表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/59

第三話 封じられし白狼

木々の葉がざわめき、空気は冷たく湿っている。


山を登るにつれ、霧が濃くなっていた。そして、血の臭いと獣の臭いも。宵乃と白髭の老人は、黙ってその中を進んでいた。


やがて、霧の向こうから、かすかな呻き声が聞こえた。 人、動物、そして人ならぬ者──いくつもの“声”が重なっていた。


(……来た)


やがて霧が開け、石畳が半ば崩れた広場に出た。 祠の残骸が中央にあり、周囲には祠を守っていたであろう灯籠や結界杭が無残に倒れている。 その中心に、異形がいた。


かつて白き狼だった“何か”。


だが今は、霊性を堕とし、邪悪に染まった異形──妖狼(ようろう)


体は異様に肥大化し、皮膚はねじれ、骨が突き出ている。かつての白い毛並みは抜け落ち、禍々しい妖気が宵乃の目に見えた。


その前には、村人たちが無言で座らされている。皆、魂が抜け落ちたようにぐったりとし、ただ、食われるのを待つばかりの食物のように。


妖狼の口の端から、布切れがぶらさがっていた。──村人の着物。 喉の奥で、それが飲み込まれていくのが見えた。


「うら若き巫女よ……。

憎き乙女と同じ血のにおいがしおるわ」


妖狼から、凄まじい妖気が渦を巻きながら宵乃に向かって放たれる。


(結構、厄介……でも、これくらいなら──私が)


宵乃は、無言で簪に手を伸ばした。


髪に挿していた簪を引き抜く。

その瞬間、簪は淡く光を放ち、変化した。


細く白い木に似た杖──神紡。 それは、巫女の力を引き出す神具。


同時に、宵乃の髪がふわりと立ち上がる。 青白い光を宿したその髪は、生き物のように宙に浮かび、放たれた妖気をかき消した。


宵乃は、神紡かんつむぎを、静かに振る。


──トゥーン。


青白い光が真っ直ぐに放たれ、妖狼の体を貫いた。 何かが気化されていく音。のたうつ咆哮。


まとっていた妖気が裂け、異形の肉が剥がれ落ち、 その奥から、本来の「白狼」の姿が、わずかに垣間見えた。 さらに、宵乃の光が妖なるものを灼きつくす。


しかし、そのときだった。


妖狼の溶けかかった肉体から黒い異形の腕が伸び、一人の村の少女を掴んだ。

宵乃の光が、少女の体までを包み込みそうになる。


(……このままでは、少女まで)


宵乃は、力をわずかに緩めた。


その瞬間。 もう一本の黒い腕が、宵乃の足首を掴んだ。


「……っ」


身体が引き寄せられ、妖狼の口が大きく開く。妖気が逆巻き、宵乃を呑み込もうとする。


──そのとき。風が裂けた。


光でも術でもない。斜めに走る、一閃。


宵乃を掴んでいた妖狼の腕が、切り落とされた。腕は、炭のように崩れ落ちていく。

宵乃の体は音を立てて土の上に落ちた。


霧の中から、先ほどの若き男が現れた。

傷を負った体、まだ万全ではない。

だが刀を構え直し、妖狼に向かっていく。


「待って」


宵乃が短く言い放つ。

男は、振り下ろそうとした刀を止めた。


「なぜだ、奴はまだ動くぞ」


「もう妖の気はない。白狼に戻る。白狼はもう遠い昔に亡くなっている」


シューと音を立てて、妖狼から黒い霞が上空へと上がっていく。そして、少女の言うとおり、地面に横たわっていたのは、1本の腕が切られた白く大きな狼であった。


白狼の目が、ゆっくりと閉じられる。宵乃にはその中には、怒りと悲しみの残火が、わずかに揺れていたように思えた。


宵乃は無言で立ち上がり、神紡を簪の形へと戻す。髪が肩に落ち、光はもう消えていた。


白狼がもう動かないことを確かめて、男も刀をゆっくりと鞘におさめた。白髭の老人は、戦いの最中も一歩も動かず、ただ静かに立っていた。まるで、自らの存在を消すように、霧の中に溶け込んでいた。



宵乃に男が近づく。


「……さっきは、助けられた」


宵乃は振り返らず、静かに答える。


「この世に……未練があるまま死ぬと、祟りになる。災いを、残すから」


「そうか……」


「抜いてなかったから」


「……?」


「刀。鞘から。妖気に操られてた村人を、斬らなかった」


短い沈黙が落ちる。


「礼は言わん。助けは借りたが、借りはつくらない」


男は静かに背を向けた。


──夜が静かに訪れるころ、残された村人たちの意識が戻り始めていた。



⚫︎⚫︎⚫︎



翌朝、宵乃たちは白狼の亡骸を、山の祠跡に丁重に葬った。風の音もやさしく、ただ静かだった。


その後、宵乃は祠に結界をはり、村人と共に酒と米を供えた。しかし、山全体の結界の修復は容易ではない。神紡を地に触れさせ、古い封印の痕跡をたどる。


……空気の壁に触れると、音が聴こえた。懐かしく、心地よく、しかし物悲しい。


(確かに、この結界からは、私が生まれながらに知っている音がする。この結界の張り方は、私が教えられたものと同じ術式)


宵乃は、迷いなく、祈りのことばを紡ぎ続けた。



その夜。


村の囲炉裏端で、宵乃は村の長老の話を聞いていた。


──百年前。

ここから北に七日歩いた高き山に、神獣・白狼が棲んでいた。

その子を──力を宿す毛皮を求めた一人の狩人が殺めた。

狩人は、この村の者だったという。


「……すべては、そこから始まった」


怒り狂った白狼は、山を降り、村を襲った。

それだけでは収まらず、周囲の町々を焼き払い、この地一帯に災いをもたらした。


封じたのは「巫女」。この山に。以後、この村は結界と封印を守るために在り続けてきた。


長老はそう言い、焚火の中に目を落とす。


そして──

今回の封印の崩壊は偶然ではない。

“誰か”が、白狼を目覚めさせた。


村では密かに噂されているという。

黒衣(こくえ)(もの)”──影のように動き、災いを呼ぶ存在。


宵乃は、沈黙を守ったまま座っていた。

胸の奥に、ひとつの疑念が灯る。


──あの日、家族を喰らった者と、つながっているのではないか。


囲炉裏がパチ、と音を立てた。

風が吹き抜け、腰の鈴がひとつ、静かに鳴った。


ここまでお読みいただき、ありがとうございました!


今回は”妖狼との戦い”を中心に描いてみました。

封じられた白狼を目覚めさせたのは、黒衣の者……


少しでも楽しんでいただけたなら、とても嬉しいです。


最初の3話が終わりました。

この先、登場人物たちがどのような行動をしていくのか──私自身も一緒に旅しているような気持ちです。


✉️感想・評価・ブックマークなど、いただけると本当に励みになります!


どうぞ、引き続きよろしくお願いいたします!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