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第五話 曇り空の城下町

城下町は、まるで別の顔をしていた。


つい十日前に訪れた時には、素朴で穏やかな田舎町──それが、今では兵士の掛け声と馬のいななきが響く、戦の匂いに満ちた場所に変わっていた。


門前には荷駄が並び、鎧兜を身にまとった男たちが行き交う。宣教師らしき異国人や、荷をたくさん積んだ牛車の姿もあった。炊き出しの湯気が立ちのぼり、鉄と革のにおいが鼻を刺す。町の空気は、緊張とざわめきに満ちていた。


「……戦支度、だな」


日野介(ひのすけ)が低くつぶやく。


宵乃(よいの)は、黙ってうなずいた。


この城──岩村城(いわむらじょう)

平城でありながら、しっかりとした城壁を備え、兵の動きも洗練されている。


城主は遠山時正(とおやまときまさ)。実際のところは、大名である嵩原家(かさはらけ)の配下にあたる。つまりは小国の領主に過ぎないのだが、戦の備えに手を抜く様子はないようだ。


彼の依頼で宵乃は山の結界を修復し、妖と化した白狼を封じ直した。今日の訪問は、その報告と、そして──“黒衣(こくえ)”の者について、何か手がかりをつかめないか、わずかな望みに賭けるためだった。





「面会は私ひとりで行く」


宵乃は言い残し、城門へと向かった。


だが、城の警備も固くなっている。間者の対策であろう。戦になれば、敵・味方の間者が増える。城門には二人の門番が立ちはだかり、いくら事情を説明しても門前払いを繰り返す。


「……依頼を果たし、その報告に来ただけです」


「ならば、その証を見せよ」


宵乃は、母の形見にして、結界師としての印でもある大事な鈴を取り出した────見る者が見れば、それが“ただの鈴”ではないことがわかるはずだ。


「……これを、わかる方に見せてください」


門番の一人は手荒に鈴を受け取って、城の中へと消えていった。




しかし、一刻──待っても、返答はない。


(……お腹すいたな)


ぼんやりそんなことを考えていたとき、見覚えのある武士が馬で現れた。立花宗兵衛(たちばなそうべえ)。前回の訪問時、城内で顔を合わせた男だ。長身に肩衣袴、まだ若いが、威厳がある。馬から降りて丁重に頭を下げた。


「宵乃殿……お待たせしました。無礼があったこと、深くお詫びいたします。殿がお待ちです。」


彼は宵乃に鈴を優しく返した。





岩村城・大広間。


畳の間に、宵乃は正座していた。正面、一段高くなった畳に座っているのが、遠山時正(とおやまときまさ)。恰幅のある体に重みのある声。だが、眼光には威圧よりも理があった。長年の戦と政の場数が刻んだ皺が、その顔に深みを与えていた。


傍らには家老や側近たち。立花も控えている。


「……よくぞ戻った。宵乃よ。結界の件、聞き及んでいる」


宵乃は、深く頭を下げる。


「白狼の封印が破られ、妖狼と化しておりました。しかし──再び、封じました」


「そうか……あの、白狼が。無事で何よりだ」


遠山は頷き、続けた。


「妖狼が完全に目覚めていれば、あの村だけでは済まなかった。この地全体が災いに沈んでいたであろう」


「……ですが、救えぬ命もありました」


宵乃は、静かにそう返した。


「ゆえにこそ、大義であった。その命を、無駄にはせぬ」


やがて、立花が前へ進み、木箱を差し出す。中には、布に包まれた金子と、旅の許可を記した通行手形。


「報酬だ。戦の影が広がっておる、これからは旅芸人の手形だけでは通れぬこともあるだろう」


「……ありがとうございます」


宵乃は、深く頭を下げた。宵乃の事情まで汲んでくれていることに頭が下がる。


遠山が少し身を乗り出す。


「さて、宵乃よ。他に、わしに頼みたいことはあるか?」


戦の準備で忙しい最中にも遠山は時間をとってくれている。早く退出するのが礼だ。しかし、宵乃は自分の中の衝動を抑えられなかった。ずっと探し求めていた、家族を皆殺しにした敵の情報。


