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第二十八話 天井裏の潜行、高貴な少女

コモリは静かにアワイの遺体を地面に下ろし、黒装束の男の死体と並べた。


死体の上に、指先で香粉をまぶす。森の植物から抽出された飛賀(ひが)流の薫香──二、三日は香りが残り、水で洗っても落ちにくい。誰かが処理しようとすれば、その手に匂いが移る仕掛けだ。


敵がまだ潜んでいる可能性は否定できない。気配は感じないが、今うてる手は全てうっておく。


コモリは天井裏へ戻り、板をそっと元に戻した。

次は、情報収集。そして、外部との連絡手段の確保だ。

やるべきことはまだまだある。


コモリは梁の上を伝って、音を立てぬよう移動を始めた。

息を乱さぬよう。これまで忍びとして訓練は受けてきた。

ただ、緊張の連続でかなり疲れている。


目指すところは決めている──。唯一の手がかりは、アワイの言葉。そう、彼女が仕えていた相手、第二皇女・貴子(たかこ)。すなわち帝の娘。


アワイが消えたことが、すでに知られているのか。アワイに何を指示していたのか。それを確かめるためにも、貴子に接触する必要があった。


ヨリ様から渡された地図には、内裏の構造が大まかに記されていた。


中央から北にかけて、正殿や政務殿、帝の寝所など、国家の中枢が集まっている。東側には、中宮と側室たちの住居、文書管理を行う校書殿。西には女官の詰所や台所、そして内裏で働く武官・文官たちの宿舎が並ぶ。南は広い庭園になっており、離れのような小さな建物が点在していた。


だが、そのどこに第二皇女が住まうかまでは記されていない。アワイが亡き今、地図にない情報は、すべてコモリ自身が確かめるしかない。


今、コモリが身を潜めているのは、中央よりやや南に寄った西の棟。おそらく、貴子の居所にも近いと推測される。アワイが待ち合わせ場所に選んだ部屋を、わざわざ遠くに設定しないであろう。女官の宿舎と見られる部屋をいくつか通り過ぎたが、それらはすでに灯りも消え、静まり返っていた。


梁の上を慎重に移動しながら、コモリは目と耳を最大限に働かせる。


人の寝息や微かな足音、衣擦れ、紙をめくる音──どんな細い気配も見逃さぬよう、神経を研ぎ澄ます。


途中、灯りのついた一室では、女官らしき人物が帳面を前に何かを記していた。その脇には香炉があり、墨の香りに混じってほのかに薬草の匂いが漂っている。あの部屋は文官か、あるいは薬師の作業部屋か。


更に北へと進む。天井板の隙間から、下の部屋を慎重に覗く。


(ここか……)


他と比べて、装飾が明らかに格調高い。壁際には繊細な意匠の屏風が立ち、床には絹の敷物がうっすらと光を反射している。


その布団の上に、小柄な少女が横たわっていた。薄明かりの中でも、その顔立ちははっきりと見て取れる。整った眉、すっと通った鼻筋、揃った口元──どこか凛とした気配を感じさせる。


宵乃と同じくらいの年齢か、あるいはもっと幼いかもしれない。


やがて、少女がむくりと起き上がった。


コモリは慌てて、息を呑む。視線が合った気がしたからだ。


(いや、この小さな隙間からこちらの姿が見えるはずがない……)


少女は障子を開け、部屋を出る。その動きには無駄がない。すぐに侍女が気づき、駆け寄った。


「深夜にどちらへ……」


「眠れぬ」


「お医者様をお呼びしましょうか?」


「いらぬ。アワイは、まだ見つからぬのか?」


侍女は首を振る。


「そうか……」


「目が冴えた。眠気が来るまで、本を読みたい。一人になりたい」


「は。御椅子と明かりを用意いたします」


(明らかに高貴のもの。やはりこの少女が貴子……)


確信を持てぬまま、コモリは静かに少女の動向を観察する。


少女は寝所から離れた小部屋へ向かう。

灯りのもと、静かに書を開く。


ぱら、ぱら……と紙をめくる音。

その空間に、張りつめたような静寂が戻る。


次の瞬間、少女が本から目を離し、天井を見上げた。


「……天井の者」


コモリは息を止めた。


「さっきから気づいておるぞ。敵か?」


沈黙。


「妾の命を狙っておるのか?殺すなら今が良い。侍女も下げた。助けも来ぬ」


淡々とした声。その瞳には怯えも動揺もない。


「ふむ。命ではないのなら、何だ?顔を見せよ」


数瞬の静寂ののち、コモリは、姿を現した。

畳に膝をつき、頭を下げた。


「そなたは誰じゃ」


「猿渡コモリ」


貴子のまなざしが、わずかに揺れる。


「そうか……」


短い沈黙。


少女は懐に手を入れ、一羽の白いものを取り出す。手のひらに乗せると、それは静かに羽を揺らした──茶室で見た、白いカラスだった。


「千影神社での会合には参加できず、すまなかった」


「まさか……あなた様は……?」


「ふふ。第二皇女・貴子──千星家の当主でもある」


コモリはもう一度、深く頭を垂れた。

静けさの中、少女と忍びの声だけが、夜の帳にひそやかに響いていた。



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