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第二十二話 都の守護、それぞれの役割

茶室には、重苦しい空気が流れていた。


宵乃はそっとコモリの横顔を盗み見た。

コモリの表情は凛と張り詰め、気丈さを取り戻していた。


 ──千代田の六万の軍勢が間近に迫り、その背後には“黒衣のもの”

 ──そして、コモリの兄・茂吉の裏切り。


しかし、どれも切迫した問題だった。



そんな空気を破ったのは、白装束の老婆の一拍の手打ちだった。


「さて、一度休憩といたそう。朝餉の時間にしようか。これからの具体的な策は、食べながら話すとしよう」


場の緊張がわずかに緩み、茶道口の襖がすっと開く。

妙齢の婦人が、盆を手に静かに現れた。


立ち居振る舞いは美しいが、化粧が少し濃い。


宵乃はすぐに分かった。──狸の奥さんが化けている。

秘密よ、とでも言いたげに、婦人は宵乃へ小さく笑いかけた。


婦人は一人ひとりの前にお膳を置いていく。

──ご飯、味噌汁、酢の物、煮物。

味噌の良い香りが漂う。


ほっとしたのか、宵乃のお腹がぐーっと鳴り、静寂の茶室に響き渡った。


「ははは、よほど空腹だったと見える」

ざんばら髪の鳴久がからかい、場がふっと和んだ。


宵乃は頬が上気するのを感じた。

横を見ると、コモリも笑いをこらえている。


(もう、コモリまで……!コモリのこと、心配してたのに……)



「さて、ありがたく、いただきましょう」


千空が柔らかく言い、皆が箸を取ろうとした、まさにそのとき――


バサバサ、と羽音が響く。


茶室の天窓から、真っ白な影が舞い降りた。

それは──白いカラスだった。


白いカラスは、ひらりと空席の座布団へ降り立つ。

その足に、小さな巻き紙が紐で結わえつけられている。


「どういうことだ……」

鳴久が身を乗り出す。


僧侶・雪矢が静かに目を細める。

千星せんせい家の使いだな」


宵乃ははっとした。

カラスは畳の上を人のように歩き、老婆のもとへ近づいた。

老婆はカラスの足から巻き紙を外して、巻き紙を広げた。

読みながら、老婆の眉がぴくりと動く。


老婆は紙を宵乃の前に示した。


「宵乃殿、そなたに頼めるかな? 皆の前で読んで見せよ」


(私でいいの……?)


