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第1話 ジャンキー


 降りしきる豪雨が白くけぶりながら容赦なく肌を叩く。まるで天が破かれたかのようだ、なんて詩的な形容を思い浮かべる自分と、それどころじゃねえんだよと吐き捨てる自分。どれほど追い詰められていても余計なことを考えてしまうのは教養があるせいだろうか。それとも、心がパンクしないための逃げ道を無意識に作りだしているのか。

 

「――けて! だれ――たす――!」

 

 轟々と響き渡る雨音が数メートル先を走る女の声を掻き消す。髪を振り乱し必死に助けを呼ぶ哀れな姿が、ときおり光る稲妻に浮かび上がった。ヒールはとうに脱ぎ捨てている、足裏はズタズタに傷ついているはずだ。そのまま転んで骨の一つでも折ってくれればいいのに。願いも虚しく、女は賞金争いで過熱するニューヨークシティマラソン最終盤のような走りを見せる。――逃げるために。誰から? もちろん、俺から。

 

「はぁっ……はぁっ……!」

 

 溺れそうなほどずぶ濡れなのに、喉も肺も焼け付きそうだ。はじめての殺しのときですらこんな醜態は晒さなかった。完璧な計画のはずだった、繰り返しに繰り返してきた手順だった、いつも通りふさわしい獲物を選定した、行動パターンを調べあげた、油断させて拉致した、おあつらえ向きの場所までトランクの中で眠っているはずだった。だが、この薬物中毒女(ジャンキー)…… ここまでクスリの耐性がイカれていたとは。身長、体重、おおよその薬物乱用歴、すべて計算して打った俺の芸術品(アート)と呼ぶべき特製カクテルの酩酊から、やすやすと目覚めてしまった。

 

「はぁっ、……っくそ!」

 

 火事場の馬鹿力を見せてはいるが、女との距離は確実に縮まっている。あともう少し、ほんの少しで手が届く。多少計画は狂った。だが、リカバリーできないほどじゃない。こんなことくらいで俺は諦めない。指先が女の髪の毛にかすった瞬間、カーブの向こうから(まばゆ)い二つの光が現れた。州間高速道路へと続くこの道ではありふれた存在、真夜中だろうがお構いなく湧いてくる――巨大な18輪トラックエイティーン・ウィーラー。エンジンの咆哮と共に、豪快に水飛沫をまき散らしこちらへ向かって来る。

 

「――ッ!! た、助けて!! こっちよーー!!」

 

「!」

 

 希望がさらなる力を与えたのか、単純に打ったクスリでキマッているのか、女が狂ったように叫びながら両腕を振り回しはじめる。壊れたマリオネットみたいに不気味な姿だが人目を引くには効果的だ。ドライブレコーダーに目撃者、この雨のなかで新たな面倒ごとが増える。冗談じゃねえよ。歯を食いしばり、衝動的に地面を強く蹴った。

 

「助け――あっ……!」

 

 力任せに飛びかかり、ガリガリに痩せた背中を引き倒す。もつれ合いながらガードレールの外へ飛び出し、泥にまみれた急な斜面を転がり落ちる。ぬかるんだ土くれと硬い岩の感触。浮遊感と激しい衝撃が交互に襲ってくるなかで、女の体を離さないように強く爪を立てる。身体のあちこちを打ちつけ削られ、鼻の奥で鉄臭い血の匂いが広がった。

 

「ぐっ! ……うぅっ」

 

 泥濘でいねいの中にうつ伏せに叩きつけられ、肺から無理やり空気が押し出される。反射的に酸素を求めて息を吸い込むと、鼻と口に泥水がなだれこんできた。激しく咳き込みながらもなんとか腕に力を込めて水たまりから顔を上げる。まだ息のある女が呻きながら這いずっていた。なんてしぶとさだ。生命力が強いのか、悪運が強いのか、どちらにせよ忌々しい。震える手を伸ばして女の足首を捕え、引きずり戻しながら馬乗りになる。すぐそばにあった拳大の石を握りしめた。原始的、だが締め上げる力も残っていない今の俺にはこれしかない。



***



「はっ、はぁ、はー、はっ」


 ぴくりとも動かなくなった姿を確認して石を放り投げる。荒い息を繰り返すたびに刺すような痛みが肺に走った。こんな状態でも殺しの昂揚は俺の体の隅々にまで悦びをもたらした。指先の感覚もおぼつかないほど冷え切った体に、脇腹から溢れ続ける血の温かさだけが生々しい。終わりだ。体が、それをわかっている。よかった、最期の殺しをちゃんと愉しめた。まあ、悪くはない結末だ。人が羨むものをほとんど持って産まれてきた、そんな人生もこんな泥水の中で終わる。あまりに教訓めいていて笑えさえするな。視界が明滅し、吸い寄せられるように再び泥水の中に倒れ込む。思い浮かぶのは母さんと父さんの顔。


「……ごめ、ん……」

 

 俺は最期まで、善良なあの人たちにふさわしい息子にはなれなかった。たった一人の息子を誇らせてやりたかった。どうあがいても無理だと知っているけれど、心残りがあるとすればそれだけ。雨音が遠くなり、意識は急速に闇の中。






 

 

 これが、俺が知る「俺」の、最後の記憶だな。

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