第十五話 繋いだ手、断たれる絆
背後から切りかかってくる気配を、日野介は即座に感じ取った。
振り向きざま、刀を一閃。
鋼のきらめきのあと、忍びの手首ごと刀が地面に落ち、鮮血が噴き出した。
怯んだ敵の一人に向かって、すかさず踏み込む。
鎖鎌がうなりを上げて飛んできたが、日野介は刀の柄で打ち払い、敵の懐へと詰め寄った。
(接近戦なら負けはしない──!)
身体を低くひねりながら左へ転回し、刀を振るう。
忍びは後ろに跳んで避けたが、日野介は追撃の足を緩めず、次の一撃で首を跳ね飛ばした。
敵の動きが一瞬止まったかと思うと、中央の一人が手を振り上げた。
バァン、という爆発音。
日野介の足元から火柱が噴き上がった。
さらに、荒賀の忍びの手から日野介に向かって、火の玉が放たれる。
だが、日野介は冷静だった。
(二度目はもう通じない)
刀をひと薙ぎ。火は風にかき消されるように消えた。
(……これが、飛賀の里の鍔の力か。幻術も通じないってわけだ)
心の中で感謝しつつ、愛刀を握り直す。
日野介は、刀を構え息を潜め、周囲を見渡す。
忍びの数は残り三人。
(一気にいく。一刻も早く茂吉を追わないと……!)
敵もそれを悟ったのか、じりじりと距離をとってきた。
◆
一方、吊り橋の手前──
宵乃は祈るような思いで、吊り橋を渡る日野介とカナギの姿を見つめていた。
嫌な予感が胸を締め付ける。喉はからからに乾いている。
──あと少し、と宵乃が思ったとき、
カナギが、橋の上に崩れ落ちた。
「──!」
そして、日野介の指笛が鋭く響いた。
異変が起きたときの合図。
「日野介、カナギ……!」
宵乃は思わず駆け出そうとするが──
「待ってください!」
コモリが宵乃の腕をつかんで引き留めた。
その目は、冷静な忍びの目だった。
「日野介殿は……無事に渡りきりました。ですが、今渡れば敵に見つかります。──私に策があります」
コモリは橋を見据えたまま、素早く印を結び、術を放った。
──紫霧の術──
紫の霧が渦を巻き、橋全体を覆い尽くす。
そして、宵乃の視界は、重く立ちこめる紫に閉ざされた。
「この霧は、橋と私たちを隠しています。──相手には見えていません」
戸惑う宵乃の左手に、温かいものが触れる。
コモリの手だ。
その瞬間、宵乃の視界が晴れた。
「手を、離さないでください。私に触れている間は、宵乃さんには術はかかりません」
コモリの声は小さく、けれど力強かった。
宵乃は頷いた。
そして、ふたたび橋に視線を向ける。
風に吹かれ、微かに揺れる吊り橋。
その上に、うつ伏せに倒れたままのカナギの姿がある。
そのさらに向こう──
日野介の背中が、森の闇へと吸い込まれるように、消えていった。
宵乃は、ぎゅっと拳を握りしめた。
(どうか、無事で……!)