宵乃は震える手で巻き紙を受け取った。

紙に並ぶ曲線と点――母と祖母に教わったことのある千鳥文字であった。

これなら読み解ける。


ごくりと唾を飲み込み、声を発した。


「……帝が、千代田との謁見を承諾したとあります」


一同に、張り詰めた緊張が走った。


「な、なんだと……」

鳴久が声をあげる。


「いつだ!?」

千空が鋭い声で問いかける。


「明日、午の刻……」

その場の空気が、さらに重くなった。


「早くとも返事は三日後と見積もっていたがな」

鳴久が言う。


「明朝に千代田信勝は都へ入る、ということか……」


千空が低い声でつぶやき、すっと立ち上がると、茶室が小さく見えるほどの威圧感があった。


「悪いが、中座させてもらう。都を守る京極家の家臣として、備えが要る。

千代田がどれほどの兵を率いて入るか、探らねばならぬ」


武士らしい迅速さで礼をし、千空はにじり口から退室した。


「おれも行くぜ」

鳴久が笑みを浮かべ、さっと立ち上がる。

頭が天井にぶつかりそうな背丈だ。


「万が一のため、海に船を待たせる。

千代田が大軍を引き連れて来ようものなら、川を上って救援に回れるようにな」


振り返りざま、鳴久が笑って言った。


「宵乃、腹減ってんだろ。俺の分まで食えよ」


宵乃の顔が一気に赤くなる。

鳴久は肩を揺らして笑い、足早に去っていった。



「まったく慌ただしいな」

雪矢がため息をつき、老婆に深く礼をする。


「申し訳ありません、私も山に戻ります。

都が破れれば、次は六輪の番。備えておきましょう」


雪矢が小柄な体で立つと、空気が引き締まった。雪矢の気配は、鋭さを秘めている。

静かに合掌し、宵乃とコモリを見つめ、茶室を去っていった。



──一人、また一人と立ち去り、

茶室には老婆、宵乃、コモリだけが残った。


老婆は深く息を吐き、二人を見つめた。


「この国のために──おぬしたちに託す役目がある」


場が静まり返った。


「せっかくの朝餉じゃ。まずは食べなさい。急いては事をし損じる」


老婆の言葉に、宵乃とコモリは箸を取り、ゆっくりと食事を始めた。





茶室に再び静寂が戻る。

コポコポと、風炉の釜の湯がわく音だけが響いていた。


やがて、老婆が宵乃とコモリに話しかけた。


「そういえば、わしのことを話していなかったな?」


(たしかに、名前もまだ聞いていない)


宵乃は首を振る。


「わしは、元は六家の人間であった。今はこの千影神社を守る。名前は――」


そこで、老婆は一呼吸置いた。何か、老婆の様子がおかしいと宵乃は感じた。


(まさか……!?)


「──ヨリ、様?」


宵乃が思わず声に出す。え、驚いたようにコモリが宵乃の顔を見る。


「ほほほ、さすが、千鳥の血を引くもの。その通り」


状況を呑み込めないコモリは、目を瞬かせた。


「コモリ、昨日はすまなかったな。ちょっと、度が過ぎた。ほほほ」


「では、昨夜の少女が……?」


「そう。わしは夜は姿を変えて、この千影神社の結界守となる。まあ、わしの話はこれでよそう」


老婆はわずかに体を前に寄せ、座したまま二人へとその気配を近づけた。

声は低く、しかし確かに届く強さで告げる。

「コモリ、帝は都のどこにおられるか、知っておるな?」


「はい。内裏です。都の中央にある、さらに塀で区切られた区域です。東西南北に、それぞれ門があります」


「そうじゃ。明日の謁見は、その内裏の一角で行われるであろう。内裏には、さらに強固な結界が張られておる」


老婆の視線がゆっくりと宵乃に移った。


「宵乃よ。内裏の結界、その意味は分かるな?」


宵乃は息を浅くし、小さく頷いた。

「帝に害が及ばないよう、守るための結界……」


老婆は、ふっと首を横に振った。


「否。逆じゃ。


内裏の結界は、帝の霊力が外へ漏れ出ぬように張られておる結界。

帝の血脈は、この国の歴史そのもの。

帝の霊力は、この国を巡る霊脈そのもの。

もし外に持ち出され、悪用されれば、この国の均衡は崩れる。

無論、この数百年、一度として破られたことはない」


老婆はそっと身を寄せ、宵乃の膝に静かに手を置いた。


「宵乃よ。そなたは──結界の“音”を聞ける、唯一の存在。

託したいのは、内裏の結界を保護する、結界守の役目じゃ」


その声は柔らかくも、重さを帯びていた。

宵乃の胸が、どくん、と大きく脈打った。


──結界守けっかいもり──


結界を修復するのではなく、結界に綻びが出ないよう、未然に防ぐ守護の役目。


宵乃はそっと深く頭を下げた。

責任の重みが肩にのしかかり、手のひらにはじんわりと汗がにじむ。


老婆の視線が、横のコモリに移った。


「そして、コモリ。そなたの役目は、女官としての内裏への潜入。

最大級の警戒下での潜入、もっとも危険な任務。やってくれるか?」


コモリは一瞬目を伏せたが、すぐに顔を上げ、短く答えた。


「……はい」


その横顔は、兄の裏切りに打ちひしがれていたさっきまでとは違っていた。

戦う者の覚悟が、そこに宿っている。


障子の隙間から、細い朝の光が射し込み、

茶室の畳に一筋、清らかな白光を落としていた。

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