第五話 曇り空の城下町
城下町は、まるで別の顔をしていた。
つい十日前に訪れた時には、素朴で穏やかな田舎町──それが、今では兵士の掛け声と馬のいななきが響く、戦の匂いに満ちた場所に変わっていた。
門前には荷駄が並び、鎧兜を身にまとった男たちが行き交う。宣教師らしき異国人や、荷をたくさん積んだ牛車の姿もあった。炊き出しの湯気が立ちのぼり、鉄と革のにおいが鼻を刺す。町の空気は、緊張とざわめきに満ちていた。
「……戦支度、だな」
日野介が低くつぶやく。
宵乃は、黙ってうなずいた。
この城──岩村城。
平城でありながら、しっかりとした城壁を備え、兵の動きも洗練されている。
城主は遠山時正。実際のところは、大名である嵩原家の配下にあたる。つまりは小国の領主に過ぎないのだが、戦の備えに手を抜く様子はないようだ。
彼の依頼で宵乃は山の結界を修復し、妖と化した白狼を封じ直した。今日の訪問は、その報告と、そして──“黒衣”の者について、何か手がかりをつかめないか、わずかな望みに賭けるためだった。
◆
「面会は私ひとりで行く」
宵乃は言い残し、城門へと向かった。
だが、城の警備も固くなっている。間者の対策であろう。戦になれば、敵・味方の間者が増える。城門には二人の門番が立ちはだかり、いくら事情を説明しても門前払いを繰り返す。
「……依頼を果たし、その報告に来ただけです」
「ならば、その証を見せよ」
宵乃は、母の形見にして、結界師としての印でもある大事な鈴を取り出した────見る者が見れば、それが“ただの鈴”ではないことがわかるはずだ。
「……これを、わかる方に見せてください」
門番の一人は手荒に鈴を受け取って、城の中へと消えていった。
しかし、一刻──待っても、返答はない。
(……お腹すいたな)
ぼんやりそんなことを考えていたとき、見覚えのある武士が馬で現れた。立花宗兵衛。前回の訪問時、城内で顔を合わせた男だ。長身に肩衣袴、まだ若いが、威厳がある。馬から降りて丁重に頭を下げた。
「宵乃殿……お待たせしました。無礼があったこと、深くお詫びいたします。殿がお待ちです。」
彼は宵乃に鈴を優しく返した。
◆
岩村城・大広間。
畳の間に、宵乃は正座していた。正面、一段高くなった畳に座っているのが、遠山時正。恰幅のある体に重みのある声。だが、眼光には威圧よりも理があった。長年の戦と政の場数が刻んだ皺が、その顔に深みを与えていた。
傍らには家老や側近たち。立花も控えている。
「……よくぞ戻った。宵乃よ。結界の件、聞き及んでいる」
宵乃は、深く頭を下げる。
「白狼の封印が破られ、妖狼と化しておりました。しかし──再び、封じました」
「そうか……あの、白狼が。無事で何よりだ」
遠山は頷き、続けた。
「妖狼が完全に目覚めていれば、あの村だけでは済まなかった。この地全体が災いに沈んでいたであろう」
「……ですが、救えぬ命もありました」
宵乃は、静かにそう返した。
「ゆえにこそ、大義であった。その命を、無駄にはせぬ」
やがて、立花が前へ進み、木箱を差し出す。中には、布に包まれた金子と、旅の許可を記した通行手形。
「報酬だ。戦の影が広がっておる、これからは旅芸人の手形だけでは通れぬこともあるだろう」
「……ありがとうございます」
宵乃は、深く頭を下げた。宵乃の事情まで汲んでくれていることに頭が下がる。
遠山が少し身を乗り出す。
「さて、宵乃よ。他に、わしに頼みたいことはあるか?」
戦の準備で忙しい最中にも遠山は時間をとってくれている。早く退出するのが礼だ。しかし、宵乃は自分の中の衝動を抑えられなかった。ずっと探し求めていた、家族を皆殺しにした敵の情報。
宵乃の声が、ゆっくりと空気を切った。
「“黒衣の者”──その名を耳にされたことは?」
一瞬、空気が張り詰めた。
「……噂は聞く。影の存在だ。正確な情報は少ない。だが……」
遠山は家臣に目配せをし、静かに告げた。
「黒衣のことならば、“飛賀の里”を訪ねるがよい。忍びの流れを汲む者たちが集う、古い里だ。あやつらは、全国に情報網を持っている」
「飛賀……」
「だが、深い山の中。あれは、地図にものらぬ場所。案内人なしではたどり着けぬ」
宵乃は真っすぐに遠山の目を見る。
「私は……黒衣を追っています。あれが、封印を破ったと信じています。放っておけば、また──何かが、目覚める」
その目の奥に宿る、熱。
遠山は、それを見ていた。
「……理屈ではないのだな」
ひとつ頷き、手を鳴らす。
