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第五十一話 治癒の術、妖狐の意地

 内裏の外──南西角の塀沿い。


 邪悪な気を帯びた結界に覆われた牛車は、白い仮面の男たちを乗せ、宵乃たちから遠ざかっていった。だが、宵乃たち三人にそれを追う余力は、もはや残されていなかった。


 妖狐カナギは、力を使い果たし、元の小さな白狐の姿に戻っていた。耳をしおらしく伏せ、尾も力なく地面に垂れている。妖気はすっかり薄れ、ただの小動物のように弱々しい。


 日野介は肩で息をしている。肩と脇腹に受けた傷口から、まだ血が滲み出ている。頬に傷を持つ男との激しい戦闘で体力は限界を超え、顔色からは血の気が失われていた。


 そして、宵乃は、さらに疲労の度合いが深かった。結界守として昨夜から絶え間なく力を使い続けてきたため、気力は尽きかけている。視界はぼやけていたが、それでも宵乃の視線は、北へ向かう牛車に向かられていた。

                                                                                                                                       

 三人の前には、絶望的なほどに静かな通りが横たわっていた。風が、虚ろに頬を撫でて通り過ぎた。


「牛車の……結界が……」


 宵乃は苦しげに呟いた。結界修復師の目で見るまでもなく、あの結界は異様だった。重い封印と濃密な妖気に加え、得体の知れない呪力が波のように折り重なり、見る者を威圧していた。


「……情けないが、妖力が枯れた」


 カナギが低く呻く。尾を動かそうと試みるが、わずかに震えるだけで力なく地に垂れた。


「でも、あの牛車を追わないと……。誰かが捕らわれてる……!」


 宵乃は唇を噛み、地を睨んだ。だが、追いかけようにも宵乃には駆け出す力が残っていない。


 日野介が息を詰まらせる。


(まさか……帝が?)


 可能性が脳裏をよぎる。しかし、それを口にすることすら躊躇われた。日野介は、うつむいて口を閉ざした。


 沈黙の中、ふとカナギが顔を上げた。


「犬飼はどうなった?」


 三人は同時に、牛車が消え去った方角とは逆側──南の方向を見た。そこには、大柄の犬飼が立ち、その前に茂吉が膝をついている。捕らえられた茂吉は、影の中に溶けたように力なく項垂れていた。


「茂吉を捕らえたようだな」


 日野介が呟いた。


「あの老忍び、やはりただ者ではない……」


 カナギが低く評した。


「犬飼と合流して、次の手を考えなければ……」


 そのとき──。


 南の方角から微かな振動が伝わってきた。次第に地を揺らす重い音へと変わる。地面を叩く馬の蹄の音だった。


 日野介が鋭く塀の先を指さした。


「……照雅たちか!」


 その言葉に、宵乃の胸がざわめく。


(急がないと……)


 牛車に関する情報を、今すぐ照雅に伝えなければならない。


 逃げ去った牛車には、恐ろしい結界が張られていた。中にいたのは誰なのか?そのすべてが、手遅れになる前に……。


 宵乃は唇を引き結び、迫る振動の方角を見つめた。


 塀の向こうから現れたのは、赤い幟を掲げた三十騎を超える騎馬兵たち。甲冑に身を固め、手には槍と弓。


 先頭を駆けるのは髭をたくわえた大柄の男──千空道継だった。何故か、そこに千空照雅の姿はない!騎馬兵たちは、怒涛のように押し寄せ、あっという間に犬飼と茂吉を包囲した。


 道継と犬飼が、短く何かを言葉を交わしていた。距離があるため内容は聞き取れなかったが、ふたりの間には緊張が走っていた。


 そして、次の瞬間──。


 兵たちが、迷いの一片も見せずに動いた。弓を引き絞り、四方から槍を構える。標的は明白だった。宵乃たちも、てっきりその先が向けられているのは、裏切り者・茂吉だと信じて疑わなかった。


 だが──矢が放たれたのは、犬飼の胸だった。


 矢が、老忍の身体をいくつも貫いた。続けざまに槍の穂先が押し寄せ、その巨体を容赦なく突き刺す。


「……うそ……っ」


 宵乃は言葉を失い、ただ呆然とその光景を見つめていた。犬飼は抗う間もなく、地に沈んだ。


「……裏切りか」


 カナギが低く唸った。


「あいつは、照雅の側にいた男だ……!」


 日野介が声を上げる。


(……照雅殿は……無事なの……?)


