表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

12/13

第12話 極上のソーテルヌ


 なんとかして今すぐ()()にありつこうと、あの手この手で渋るサラヴェリーナを風呂小屋に追い立て、部屋を後にした。向かった先は一階のカウンター。使える見た目だとわかったからには、他の人間でも試してみたくなるのが捕食者の(サガ)というもの。生まれついての卑しい習性はどうにもならない、舐め腐ってくれた相手には特に。

 女主人は椅子の上で肘をつき、退屈そうに繕い物をしていた。俺の足音に気づくとうんざりした目でこちらを睨みつけてくる。

 

「よお、おかみさん。お疲れさま。いい風呂だったよ」


「!?」


 裸のままの上半身を惜しげもなく晒し、乾きかけの髪を手櫛で雑にかきあげて明るく声をかける。ハリウッド映画ならここでスローモーションがかかって、腹筋、胸筋、鎖骨へとレンズがねっとり這い上がり、歯列矯正のコマーシャルモデルのような爽やかな笑顔がキラッと輝いてフィニッシュしてるとこ。現に女主人はさっきまでの険しい顔つきが嘘のように頬を染めている。


「な、なんだいあんた……? うちの客かい……? あ、あんたみたいな、お、お、男前、うちにいたかね……?」


 おくれ毛をそそくさと耳にかけ、大きく開いていたブラウスの胸元を直す仕草。不機嫌な宿屋の主から、若い村娘みたいな照れ笑いへ。変わり身の早さはうちのサキュバス並み。

 

「ははは、サッパリしただろ? 俺だよ、怪しいよそ者二人組の片割れ。泊めてくれた礼をちゃんと言いたくてさ。いま時間いい?」

 

「……!? な、な、なんだ、そ、そうだったのかい……? こりゃまあ……ずいぶん雰囲気が変わって……。 礼なんていいんだ、困ったときは助け合わないとね……! お、お連れさまの調子はどうだい? 手伝えることがあるなら何でも言っとくれよ」


「おかみさん、本当に親切な人だな……。ありがとう、あんたみたいな人がいてくれると助かるよ」


 甘えるように声をやわらげ、肘をついてカウンターにもたれかかる。さり気なく間合いを奪ったあと、荒れて節くれだった手の甲に自分の手を重ねた。

 

「ああ……っ、なんだい、おかみさんだなんて水臭い……! 私とあんたの仲だろう、ベルジェと呼んどくれ……!」

 

「ベルジェ? へえ、力強くて聡明で、あんたにぴったりの美しい名だ……じゃあ、遠慮なくそう呼ばせてもらうよ。俺はネイト、よろしくな」

 

「ネイト……」


 うっとりと名を呟きながら見上げてくるベルジェへ身を乗り出し、体の影で彼女を覆う。囁き声がぎりぎり届く距離まで、さらに顔を近付ける。

 

「それでな、ベルジェ。実は困ってることがあってさ。森で荷物をいろいろ無くしちまって、俺もツレも着替えが足りてねえんだよな。ほら、いつまでもこうして裸でうろついてるわけにもいかないだろ? なにか融通してくれると助か――」

 

「なんだいそんな事! いいものがあるよ! 来な!」


「!?」


 言い終わるよりも早くがっしりと腕を組まれ、受付の奥の部屋へと引っ張り込まれた。使い古された大きめのベッドや壁にかけられた色あせた家族の肖像を見るに、夫婦の私室らしい。隅には金具のついたトランクが置かれていて、埃まみれの蓋を開けると中から色とりどりの布が覗く。腕まくりをしたベルジェが中をかき混ぜながら次から次へと服をベッドの上に広げていった。……なんだ、良かった。てっきり問答無用で押し倒されて、ヘビー級の中年の情熱に骨盤を折られることになるかと冷や冷やしたぜ。ズボンのポケットに突っ込んでいた右手の力を抜き、握りしめていたナイフの柄を放した。

 

「こっちは旦那が若い頃の服さね。もう入らないくせに未練たらしくこんなにしまい込んでるんだよ。息子たちにはサイズが合わなくてね。あんたに着てもらえるなら宝の持ち腐れにならずに済む。どれでも好きなもん持って行ってくれていいよ!」

 

「助かるよベルジェ。そっちは? ずいぶん華やかだな?」

 

「これは私がまだ独り身だった頃に仕立てさせた服さ、手織りと草木染めで有名なジャラ村の職人のものだよ」


 襟ぐりが大胆に開いたワンピース型のチュニック、細やかな金糸の刺繍が走るコルセット、繊細に編み込まれた細帯、どれも派手さこそないが、ひとつひとつ丁寧な手仕事で作られた品だった。その中の特に華奢なコルセットを一枚つまみ上げてベルジェに重ねるようにかざす。

 

「これを締めてたのか? セクシーだな、ずいぶん男を泣かせてきただろ? 隅に置けないなぁベルジェ」


 もちろん、今の彼女が着れば生地が悲鳴を上げて弾け飛ぶだろうことには触れない。紳士の沈黙。時の流れは残酷。俺にも慈悲の心くらいある。

 

「やだよぉ、もう……! ほら、好きに選んでおくれ、私はお茶とお菓子を用意してくるからね」

 