──音もなく、宵乃のすぐそばに、ひとりの男が現れた。
黒装束。顔の半ばを覆い、身じろぎ一つしない。
「名は茂吉。飛賀の出身だ。そちを里まで案内させよう」
宵乃は、小さく頷いた。胸の奥で、熱がふくらんでいた。
──黒衣の手がかりが、ついに見えた。
◆
面会を終えた宵乃は、城下の雑踏を抜け、川沿いの静かな路地に出た。すると──柳の木の下、見覚えのある姿があった。
「……それ……」
宵乃の声が低くなった。
「な、なんで……焼き芋食べてるの……?」
日野介は驚いたように振り返り、口をもごもごさせた。
「いや、通りかかったら、匂いがして……つい……」
「……わたしの分は?」
宵乃が日野介を睨みつける。
「あの……、その……」
「私、焼き芋が好きって言ったよね!?しかも、今日みたいに寒い日に食べるのが……最高なのに!!」
「えっ、いや、聞いていないような……」
「だまれっ!!」
琥珀色の瞳が、真っ直ぐ怒っていた。
「もういい!焼き芋屋どこ??自分で買うからっ」
宵乃はぷいと背を向け、早足で屋台を探しに行った。
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日野介は、歩き去る宵乃の背中を見送りながら、心の中でぽつりと呟いた。
(……焼き芋になると人が変わるんだな、あいつ)
その時だった。不意に、背後に「気配」が落ちた。
日野介は即座に反応し、わずかに身を沈めながら距離をとる。指は自然と、腰の刀の柄にかかっていた。
振り返ると、そこには一人の男が立っていた。
身軽な旅人装束。だが、その男は明らかに“旅人には見えなかった”。
年の頃は四十前後。気配をまるで感じさせないその佇まいは、そこに“現れた”のではなく、初めから“いた”かのようだった。隙がない。
「……誰だ」
日野介は低く警戒を込めた声を発する。だが男は、何も答えない。
視線が交差する。
数拍の沈黙。
空気が、わずかに緊張をはらんだ。
──その張り詰めた空気を破るように、軽やかな足音が近づいてくる。
「日野介!」
焼き芋の入った藁の袋を体に抱え、宵乃が戻ってきた。
「その人は仲間。……忍びの者」
(でも、いつの間に着替えたのだろう)
日野介は警戒を解かぬまま、もう一度男を見た。
「茂吉と申す」
男は低く名乗り、すっと手を差し出す。
日野介は一瞬ためらい、やがてその手を握り返した。
「……日野介だ」
静かに、男同士の握手が交わされた。
宵乃は袋から芋を取り出し、ひと口かじって満足げに笑った。少し緊張が緩んだ。
宵乃は、茂吉が案内役としてつくこと、そして──“黒衣の者”の手がかりが、”飛賀の里”で得られるかもしれないことを、日野介に伝えた。
日野介は、ひとつ頷いた。
「……ずいぶん遠回りになりそうだな」
「そうだね。でも、必要な寄り道だと思う」
二人の間に、ひとときの沈黙。
気づけば、白髭の老人が宵乃のすぐ背後にいた。どこから現れたのか、誰も見ていない。
◆
村を出るとき、
カラン──。
宵乃の腰の鈴が、小さく震えたような気がした。風はない。人もまばらな街路だった。
宵乃の表情が、すっと変わる。鋭い目つきで周囲を見回す。
通りの向こう──視線の先、そこに“誰か”がいた。
仮面だった。
人の顔とは思えぬほどに、白く、冷たい。
一瞬──視線が合った。
(……あれは──)
だが、次の瞬間には、もう誰もいなかった。
「……どうした?」
日野介が宵乃の異変を察してたずねる。
「……なんでもない。ただの……気のせい」
宵乃はかすかに目を細め、首を横に振る。
(多分、勘違い。私、気がせいているんだわ)
ようやく掴んだ、手がかり──宵乃の故郷を壊滅させた者。そして、この先にある“なにか”。
風が冷たい。
だが、宵乃の胸にはひとつの炎が灯っていた。
焼き芋の温もりを手に、宵乃達は──飛賀の里を目指して、歩き出した。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
今回は”黒衣の者”に関する手がかりを中心に描いてみました。
少しでも楽しんでいただけたなら、とても嬉しいです。
物語も少しずつ動き始めてきました。
この先、登場人物たちがどう変化していくのか──私自身も一緒に旅しているような気持ちです。
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次回は、飛賀の里までの旅路の予定です。
どうぞ、引き続きよろしくお願いいたします!