胸の奥で、鼓動が早くなっている。
「宵乃様、橋に結界を張れますか」
コモリが問う。
「ここからじゃ届かない……。橋の真ん中まで行けば、全体を覆える!」
コモリは頷き、目を細める。
「行きましょう。私が先に立ちます。宵乃様は、私の腰を持って──」
宵乃は意を決する。
二人は、紫の霧に包まれたまま、揺れる吊り橋を渡り始めた。
木の板はぎしぎしと音をあげ、縄は風に煽られて揺れる。宵乃は左手をコモリの腰に置き、右手で縄をたぐる。木板から足を踏み外さないよう、慎重に、でもできる限り速く進んだ。
やがて二人は橋の中央に達した。
敵の姿はまだ見えない。宵乃は両手を合わせ、そっと気を練り始める。
護りの結界──橋全体を包むための、強い結びを。
それだけに集中しようとしても、焦りが指先に滲み、呼吸が乱れそうになる。
(焦るな、焦ったら負けだ)
宵乃は深く、息を吸った。
「護りの縁よ──いま、結び給え」
腰の鈴が小さく鳴った。
青白い光が、宵乃の掌から放たれ、橋の縄と木にすうっと染み渡っていく。
橋全体に、静かな守りの膜が張られていった。
よし、何とか橋全体を結界で覆った。宵乃はふーっと息を吐く。
「……できました」
コモリが小さく頷いて、また橋を進み始めた。宵乃も続く。
倒れたカナギの傍らにたどり着いた、そのときだった。
──橋の向こうに、黒い影が立った。
宵乃の心臓が、破裂しそうな音を立てた。
影は、じわりと歩み出ることもなく、橋の出口に立った。逃げ道を──完全に塞ぐように。
(──誰だ?)
見覚えのある、あのシルエットに、宵乃は思わず息を呑んだ。
まさか、と頭では否定しながら、心は抗えなかった。
(見たことが……ある。……でも、そんなはず──)
「……茂吉さん?」
声に出した瞬間、喉がひりついた。
それでも、宵乃は確かめずにはいられなかった。
だって、彼は岩村城へ戻ったはずだったのだ。ここにいるはずがない。
(どうして……?)
「──茂吉兄さん……!」
コモリが、悲鳴にも似た声を上げた。
宵乃も、はっと息を呑む。
(兄妹……? そんな──まさか……)
混乱と戸惑いが、胸を締めつける。
──その中で、
茂吉は、ゆっくりと両手を掲げ、静かに印を結びはじめた。
パァン!
茂吉からは放たれたまばゆい閃光とともに、紫の霧は吹き飛んだ。
晴れた視界の先に、茂吉が立っている。
「惜しかったね、あと少しだったのに」
彼は柔らかく笑う──だが、その目は冷たかった。
茂吉は、哀れむように宵乃たちを見た。
「コモリ……、俺が教えた”紫霧の術”か、上達したな」
「兄さん……どうして……」
コモリの声が震える。
「飛賀の里に未来はない。俺は、親父みたいに待つだけの人生を選ばなかったということ」
「そんな……!」
コモリは信じられないというように、強く首を振った。
「宵乃。お前は邪魔なんだ。──ここで消えてもらう」
茂吉は、淡々と告げた。
言葉に感情の揺れは微塵もない。
「兄さん、どうして?」コモリが叫ぶ。
「理由?どうせ死ぬんだ。コモリ、残念だがもう手遅れだ。……橋ごと、燃やしてやる」
冷たく、嗤うように。
「そこの爺さんもまとめて、谷底へ落ちな」
コモリは、悔しさに震えながら、唇を強く噛んだ。
「兄さん……それでも……、間違ってる……!」
「そう思うなら、ここで死ね」
茂吉の手のひらに、炎が灯る。炎は瞬く間に大きくなった。
「やめてっ!」
コモリが叫んだ。
だが茂吉は、構わず縄に手を伸ばす。
──シューッ。
だが、炎は、結界に阻まれ、音を立てて消えた。
「……結界か」
茂吉は露骨に顔をしかめ、鋭く舌打ちを放った。
「……仕方ないな、縄を切る」
腰の刀に手をかけると、その動きは早かった。
宵乃たちを一瞥し、鋭く刃を振り上げる。
「させない!」
コモリが叫んだ。
シュッ!
コモリの投げた手裏剣が、茂吉の手をかすめた。
茂吉は軽く身をひねって避けたが、
次の瞬間──二枚目の手裏剣が茂吉の足元へ。
「……やるじゃないか、コモリ」
茂吉は、にやりと笑う。
だがその目には、明らかに怒りが滲んでいた。
「良かろう……。せいぜい、最期まで足掻いてみるがいい」
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
今回は、吊り橋での決闘です。そして、茂吉との対峙。
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次回は、吊り橋での戦いの決着の予定です。
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