第2話 負け犬の席
日本のマンガ、アニメは好きだ。宇宙を股にかける賞金稼ぎ、近未来の電脳犯罪に挑むエリート集団、サムライとストリート文化をミックスした作品なんか最高にクールだよな。首を傾げたくなる怪作が定期的に出てきたりもするが、そこを含めて未来に生きてる感じがするよ。こっちにも骨太なダークヒーローや深遠なテーマを扱った唸るような傑作というのは存在するが、それでも全体を見渡すとピチピチのコスチュームをお召しになってドンパチやるスーパーヒーローが主流、っていう印象は否めない。ちょっと待てよ、なんの話だったっけ。ああそう、まあわりとなんでも寛容に受け入れる俺だが、どちらかと言うとここ数年ブームが続いている異世界転生、異世界召喚ものは好まない。
「なんだこいつ寝てんのか? へっ、呑気なもんだぜ」
「……っ」
ブーツ越しに足首を蹴られ、狸寝入りを決め込んでいた体が大きく揺れる。うるせえな。寝てんだよ、見りゃわかんだろボンクラが。舌打ちしそうになるのをこらえまぶたに力をこめる。えーと、そう。いわゆる元の世界でうまくやっていけなかった負け犬が異世界に渡った途端に大活躍っていうアレな。まったく、負け犬が負け犬たる所以をなにもわかっちゃいないと思わないか。どんなに美しい容姿に生まれ変わろうが、誰しもが羨むチート能力を手に入れようが、そう簡単に人間の本質は変わらない。そもそも考えてみろ。見知らぬ異世界でうまく立ち回れるほどの器用さや適応力がある人間なら、元の世界でだってそれなりにやっていけてる。ブサイクだろうが能力が低かろうが無難に生きてるやつはごまんといるんだ、周りを見りゃわかるだろ?
「おい、この道であってんのか? いつもと違うんじゃねえか?」
「ルートを変えるって聞いてなかったのかてめえは。最近このあたりの兵士の巡回が増えてんだよ」
兵士、巡回、ルート変更……。不穏なワードを無意識に耳が拾い、すぐに頭から追い出す。いまはこっちだ。集中しろ。ええと、ああ。負け犬。連中が抱える本質――怠惰に流され、堕落を選び、責任からは逃げ回る。差し伸べられた手すら踏みにじり、自分を変える努力はせずに被害者ヅラで周囲を呪う。そういうヤツらを俺はよく知っている。クズはどこまで行ってもクズ、ゴミはどこまで行ってもゴミ、負け犬はどこまで行っても負け犬。世界という舞台装置をまるごと取り替えたところで覆しようのない事実。
「あとどれくらいだ? ケツが痛くなってきたぜ」
「てめえのケツなんか知るかよ、黙って座ってらんねえのか!」
「なんだとてめえ!」
野太い男の怒声と共に、尻から背骨へと突き上げる不快な振動がカットイン。舗装されていない道特有の不規則なバウンドとサスペンション皆無の硬い座席、車輪がギィギィと軋む音。遮断していた情報がどっと襲いかかってくる。あーあ、せっかくの現実逃避が台無しだ。フェラーリに慣れた俺のケツにこれは拷問、人道的じゃない。いやいや、だからそんなことどうでもいいんだよ。ほらなんだった、俺は異世界転生、異世界召喚ものは好まないって話。選ばれるやつが負け犬ばかりだからだ。もし万が一、億が一にも、この俺がいままさにその異世界へ!なんていう最悪のジョークの渦中にいるとしたら? それはつまり、……世界が俺を負け犬と認定したことになるのか?
