしようもなく俺だ。
「このクソ女! よくも!」
「きゃあっ!」
「……あ?」
目を瞑り余韻に浸っていると、幌馬車の影から穏やかじゃない男女の声と物音が聞こえてきた。女は縛られてたうちの誰かだとして、男は……。
「……そういや御者がいたな。ラッキー」
俺たちクズ共がやり合っているあいだに逃げるチャンスはあったはず。にもかかわらず、まだこの場に残っているということは狙いは女だろう。この期に及んでまだ金に換えることを諦めきれないのか。うん、いいぞ、殺していいやつだ。トカゲ頭の服で剣の汚れを綺麗に拭い取り、幌馬車に近づく。車内に女たちはいなかった。ズボンを下ろしたまま死んでいるマヌケの死体と、踏みつけられたいくつかの麻袋が散乱しているのみ。ひとつ引き寄せて中身を探ってみる。食材、コインの入った小袋、衣類、こまごましたものが無造作に詰め込まれていた。
「ん……?」
くたびれた日用品のなかに細かな紋様が彫り込まれた銀製のチョーカーを見つけた。バングルのような三日月型、やけに繊細で優美な細工。クズ共の持ち物としては場違いな代物だ。盗品か?
「畜生! こうなったらお前だけでも……!」
「あっ! うっ、やめ、て」
「おっと……」
眺めていたチョーカーを咄嗟に鞘の金具に引っ掛け、声のする側面にまわりこみ覗いてみる。女の胸に馬乗りになり、両手で首を締めている御者の背中が見えた。うめき声をあげる女の細い脚が必死に地面を蹴り、削れた土が幾筋もの線を描いている。……これなら、この身体の剣技を借りるまでもない。持っていた剣を馬車に立てかけて忍び寄り、気配に気づかれるよりも早く御者の首に右腕を巻きつけた。肘の内側に喉仏を固定し、左腕を後頭部に回してロックをかける。そのまま力を込めて頸動脈を締めあげた。
「……っ! が……っ! ……っ!」
かすれた呻きを漏らしながら御者の手が俺の腕を掻く。ああ、さすがは鍛え上げられた身体だ、もがく大人の男を相手にしているのにほとんど重心がぶれない。御者の下から抜け出した女が荒い呼吸をくりかえしながら俺を見上げた。紫水晶の瞳をした、あのブロンド女。
「まーた、お前かよ。今度はなにして怒らせたんだ? 懲りねえ、な……!」
「あなた……また……」
手加減も遠慮もないリアネイキッドチョークをかけられた人間の脳が酸欠でブラックアウトするまで十秒前後。なおも締め続けていると手足が細かな痙攣を繰りかえし、湿度をともなった小便の匂いが漂ってきた。完全に呼吸が止まったのを確認してから御者の体を脇に投げ捨てる。
「……立てるか?」
地面にへたりこんだままの女に近づいて手を差し出す。俺の意図を知ってか知らずか、数回瞳をまたたかせて迷う素振りを見せたあと、美しい“預言者”様とやらは“不浄な異物”の手をとった。