 宵乃の胸の奥に、最悪の想像がじわりと広がる。


 そのとき、道継の視線が鋭く宵乃たちを捉えた。彼が無造作に片手を上げると、騎馬兵たちは整然と隊列を整え、馬の頭をこちらに向けた。


 「……来る!」


 日野介が身構えた。


「逃げても無駄ね……馬では追いつかれる」


 宵乃の声には、静かな覚悟が込められていた。


「……やるしかないな」


 カナギが小さく瞳を閉じた。


 騎馬隊が一斉に迫る。蹄の音が雷鳴のように響き、大地が震える。


「日野介、カナギ──目を閉じて」


 宵乃は胸の前で両手を組んだ。


えよ、命のほころび。織り直せ、肉と血のことわり──」


 その掌から淡い光が溢れ出す。月光のような光が宵乃の周りに穏やかに広がり、日野介とカナギを包み込んだ。血が止まり、傷口が閉じていく。光が二人の体の中へと入っていく。


「……力が戻った」


 カナギがゆっくりと立ち上がった。


「宵乃、ありがとう。ここからは俺たちがやる」


 力を使い果たした宵乃はその場に倒れ込みそうになったが、日野介は宵乃を優しく抱き止めた。


 土煙を巻き上げながら騎馬隊が迫る。騎馬兵たちはあっという間に三人を取り囲んだ。


 馬上の道継が低く重い声で言った。


「日野介……その女を渡せ」


 その言葉に応じるように、カナギの身体が再び白い光を帯びる。小狐の姿が膨張し、巨大な妖狐へと変じた。青い瞳が鋭く燃え、白銀の毛並みが風になびく。


 だが道継の表情には一片の動揺もない。不敵な笑みさえ浮かべている。


「妖狐の姿か。だが無駄だ」


 道継は馬上で低く全兵に命じた。


黒變こくへんの矢を放て!」


 兵士たちは矢籠から特殊な矢を取り出す。矢尻は黒く煤け、陰の気が漂っている。数十本の矢が一斉にカナギに向けて放たれた。空気を切り裂き、矢が迫る。


 カナギは体の周囲に妖気をまとわせ、矢を弾こうとした。だが、その黒く光る矢はカナギの妖気を易々とすり抜けた。


「しまった──!」


 カナギは咄嗟に体をひねり避けようとしたが、一本の矢がその顔面をかすめた。カナギの頬に深い傷が刻まれる。赤い血が白銀の毛を染めた。


「もう一度矢を放て!」


 道継が命令する。だが、そのとき、カナギの目が赤く点滅した。


「なっ……?」


 先頭の兵士が驚きの声を上げると、その馬がぐらりと体勢を崩した。さらに、次々に馬たちが倒れていった。騎馬兵は悲鳴を上げ混乱した。


「貴様ら人間に、俺の力を見くびられてたまるか」


 カナギが吼える。


「馬の目を守れ!」


 道継が怒鳴るが遅かった。カナギの目を見た馬たちが次々と眠りに落ちた。


「クソ狐め……!」


 道継が罵ったその瞬間、カナギは後ろ足で地を強く蹴り、尻尾を大きく振り回した。巻き上がった砂埃が辺り一面を覆い尽くし、兵士たちの視界を完全に奪った。


「日野介、乗れ!」


 カナギの叫びに、日野介は宵乃を抱え、妖狐の背に飛び乗った。


「行くぞ!」


 妖狐カナギは大きく地を蹴り、包囲を一気に飛び越え、北へ向かって疾風のように駆け抜けた。


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