宵乃の声が、ゆっくりと空気を切った。


「“黒衣(こくえ)の者”──その名を耳にされたことは?」


一瞬、空気が張り詰めた。


「……噂は聞く。影の存在だ。正確な情報は少ない。だが……」


遠山は家臣に目配せをし、静かに告げた。


「黒衣のことならば、“飛賀ひがの里”を訪ねるがよい。忍びの流れを汲む者たちが集う、古い里だ。あやつらは、全国に情報網を持っている」


「飛賀……」


「だが、深い山の中。あれは、地図にものらぬ場所。案内人なしではたどり着けぬ」


宵乃は真っすぐに遠山の目を見る。


「私は……黒衣を追っています。あれが、封印を破ったと信じています。放っておけば、また──何かが、目覚める」


その目の奥に宿る、熱。


遠山は、それを見ていた。


「……理屈ではないのだな」


ひとつ頷き、手を鳴らす。


──音もなく、宵乃のすぐそばに、ひとりの男が現れた。


黒装束。顔の半ばを覆い、身じろぎ一つしない。


「名は茂吉(もきち)。飛賀の出身だ。そちを里まで案内させよう」


宵乃は、小さく頷いた。胸の奥で、熱がふくらんでいた。


──黒衣の手がかりが、ついに見えた。





面会を終えた宵乃は、城下の雑踏を抜け、川沿いの静かな路地に出た。すると──柳の木の下、見覚えのある姿があった。


「……それ……」


宵乃の声が低くなった。


「な、なんで……焼き芋食べてるの……?」


日野介は驚いたように振り返り、口をもごもごさせた。


「いや、通りかかったら、匂いがして……つい……」


「……わたしの分は?」


宵乃が日野介を睨みつける。


「あの……、その……」


「私、焼き芋が好きって言ったよね!?しかも、今日みたいに寒い日に食べるのが……最高なのに!!」


「えっ、いや、聞いていないような……」


「だまれっ!!」


琥珀色の瞳が、真っ直ぐ怒っていた。


「もういい!焼き芋屋どこ??自分で買うからっ」


宵乃はぷいと背を向け、早足で屋台を探しに行った。


--------


日野介は、歩き去る宵乃の背中を見送りながら、心の中でぽつりと呟いた。


(……焼き芋になると人が変わるんだな、あいつ)


その時だった。不意に、背後に「気配」が落ちた。


日野介は即座に反応し、わずかに身を沈めながら距離をとる。指は自然と、腰の刀の柄にかかっていた。


振り返ると、そこには一人の男が立っていた。


身軽な旅人装束。だが、その男は明らかに“旅人には見えなかった”。

年の頃は四十前後。気配をまるで感じさせないその佇まいは、そこに“現れた”のではなく、初めから“いた”かのようだった。隙がない。


「……誰だ」


日野介は低く警戒を込めた声を発する。だが男は、何も答えない。


視線が交差する。

数拍の沈黙。

空気が、わずかに緊張をはらんだ。


──その張り詰めた空気を破るように、軽やかな足音が近づいてくる。


「日野介!」


焼き芋の入った藁の袋を体に抱え、宵乃が戻ってきた。


「その人は仲間。……忍びの者」


(でも、いつの間に着替えたのだろう)


日野介は警戒を解かぬまま、もう一度男を見た。


「茂吉と申す」


男は低く名乗り、すっと手を差し出す。


日野介は一瞬ためらい、やがてその手を握り返した。


「……日野介だ」


静かに、男同士の握手が交わされた。


宵乃は袋から芋を取り出し、ひと口かじって満足げに笑った。少し緊張が緩んだ。


宵乃は、茂吉が案内役としてつくこと、そして──“黒衣の者”の手がかりが、”飛賀の里”で得られるかもしれないことを、日野介に伝えた。


日野介は、ひとつ頷いた。

「……ずいぶん遠回りになりそうだな」


「そうだね。でも、必要な寄り道だと思う」


二人の間に、ひとときの沈黙。


気づけば、白髭の老人が宵乃のすぐ背後にいた。どこから現れたのか、誰も見ていない。





村を出るとき、


カラン──。


宵乃の腰の鈴が、小さく震えたような気がした。風はない。人もまばらな街路だった。


宵乃の表情が、すっと変わる。鋭い目つきで周囲を見回す。


通りの向こう──視線の先、そこに“誰か”がいた。


仮面だった。

人の顔とは思えぬほどに、白く、冷たい。


一瞬──視線が合った。


(……あれは──)


だが、次の瞬間には、もう誰もいなかった。


「……どうした?」


日野介が宵乃の異変を察してたずねる。


「……なんでもない。ただの……気のせい」


宵乃はかすかに目を細め、首を横に振る。


(多分、勘違い。私、気がせいているんだわ)


ようやく掴んだ、手がかり──宵乃の故郷を壊滅させた者。そして、この先にある“なにか”。


風が冷たい。

だが、宵乃の胸にはひとつの炎が灯っていた。


焼き芋の温もりを手に、宵乃達は──飛賀の里を目指して、歩き出した。


ここまでお読みいただき、ありがとうございました!


今回は”黒衣こくえの者”に関する手がかりを中心に描いてみました。

少しでも楽しんでいただけたなら、とても嬉しいです。


物語も少しずつ動き始めてきました。

この先、登場人物たちがどう変化していくのか──私自身も一緒に旅しているような気持ちです。


✉️感想・評価・ブックマークなど、いただけると本当に励みになります!


次回は、飛賀の里までの旅路の予定です。

どうぞ、引き続きよろしくお願いいたします!

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