「ひひっ、綺麗な顔だなぁ。もっとよく見せてみろ」
「くっ……! やめなさい汚らわしい! お前たちなど女神アウラドリイス様の裁きの炎に焼かれるがいいわ!」
「うるせえなぁ。おい、売り物にちょっかい出すな。早く口塞げよ」
「んん! んー!」
女神アウラ……なに? ああもう、やめてくれ、そんな聞いたこともない神の名前。くそっ、まただ。やたらと威勢のいい女の声に意識を引き戻されて集中が途切れてしまう。ほらほら話を戻せ、こうなる前の最後の記憶を思い出せ。あの場には俺のほかにもう一人いた。正真正銘の負け犬。クスリを買う金欲しさに自分のガキを使ってポルノ配信をしていた腐れジャンキー。「死」は異世界へ行くきっかけとなるお約束のパターンのはず。あのとき二人とも死んだのなら、俺とあの女が取り違えられた可能性はおおいにあり得る。いや、むしろそれしか納得のいく理由が思いつかない。負け犬とは程遠い俺が、こんな場所にいる理由。
「ふー……」
ようやく腑に落ちる結論が出たところで深く息を吐き出す。目覚めた瞬間よりはだいぶ冷静になってきた。現実逃避を終えて、現状を直視するため一度は伏せた顔を上げる。
湿った臭いのする簡素な幌馬車、狭い車内に六人の男が肩を寄せあって座っている。俺を挟んで左右に一人ずつ、向かい側には三人。もちろん全員に見覚えがない。顔や腕には目立つ傷跡が刻まれ、皮や金属プレートを雑に繋いだ装備を身に着けている。そして傍らには鞘に納められた剣。見るからに堅気じゃなさそうな、無法者然とした男たち。そんな連中のなかでも、ひときわ異様なのがひとり。
「……なんだ、なに見てんだ」
「ああ、悪い。なんでもねえ」
「チッ、気色悪ぃ」
にこりと笑いかけると、俺を睨みつけたままトカゲの頭をした男が不機嫌そうに鼻を鳴らした。青黒い鱗でびっしりと覆われた肌が、揺れるランプの明かりを照り返している。ありゃいわゆるリザードマンとか、レプティリアンとか呼ばれる類のやつだろ。あきらかに人間じゃない、ファンタジーな世界の住人が当たり前のように目の前にいる。それだけでも気が滅入るのに、さらに最悪なことが同時に起きていた。俺たち野郎共の足元に、布を噛まされ手足を縛られた女たちが転がされている。
「……はぁ」
妙齢の女が二人に、年端もいかない少女が三人。これ以上ないくらいに怯えた目をして身をこわばらせている。どうやら俺たちはこの仔羊の群れを攫った直後らしい。クズ共め。いや、ここでこうして目覚める直前まで女を攫って殺していた俺が言うのもなんなんだが。それでもこんなに幼い子供に手出しはしない。同じクズでもまだマシなほうのクズだ、たぶんな。
「またため息か。お前、腕はいいのに本当に辛気臭えよな」
「あー……、そう? ははは……」
「今日の成果は上々だぜ、こりゃどいつも高く売れるぞ。景気良い顔しろよ」
隣の男が場末のバーの汚ねえ便器みたいに黄ばんだ歯を見せて笑う。 ――「売り物にちょっかい出すな」「どいつも高く売れる」。確定だな。俺はよりにもよって人身売買グループの一員だ。堕ちるとこまで堕ちたもんだ。
「油断してんなよ。最近俺たちみてえなやつらが狙い撃ちされてる、知ってんだろ」
トカゲ頭がそう吐き捨て、苛立たしげに俺を一瞥した。妙な敵意を感じる、俺とこいつは間違いなくウマが合わない。
「おお怖い怖い。カリカリすんなって、なあ?」
「ん? はは、そうだな……」
隣の男に適当な相槌を返し、組んでいた両手をほどいて膝に置く。使い古されたコーヒーブラウンの皮手袋をしている。ふと、なにかおかしいと気付いた。ゆっくりと指を握りこみ、開いてみる。俺の意思でちゃんと動く。けれど、これはなんだ。ひとまわり大きく厚みのある手のひらも、関節が目立つ骨ばった長い指も、見慣れた自分のものとはまるで違う。
「……?」
おそるおそる顔に触れると頬骨の高さも違った。鼻梁はやや太く、顎にはざらついた無精髭の感触がある。首筋、鎖骨、肩へと順に指を這わせる。腕を掴むと固く太く引き締まった筋肉の弾力が跳ね返ってきた。普段からワークアウトには励んでいる。見栄えのために、殺しに必要な体力と持久力のために、ある程度ストイックに鍛えている。でも、これとは質が違う。これはもっと、異常なほどに“使われてきた”筋肉だ。マシンを使ったトレーニングなんておままごとに感じるレベルの、徹底的で無駄のない、――おそらく命のやり取りの中で築かれたもの。
「……」
骨格、筋肉、毛の柔らかさ、なにもかもが違う。ごくり、と固い唾を飲み込む。最悪がまたひとつ静かに更新される。百パーセント間違いなく、これは俺の身体じゃない。俺は他人の中にいる。おそらく自分よりずっと“上等”な人間の中――そう、まるで負け犬のための席に。