第八話 鈴が告げるもの
ゆっくりと、風に押し流されるように、白い煙が晴れていく。
その向こう──倒れ伏した茂吉の姿が、はっきりと宵乃の目に映った。
(……早く、助けなきゃ)
宵乃の胸の内に、鈍く重たいものが沈んでいく。
(私のせいだ……私の都合で、こんな戦いに巻き込んで)
焦りを噛み殺すように、唇をきつく噛みしめた。
──そのときだった。
ふっと、森の空気が変わる。今まであれほど刺すように漂っていた殺気が、まるで何かに吸い込まれるように──跡形もなく消えていった。
(……殺気が消えた? でも、どうして……)
「日野介……」
宵乃が思わず名を呼ぶと、彼の声が返ってきた。
「殺気が……消えたな」
日野介は気を張ったまま、周囲を見渡している。
(理由はわからない。でも、今しかない!)
宵乃は息を整え、手を組むようにして小さく祈り、結界の光を静かに収束させた。結界が消えた。すぐに駆け出す。目指すは、茂吉のもと。
その身体には、まだ息がある──だが、背中には深く灼けた手裏剣が突き刺さったままだ。周囲の土が、赤く染まっていた。
(出血がひどい……)
宵乃はすぐに膝をつき、両手を傷口の上にかざす。完全な治癒はできない。だが、宵乃の力でも、血を止めることはできる。
掌に気を練ると、淡く白い光がじわりと茂吉の背の傷の周りに集まる。傷は深い。宵乃は掌に力を込めた。
そして、宵乃は手裏剣をゆっくりと抜いた。
(よし、血は止まった……)
──そのとき。
カラ、カララ……
また、宵乃の腰の鈴が、小さく震えた。
妖や邪を感じ取る、結界師の証──それが今、確かに鳴っている。
さっきまでは鳴らなかった。つまり、忍びたちは“妖”ではない。だからこそ、鈴は沈黙していたはず。
けれど今──確かに、震えている。
(まだ、いる。この森に……)
忍びとはまったく違う、もっと深く、もっと古い気配。
まるで、森そのものが、何かを目覚めさせようとしているような──そんな、底冷えするようなざわめき。
◆
日野介は剣を構えたまま、林の中に視線を走らせる。宵乃が茂吉を治療している。二人とも隙だらけだ。俺が守らないと……。
木々の影。その間を、黒い影が1つすっと横切った。
──見えた。
(もし相手が一人なら──倒せる)
日野介は踏み出した。林へと、草を踏み、枝を避ける。素早く移動する──木立の先に、黒装束の影が立っていた。
日野介の気配に気づいたのか、黒装束の影は振り返った。頭巾から目だけが見える。その目が少し笑った。
「我々の役目は終わった」
その言葉だけを残し、男は日野介の足元に何かを叩きつけた。
──ボンッ!
白い煙が一気に広がり、視界が塞がれる。
「くっ……!」
煙が晴れたとき、──男の姿は、もうなかった。
嫌な予感が胸をよぎった。何かしらの罠だろうか。日野介はすぐに引き返す。木々の間を抜け、宵乃のもとへ。
「宵乃!無事か!?」
宵乃が膝をつき、倒れた茂吉の背に両手を添えていた。
「大丈夫。息はある。だけど……深い傷。放っておけば危ない」
宵乃の手が、茂吉の背の傷に、青白い光を灯していた。
「これは、”癒しの結界”。でも、長くはもたない……早く、どこか安全な場所に……」
日野介はうなずいた。
◆
──そのとき。
土の下から、何かが……響いている。地の底から──何かが蠢く音がした。地鳴りのような、それでいて低く唸るような。山そのものが呼吸しているような、底知れぬ気配が、地の底から染み出してくる。
「……何?」
宵乃の声がかすれる。
鈴の音がどんどん強く鳴っている。
(妖……いや、違う。邪でもない。これは……)
次の瞬間、地面が揺れた。
ぬゥ……と地の底から、黒い腕のようなものが、地面を割って現れた。
岩と土が砕け、木々がなぎ倒されていく。
亀裂の走った地面の奥から、ずず……という音とともに、巨大な“何か”が浮かび上がる。土と岩が混ざり合ったような肌。ところどころが焼け、燻るような赤い光を放っている。
人の形でも、獣の形でもない。この山に潜み、長く封印されていた”何か”──
〈タカノメノカミ〉
その名を──宵乃は知っていた。
幼い頃から母と祖母に繰り返し教えられた、決して口にしてはならない“名”。山の神の名。
山の神に手を触れることは、古くからの禁忌。怒らせれば、何が起こるか誰にも分からない。
「……封印が、解けた……」
宵乃の唇がわななき、震える声が漏れた。
「……私じゃ……あれは、封じられない……」
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
今回は、忍びとの戦いの続き、そして”山の神”の登場の話でした。
宵乃の力を超える存在に、どう立ち向かうか?
次の話も、乞うご期待!!
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