「悪いな、ありがとう」


 機嫌よく鼻歌まで歌いながら炊事場へと消えていくベルジェの背中を見送り、改めてベッドの上の服に視線を落とした。

 

「お茶とお菓子ねえ……」

 

 いつのまにか退屈なお茶会に付き合わされることが確定している。まあいいか。面食いなサキュバスの証言だけじゃ心もとなかった、使える顔と身体の性能テストは合格点。話相手をしてやる駄賃代わりに遠慮なく高そうな服から頂いていくとしよう。



 ***


 

「俺だ。開けろ、サラヴェリーナ。手が塞がってる」


 ブーツの爪先で扉を小突きながら、腕の中の戦利品がくずれ落ちそうになるのを顎で支える。ベルジェからせしめた一抱えぶんの服の束のほかに、帰りぎわ持たされた採れたての野菜やら手作りの焼き菓子やらが危なっかしいバランスで乗っかっている。


「……どこに行ってたのよ」


 すぐに扉は開いたが、出迎えたサラヴェリーナは露骨に不貞腐れている様子だった。土埃で汚れていた肌や髪はしっとりと潤い、すべらかな光沢を帯びている。言われた通り素直に風呂に入り、隅々まで身を清め、さあいつでもどうぞと胸をときめかせながら待っていたら数時間に及ぶ放置。……そりゃあ、拗ねもするわな。着替えるものがなく部屋の中でもあの薄汚い外套を着込んでいるのが、その下で燻る熱を想像させて妙に生々しい。


「ベルジェ……ここの女主人のとこ。ほら、土産だ。たんまり貰ってきたぜ。これで少しは人間らしい格好できるだろ」


「……貰ってきた? こんなに?」


 テーブルの上に荷物の山を降ろすと、サラヴェリーナは半信半疑といった具合に目を細めた。それを横目に、ベッドに腰を下ろしひとつ息を吐く。

 

「正確には愛嬌と話術と筋肉で支払い済み。あの女、どこそこの職人に作らせたとか自慢してたぞ。元はここらの領主の屋敷仕えだったとかで村の中じゃ結構いい身分らしいわ。向かいの酒場は旦那の店、酒と喧嘩好きの穀潰しの息子が三人。あとは何だったかな、パン屋のガキは誰の子か怪しいだとか、三軒隣の後妻に入った女は性格が悪いだとか……。ああ、広場の木には近づくなとも言ってたな。村の守り神みたいなもんで、不敬を働くと災いが訪れるんだと。田舎にありがちな時代遅れの迷信オールド・ワイヴズ・テイルだろ」

 

「ふうん」

 

 会話に乗ってくる気配なし。こいつは怒ると騒ぎ立てるタイプかと思っていたが、実際は静かにキレるタイプなのかもしれない。面倒だな。こういう空気のとき、下手(したて)に出ると機嫌がなおる女もいれば余計に気分を害す女もいる。とりあえず、お前のことを忘れていたわけじゃないと伝えておくのが懸命。


「それ、ほとんどお前のために見繕ったんだ。試してみろよサラヴェリーナ。服のほかに目を隠せそうなヴェールとか、首に巻けそうなショールにスカーフもある。銀貨四枚分の元は取れてると思うぜ。笑顔のひとつでも見せてくれりゃ、疲れも帳消しになるんだけどな」


「……そう、ありがとう。でも今はいいわ」


 服の山にはもう一瞥もくれず、サラヴェリーナがこっちへ歩いてくる。ベッドに座る俺の目の前に立つ。無表情で見下ろしてくる紫の瞳が、据わっている。――ああこれは、怒りじゃなく強烈な乾き。獲物を前にした動物の目だ。気付いたときにはもう遅い。留め具が外され、外套が白い肩をすべり落ちた。


「おい……」


 伸びてきた両腕に肩を押される。大した力じゃねえ。抵抗すりゃ、赤子の手をひねるより簡単に払いのけられる。そうできないのは、一糸纏わぬこの女の体が単純に美しいから。目を離すのが惜しいから。ベッドに倒れ込むと同時にしなやかな身体が腰の上に跨ってくる。


「……これがサキュバスの捕食スタイル? 刺激的だな」

 

「黙って」


 高圧的な声、空腹と苛立ちで輝く瞳。胸を抑えつけられ有無を言わさず唇を重ねられた。柔らかなブロンドがさらさらと顔を撫でる感触がこそばゆい。薄く開きはじめた隙間に促され、舌を差し込んで応える。容赦なく流し込まれる欲の熱さに対して俺はと言えば、ワインのテイスティングでもしている気分。感触と味、息を継ぐタイミングに漏れる声、二百六十年物の味わいはなかなか奥深い。蜂蜜と熟れたアプリコットを煮詰めたような舌に絡みつくねっとりした極甘口。官能的で背徳的、手間と時間をかけて作られた極上の貴腐ワイン(ソーテルヌ)。そんな感じ。


 名残惜しそうに、物足りなさそうに、サラヴェリーナの唇が離れていく。細く光る糸をぬぐった指が筋肉の隆起を楽しむ手つきで腹を這う。徐々に徐々に、下へ下へ。


「なんのつもりか知らないけど、逃げ回るのはやめなさい。()()の時間よ」

 


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