第十六話 吊り橋の戦い、黒い雨の忍術
吊り橋の縄が、ぎし、ぎし、と軋んだ。
強くなった風に煽られ、橋板がわずかにたわむ。
コモリは、意を結したように、一歩踏み出した。
静かに両手を組み、印を結んだ。
「──緑刃の術」
低く、震えるような声。
茂吉の背後の森がざわめき、木々から無数の葉がふわりと宙へと舞った。
舞い上がった葉は、空中で刹那、鋭く細く変わった──
そして次の瞬間、無数の刃となって、茂吉目がけて一斉に襲いかかった。
しかし──
「カッ!」
茂吉の鋭い声が、空気を裂いた。
宙を舞っていた刃たちは、その響きに弾かれたように、すっと鋭さを失う。
刹那、葉へと戻ったそれらは、力なく、はらはらと地面に舞い落ちた。
「本気でやれよ、コモリ」
吐き捨てるような声。
茂吉の目に、冷たい嗤いが浮かぶ。
「忍術じゃ、俺には勝てないと、わかっているだろう」
コモリの顔が、かすかに引きつった。
それでもコモリは、ぐらつく足を踏み締め、無言でふたたび印を結んだ。
──だが、
茂吉の動きは、一段上だった。
片手を顔の前にかざして、親指と薬指を輪をつくる。
そこから、鋭い光線が一直線に放たれた。
「──っ!」
コモリの肩に直撃した。
コモリの身体が宙に跳ね、すぐ後ろにいた宵乃に叩きつけられた。
二人は、橋の上に折り重なるように倒れ込んだ。
宵乃は反射的に縄をつかみ、なんとか体を支えた。落ちないように、必死にコモリを抱き寄せながら……。
コモリの肩から血が流れ落ちる。
彼女は眉を寄せ、苦しそうに息を吐く。
「コモリさん!」
宵乃の呼びかけにも、コモリの目は虚ろだった。
宵乃は、必死に呼吸を整えながら、一筋の打開策を探ろうとする。
「拍子抜けだな。少しは楽しめるかと思ったのに」
茂吉の冷たい声が響く。
(わたしが、何とかしなきゃ──)
そう思いながらも、宵乃の体はわずかに強張ったままだった。
足先ひとつ動かすこともできない。
隣で、コモリがそろりと体を起こす。
震える指先を必死に押さえ込みながら、ふたたび静かに印を結んだ。
「──緑霧の術」
地に落ちた葉たちが、緑色の霧へと変貌する。
霧は渦を巻きながら、二重三重に重なり、茂吉を包囲していった。
「ふっ。時間稼ぎか……つまらない」
茂吉が静かに息を吐く。
その両手が素早く複雑な印を結ぶ。
「一気に終わらせるぞ」
ゴゴゴゴゴゴゴ!!!
轟音とともに、橋の上空に黒雲が集まってきた。
「──黒驟雨の術!」
渦巻く雲はみるみる濃く、重たく膨れ上がっていく。
そして──橋の上に、黒い雨が降り注いだ。
(これはただの雨じゃない。冷たい……重い……!)
冷たく、ねっとりとまとわりつく雨が、まるで重石のように宵乃たちの身体を容赦なく打ち据えた。カナギの動かない身体にも、黒い雨が容赦なく降り注ぎ、じわじわと染み込んでいく。
宵乃の体から熱がどんどん奪われていく。
(この雨、私の結界では防げない……)
橋を濡らした黒雨は、板を軋ませ、縄を軋らせた。
ぎし、ぎし──やがて、橋の軋みは耳障りな悲鳴へと変わっていく。
「自然の力を結集させた。──結界も術も、この黒雨には抗えまい」
黒い雨の向こうから、茂吉の声が響いた。
その声音は、揺るぎない自信に満ちていた。
宵乃は、びしょ濡れの髪を振り乱しながら、震える指で鈴を握りしめた。
(……お母さん)
絶望が心を塞ぎかけたそのとき、ふいにあの夜の記憶が蘇る。
嵐の夜──母は宵乃の小さな手に鈴を握らせ、微笑みながらこう言った。
──怖くても、立ちなさい。祈りは、道を開く。
橋の撓みはさらにひどくなっている。
濡れた縄がぎりぎりと悲しく軋み、橋全体が今にも崩れそうだった。
(このままじゃ、橋が落ちる……!)
胸に広がる恐怖と、何もできない無力感。
逃げ場も──ない。
けれど。
(私がやらなきゃ。諦めない。祈るのが、私たち巫女の仕事だ)
宵乃はぎゅっと歯を食いしばった。
震える膝を押さえつけ、両手を胸の前で合わせる。
母から受け継いだ、祈りの型で──。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
今回は吊り橋の戦いの決着編を書く予定でしたが、長くなってしまったので、
2回に分けることにしました。申し訳ございません!決着は次の話に続きます!
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次回こそは、吊り橋の戦いの決着編です。
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